当地 初春の風物詩「大磯左義長」(ドンド焼き)が海岸で開催されました。
点火前の海岸に行って撮りまくって来ましたので、枚数が多いですがご覧ください
海岸に行く道にある道祖神
海岸の入り口
海岸には、大磯町の各町内会が各戸から出してもらった正月飾りを集めて立てたサイトが9基並んでおります。
海岸の東側 江の島も霞んで観えます
海岸の西側です。 この煙は、作業する方々が寒いので焚火をしたもので、「点火」ではありませんので念の為・・・
海岸の北側(山側)です
サイトの飾りは、各町内会の有志が飾ってくれたものです。
千羽鶴がびっしりと飾ってあるサイトです。 恐らく1万羽を越える折り鶴があるかと思われます・・
津波退避タワーからの全景です
津波退避タワーから撮った全景その2です
全景その3です。 江の島~鎌倉~三浦半島 葉山方面が観えます
下見を終えての帰路、西湘バイパスのガード下から撮ったショットです
肝心のサイトへの点火は、今晩6時半ですので、また海岸へ行って撮って来ま~~~す。
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以下は、大磯町HPから抜粋した左義長の謂れなどですので、ご参考下さい。
【左義長とは】
大磯の左義長はセエノカミサン(道祖神)の火祭りで、セエトバレエ、ドンドヤキなどとも呼ばれています。
由来は、昔この辺りで目一つ小僧と呼ばれる厄神が、村人のおこないを帳面に書いてまわっていたところ、夜が明けてしまい慌てて帳面を
セエノカミサンに預け、そのまま帰ってしまい、帳面を預かったセエノカミサンは困り果て、自分の家とともに帳面を燃やしてしまいました。
これがセエトバレエ(左義長)の始まりと言われています。
【左義長の名の由来】
左義長の名は、中国の仏教と道教の故事に基づいたものですが、大磯では明治時代後期に大磯に居を構えた初代内閣総理大臣伊藤博文の
側近によって使われ始めたという伝承があります。 昭和53年に「大磯の左義長」として、神奈川県無形民俗文化財に指定されたために、
左義長の名称が一般に普及したと思われます。 平成9年には、国の重要無形民俗文化財に指定されました。
【祭りの準備】

松の内(1月7日)が過ぎると子どもたちは正月のお飾りを集めて歩き回り、青年たちはセエトの材料となる松や竹を調達します。
次いで、町内各所に大竹やオンベ竹を立て、町内境に道切りのシメを張るほか、セエノカミサンのお仮屋を作り子どもたちが籠ります。
【セエトバレエとヤンナゴッコ】
祭り当日、町内各所のおんべ竹やお仮屋などを片付け、集められたお飾りや縁起物を浜辺に運んで9つの大きな円錐型のサイトが作られ、
日が暮れると9つのサイトに火が入れられます。
セエノカミサンの宮元や宮世話人が、その年の恵方に火をつけます。
この火で団子を焼いて食べると風邪をひかない、燃やした書き初めが高く舞い上がると腕が上がる、松の燃えさしを持ち帰って屋根に
載せておくと火災除けのまじないになるともいいます。
そして、セエトの火が燃え盛る頃、若い衆が裸になってソリ状の台に載せたセエノカミサンの仮宮を壊して海に引き入れ、
さらに浜方と陸(おか)方に分かれて綱を引き合う、ヤンナゴッコという珍しい行事も行われます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー大磯町HPからの抜粋は以上ですーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー