このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

家康は秀頼を憎んでいなかった

2022年10月31日 | 歴史
今回のシリーズは、伊達政宗についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――家康が、ほんとうに秀頼を憎んでいるのなら、何で関ケ原のおりに秀頼母子を助けたのか?わさわぎ秀頼を助けておいて、孫娘の千姫を嫁がせたり、度々江戸から京まで秀頼に会いに行ったりする必要がどうしてあろう。そればかりか、秀吉の七回忌には、世界中がびっくりするほど盛大な「皇国祭」を京都でやって、自分は将軍職を退い . . . 本文を読む
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関ケ原では始めから迷わずに勝敗を見定めた

2022年10月30日 | 歴史
今回のシリーズは、伊達政宗についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――そのため、どっちへ転んでも「わが家は存続」という苦肉の策をめぐらし、父子兄弟が、双方へ別れて戦ったものも少なくない。(石田方)    (徳川方)真田昌幸(父)  真田信之(子、兄)幸村(子、弟)蜂須賀家政(父) 蜂須賀豊雄(子)生駒正俊(子)  生駒一正(父)九鬼嘉隆(父)  九鬼守隆(子)前田利政(弟 . . . 本文を読む
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家康と政宗は「英雄、英雄を知る」関係

2022年10月29日 | 歴史
今回のシリーズは、伊達政宗についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――家康が、正式に諸大名を二条城で引見(いんけん)したのは十日になっている。そして、将軍秀忠と二人きりで密談したのが十一日。十二日には、将軍の命によって高力忠房、板倉重宗らが、大坂の残党狩りを始めていた。政宗の眼に、家康が衝撃から立ち直った…と、見えたのは、将軍秀忠と会見した時からだった。その . . . 本文を読む
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家康が政宗に慈悲の徳が足らぬことを指摘

2022年10月28日 | 歴史
今回のシリーズは、伊達政宗についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――「そうであろう。お身自身が、ある時期には忠輝(家康の六男、妻は政宗の娘・五郎八姫)であったからの。才能も、実行力も衆にすぐれていた。天才とでも言おうかの……そのためお身は、父御を畠山に殺させる破目になった」政宗はギョッとなって、思わずいずまいを正し、呼吸をつめた。「舎弟(しゃ . . . 本文を読む
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政宗と家康の関係

2022年10月27日 | 歴史
今回のシリーズは、伊達政宗についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――十一歳の秀頼と七歳の千姫の婚礼まで、あれほど急いだ家康である。当然、忠輝(家康の六男)と五郎八姫(いろはひめ:政宗の長女)の婚礼ももっと急いでよいはずであった。しかし、それが、慶長十一年の十二月まで延びた理由の中には、双方の父親の貪婪(どんらん:たいそう欲の深いこと)なまでに仕事に打ち込む野望と根性が大 . . . 本文を読む
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