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「お母さん」の語源は「太陽」だった(後編)

2023年09月05日 | 日本
「今日は」も「お母さん」も太陽が語源となっている日の本の国。

(「おかあさん」は「太陽さん」)
「おかあさん」の語源も太陽だったと境野氏は説く。「おかあさん」は、古くは「カカさま」と言ったり、庶民は「おッカァ」と呼んだ。また一家の主人は「うちのカミさん」とか「うちのカカア」と呼んだ。

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「力」は古い言葉では「力力」といいました。もっと古い言葉では「力ア力ア」といった。さらに古い言葉では「カッ力ッ」といったんです。「力力」「力ア力ア」「カッ力ッ」。これが「力」となるんですね。

「ミ」というのは、わたくしたちの身体という意味です。・・・

「カッ力ッ」というのは、太陽が燃えている様を表す擬態語でした。・・・「力ア力ア」「力力」という音も同様です。つまり、わたくしたちの体、わたくしたちの命は太陽の命の身体であるということを、「日・身(力ミ)」(太陽の身体)と言つたんです。
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特に母親は明るく温かく子どもを産み育て、一家の世話をしてくれる事から、太陽そのものだ、ということで「お日身(カミ)さん」と呼ばれるようになった。それが「カカさま」や「おっカア」や「おかあさん」になった。日本の子どもは母親を「太陽さま」と呼んで敬っていたのである。

ちなみに父親は「トト様」で、「(太陽のように)尊い人」という意味である。ただ「カカ(太陽)様」「お日身(カミ)さん」の存在感に比べると、やや抽象的で陰が薄い。天照大御神が女性神であったように、日本の古代の家庭は女性が中心だったのである。

(「昇る太陽の出てくるところの国」)
かほどに太陽を崇拝してきた我が国に、「日本」という国名はいかにもふさわしい。そう命名されたのは、689年に公布された飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)とされており、その意味について自由社版の中学歴史教科書は次のように記している。

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「日本」は、「日」と「本」という2つの言葉(文字)から成り立っています。
「日」は、太陽のこと。太陽は地球上のあらゆるものに光と熱を与え、命をはぐくみます。古代の日本人は、太陽の恵みを自覚していました。・・・
「本」は、「・・・の元」ということです。ですから、「日本」という国名は、607年の遣唐使の国書に「日出づる処」と書かれていたように、「昇る太陽の出てくるところの国」という意味になります。
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「607年の遣唐使の国書」とは、聖徳太子が随の皇帝にあてたもので「日出(ひい)づる処(ところ)の天子、書を日没(ぼっ)する処の天子に致(いた)す。恙無(つつがな)きや」というものだった。当時の超大国・隋に対して対等に、しかも天日を共にしている間柄という親しみを込めて、外交を申し入れたものであった。

ちなみに、英語名の"Japan"は、「日本」を中国人が「ジッポン」と呼んでいたのを西洋人が耳で聞き取った所からきている。

日本という国名について、境野氏はこう語る。

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太陽の運行と人間の生命を結びつけて、太陽を崇拝した国は、日本のほかにもたくさんあります。ただし、太陽が人間の生命の根元のエネルギーであることを、「日の本」、つまり「日本」という国名にまでしたのは、わたくしたちの国だったということは、日本人としてどうかお忘れになりませんように・・・。
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(「あのさわやかな輝き出ずる大陽の光を以て」)
 その「日本」の国旗が「日の丸」である。日の丸が最初に文献に登場するのは、これまた701年と1300年以上も前の事である。日の丸が国旗となった経緯は「国旗に関する国際常識」に記したが、ここでは境野氏の本にある逸話を紹介しておこう。

幕末に日本船の船印を決める際、幕府の役人は源氏の旗印である中黒(白地に黒の横一文字)を押したが、薩摩藩主・島津斉(なり)彬(あきら)は日の丸を提案した。斉彬は鹿児島湾の桜島に上がる朝日を見て、こう言ったそうだ。

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あのさわやかな輝き出ずる大陽の光を以て、鎖国の夢を覚まさなければならぬ。日本の将来は古代から日本人がいのちの恩として愛してきたかがやく太陽のようでなければならぬ・・・
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そして水戸藩主・徳川斉(なり)昭(あき)が「長い間日本人が用いてきた日の丸こそ日本を代表するに相応しい」として、日の丸を「日本総船印」とするよう決断したのである。

(「そしたら、『私の子だから』といってくれました」)
境野氏の本は、高校生に講演した内容である。自分たちが日頃何気なく使っている「今日は」や「お母さん」の語源が太陽に因んでいる事を知って、高校生たちは2時間も真剣に聞き入っていたという。

この本の後半には講演を聴いた高校生たちの感想文がいくつも収められているが、その一つに次のような感想がある。

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私は前まで、生まれなきゃよかったっていつも思っていました。・・・友達関係でもめたり、テストの点が悪かった時、親を苦しめていた。

そんな自分が嫌いだった。生きている自分さえ嫌でピークに達した時、泣いて親の所へ向かった。「こんな子どもでごめんね。頭悪くてごめんね。わがままでごめんね」

そしたらお母さんが、「そんなことはない。大丈夫だよ」
思わず、「なんでそんなにやさしいの」
そしたら、「私の子だから」といってくれました。

お母さん、お父さんは、いつでも私のことを考えてくれていた。私が悩んでいるときは、自分のことのように悩んでくれていた。
そう思っていた私は、さっきの(境野)勝悟先生の講演を聞いて、いま深く感じた。

「生きていることに対して感謝しよう」「一日一日を生きている時間を大切にしよう」そして、いまの高校生活をenjoyしようと思った。
そして、なによりも親を大切にしていきたい。(1年、鹿野雪恵)
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まさに太陽のようなお母さんである。

「お母さん」の語源が太陽であることを知ったら、こんな太陽のような母親も増えるだろう。子供たちも太陽のようにお母さんに感謝するだろう。

そんな家庭が増えれば、国全体が太陽に照らされたように明るく、温かくなる。それこそ「日本」である。
 (文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

---owari---
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