「戦略的な和解」を「被害」にするのはどうなの、って前稿 こちら の続き。
我々弁護士業界では、「泥棒に追い銭」ってよく使う。
泥棒みたいな悪い奴にも、手切れ金みたいに、お金を払う。
こちらは何も悪くなくても、金を払って、縁を切る。
「費用対効果」を考えて、払いたくもない金を、払う。
例えば。
1億円の訴訟は、(原告も被告も)弁護士への着手金が369万円します(一般的な弁護士報酬基準)。
それで勝訴したら、これに加えて、その2倍の、738万円の、成功報酬が発生します。
合計で、1107万円の、弁護士費用が発生します。
全勝しても、1107万円を、弁護士に払わなければいけない。
だったら、単純計算でいえば、被告事件の場合、弁護士を付けずに、1106万円を払って和解した方が、経済的には、トクなんです。
しかも、3年くらい訴訟やって、完勝して、弁護士に1107万円払うよりも、今すぐ、この場で1106万円払って和解した方が、気が楽。
時間が買える。
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この「時間を買う」って考え方。
経済学でもある。
お金には現在価値と将来価値とがある。明日の100より今日の50。
今、手元に100万円あるのと、1年後に100万円あるのとでは、価値が違う。一年分の運用益・利回り(たとえば5%とか)があるから。
今、手元に100万円ある方が、価値が高い。
これは、人間の気分的にもそう。
3年、裁判闘争して、ストレスをずっと抱えて、でも弁護士に1107万円払うよりは、今サクッと1106万円払って終わりにした方がいい、と普通は思う。
3年間の裁判ストレスがなくなるんですから。
今の100万円のほうが、将来の100万円より価値がある。
同様に、今100万円払って終わりにするほうが、3年後に100万円を持ち出して終わるよりも、いい。
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これが、ある意味、訴訟戦略。
こんなふうに考えて、悔しいけど、経済合理性を考えると、たとえ自分が法律的には悪くないとしても、「解決金」を払って、和解で終わらせる、って事案は、すごく多い。
むしろ、世の中の和解は、多かれ少なかれ、こういう「悪くないけど早期解決のために金払う」ってところがある。
手切れ金として。「泥棒に追い銭」として。
自分に1%でも非があった場合の、「授業料」として。自らの非を戒めるための勉強代として。
世の中の裁判や係争というのは、こうやって解決されます。
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家庭連合が、文科省や霊感弁連から、200億円もの「損害」を与えてきた、だから解散しろ、と言われている。
しかし。
家庭連合が「被害者」にこれまで支払ってきた金額にも、いくらかは、上記のような「戦略的な手切れ金」「泥棒に追いマネー」があるはずだ。
原告側が、濡れ手に粟的な、ゴネ得的な、お金をゲットしたというような。
そもそも「信仰やめたカネ返せ」訴訟が認められるわけないんですが、弁護士費用とかを考えると、早期和解の方が「経済的合理性」があったりする。
その「経済的合理性」を優先して「泥棒に追い銭」的に支払った金銭が、はたして本当に「被害」なのか。解散命令の根拠になる「被害」なのか。
静かに問題提起させていただく。