18世紀半ば、世界に知られた大都市と言えば、ロンドン、パリ、北京などでした。
世界最大の都市は北京だと思われていたのですが、実際には、もっと大きな都市があったのです。それが、江戸でした。
江戸の人口は、1721年に100万を超え、その後さらに増えています。
1760年頃、ロンドンは60万、パリが70万、ニューヨークはわずか1万4千の小さな町でした。世界第二位は、清の北京で約100万、日本では、京都、大阪が40~50万で世界ベストテンの中位にありました。
江戸は壮麗な都市ですが、江戸時代の人々が発明したことや発見したものもさまざまあります。
例えば、『大日本沿海輿地全図(いわいる日本地図)』
これは江戸時代後期の測量家伊能忠敬が中心となって作製された日本全土の実測地図です。
その地図を見た外国人は完成度の高さにびっくりしました。
ドイツの医師シーボルトは、国外に持ち出しが禁止されていたこの日本地図を、帰国時に持ち出そうとしました。これが世に言う「シーボルト事件」です。それを贈った幕府天文方・書物奉行の十数名が処分されました。それぐらい素晴らしいものであったということです。
それから、『和算』
庶民の間で当時かなり高レベルな数学が娯楽として親しまれていました。
寺子屋で和算の微分と積分を教えていたという記録もあります。
西洋の数学者が100年後に見つける公式を庶民がすでに遊びの中で使っていました。
算学、今で言う数学ですが、
「オラがここまで算学が出来るようになったのは神様のお陰です」って神社に絵馬を奉納。
「これが解ける奴は説いてみろや」って絵馬を奉納するのが当時、一種の流行だったそうです。
今でも高度すぎて大学の数学科を出てる人でも解けない問題がザラにあるということです。
これを庶民が解いていたのだから、明治になって近代化があっという間に成功するわけです。
何がすごいって、そういう学問が庶民の手にあったということ、海外では通常そういう知識は教会が持っていたのです。
それから、『芸術』
日本が誇る江戸時代後期の浮世絵師、葛飾北斎は、荒々しい波の描写を描いた「神奈川沖浪裏」が海外の芸術家に高く評価され、ゴッホや、ドビュッシーなどに影響を及ぼしたといわれている。
そのダイナミックな波頭が崩れる描写は、一見抽象的にも見える。しかし、今日、ハイスピードカメラで撮影された波と比較すると、よく似ており、より写実的である。
北斎の洞察力のすばらしさをいまさらながら実感することができたのです。
江戸時代の日本は凄い!と思いました。
---owari---