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「北斎はなぜこんなに愛されるのか」田中英道、『明日への選択』(前編)

2022年05月02日 | 日本
ヨーロッパでは合理主義で科学を生み出したが、科学が本当に人間を救うのか確信を持てなかった。そこに日本人の自然のままでいいという概念、富士山に象徴される自然信仰が浮世絵を通じて入ってきた。「これこそが新しい思想だ」という熱狂がアトリエを制した。

神道の自然信仰は「タオ・ネイチャー(自然道)」というように発信の仕方を工夫すれば、世界の人々にも十分、受け入れられる。

 日本文化では神社仏閣の文化財をキラーコンテンツにすべき。世界レベルの傑作が数多くある。そのためにも、日本人が旅をして、国内各地の世界遺産を見ていくべき。それらと自然・風景が見事に調和している事がわかる。

(『北斎とジャポニスム』)

2018年1月、東京・上野の国立西洋美術館で開催されている『北斎とジャポニスム HOKUSAIが西欧に与えた衝撃』が大人気のようだ。ホームページの「みどころ」では、モネ、ドガ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーガンなど西欧の画家たちと北斎の絵を比べ、彼らがいかに北斎から影響を受けたかが、一目で判るようになっている。

 例えばクロード・モネの『陽を浴びるポプラ並木』は、北斎の『冨嶽三十六景 東海道程ヶ谷』の松並木とそっくりだし、ポール・セザンヌの『サント=ヴィクトワール山』は、『冨嶽三十六景 駿州片倉茶園ノ不二』と、手前に樹木を配し、遠くに山を望む構図からして同じである。

 

しかし、北斎が西洋の画家たちに与えた影響は異国趣味という皮相的なものではない、と西洋美術史の大家、田中英道・東北大学名誉教授は著書『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』で指摘している。

この点に深入りする前に、まず北斎の「すごさ」を田中教授の解説から辿ってみよう。

(『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』に見る自然信仰)
北斎の作品で、最も有名なのは『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』であろう。大波がせり上がって、今にもざんぶと小舟に襲いかかろうとしている瞬間を描いている。その波頭の下にはるかに遠い富士が見える。この作品について田中教授は次のように解説している。

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海の向こうに富士山が見えるが、富士山と波は一体化している。そんな大自然の中、漁船のような和船の中で、漁夫か客かはわからないが、よく見ると、ひたすら伏している人々がいるのである。そのあいまいに伏す人間の姿は、人間が自然に帰依している姿を表現しているととることができる。

自然に伏しているという意味で、日本人の根底に流れている神道の自然信仰を明らかに示していることになる。あるいは神道の山への信仰を表している。遠くの富士山にも伏している。海の上で富士講と同じことを行っている姿を描いているのである。
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「富士講」とは、江戸時代に流行した富士山を敬う信仰である。富士山を拝み、また富士詣(登山)を行う。富士山まで行くのは大変だったし、女人は入山が禁じられていた。そこで富士山を模して、高くても10メートルくらいの富士塚が関東全域で2、3千近くも作られた。

西洋人がこの絵を見ると、海の激しさや自然の暴力的な力を感ずるということだが、船の中できちんと並んで一斉に伏し拝んでいる人々を見ると、恐怖に駆られているようには見えない。猛々しい波が船を木の葉のようにゆり動かしているが、波間の向こうに小さく見える富士は神々しくも静かに収まっている。

その富士の静けさと人々の一心の祈りが通じ合い、今にも砕け散る大波の荒々しさとコントラストをなしている。『富嶽三十六景』は富士山を中心とした北斎の自然信仰を描いた図なのである。

(北斎の名に込められた自然信仰)
生涯に号を変えること30回という北斎が、その名を使い始めたのは寛政11(1799)年だった。すでに40歳近くになっていた。

寛政6(1794)年初頭から翌年正月まで、ぷっつりと消息を断った空白期間があるが、この期間だけ写楽が活躍しており、絵の類似性と文献や版木などから、北斎は写楽と名のって人物画を描いていたという説を田中教授は説得力を持って述べている。これはこの本の中でも大変面白い部分なのだが、詳細は原本を参照いただきたい。

北斎の「北」とは、北極星と北斗七星を示唆したもので、妙見信仰と掛けたものだと考えられている。妙見菩薩とは「北極星あるいは北斗七星を神格化した菩薩。国土を擁護し災害を減除し、人の福寿を増すという」(『広辞苑』)。

国土を擁護する妙見菩薩を信仰し、国土の中でも最も神々しい富士をひたすらに描く。北斎の芸術にはそのような自然信仰が脈打っていた。

北斎は「師造化」と言う印を使っていた。「唯一の師は造化である」という意味であり、「造化」とは宇宙や万物、天地自然を創造する神のことであり、また自然の摂理や天地宇宙そのものをいう。自然を観て、そこに潜む造化の妙を写しとること、それが北斎の志だったようだ。

田中教授は、北斎はレオナルド・ダ・ヴィンチと並び立つ画家であると評価しているが、興味深いことにそのダ・ビンチも「美術の師は自然である」と言っている。ダヴィンチはキリスト教圏に生まれたのにもかかわらず、「神」といわず「自然」という言葉を使っているのは、伝統的なキリスト教の世界観から踏み出していたのであろう。

(ジャポニスムの衝撃)

19世紀中葉の日本の開国に伴い、浮世絵など日本の美術がヨーロッパに流れ込んで人気を博した。これをジャポニスムと言う。

1878(明治11)年のパリ万博では日本画家が派遣され、即席で絵を書くところをたくさんの画家たちが集まって見ていた。そのなかにはセザンヌもいたようだ。この画家は輪郭線をはっきり描かない朦朧(もうろう)体という手法で山水画や植物画を描いており、これ以降のセザンヌの絵も、水彩画のような朦朧体になっている。

後にセザンヌは『サン・ビクトワール山』を36点ほどのシリーズで描いた。これは北斎の『富嶽三十六景』に倣ったものらしい。

同様に、アンリ・リヴィエールと言う版画家が『エッフェル塔三十六景』を描いた。エッフェル塔が『富嶽三十六景』の富士山のように描かれている。「これは、パリの人々にとってエッフェル塔が富士山に等しい中心的な存在であることを如実に示している」と田中教授は指摘する。

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江戸が富士に守られていることを北斎が描いた、と述べたが、パリもエッフェル塔によって守られているのである。パリからは山が見えない。エッフェル塔が建てられるまではモン・サン・クレール教会堂ほどの高さがあるモンパルナスや、モンマルトルの丘がその代りであった。
1889年(明治22年)にパリ万博が開かれるのを機に、ギュスターヴ・エッフェルと言う建築家が『富嶽三十六景」の富士山に、やや似た形の塔を建てたというのが、今のエッフェル塔なのである。

これによってパリの人々の心が安定するようになった。毎日見上げる塔があるからである。
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富士山に似せて作られたエッフェル塔を、『富嶽三十六景』をまねて描かれたのが『エッフェル塔三十六景』なのである。
 
---owari---
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