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西郷隆盛に学んだ庄内藩士たち(後編)

2023年09月03日 | 日本
西郷に学んだ庄内藩士たちは「新しい日本をつくる同志」となった。

(「日本を再生するための“義”の戦い」)
西郷は「戊辰戦争は、日本を再生するための“義”の戦いだったはず」と言ったが、その「義」に関して次のように語っている。

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「節操や道義……恥を知る心、こういうものを国民が失ったら、国は、とても持たないね。これは、西洋でも同じことだよ。

たとえば、政治家や官僚や公務員などの上に立つ者が、国民から利益を得ることばかりを求めて、社会正義を忘れてしまったならば、どうなる?

国民もその真似をして、その心は、どんどん拝金主義に向かい、いやらしい貪欲な心が、日を追うごとに国民の間に広がっていくよ。 ・・・

そうなってしまったら……、いったい、どうやって国を維持すればいいんだい?
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道義を国民が失ったら、国は持たない。明治政府の高官たちが私利私欲にふけっている姿は、自ら国を壊している。それでは「日本再生のための義の戦い」と信じて、命を捧げていった戦没者たちに申し訳ない。その思いが西郷の涙となっていた。

西郷が戊辰戦争を「日本再生のための義の戦い」と捉えていたことを知れば、『戦いは……勝てば、もうそれでいいよ。あとは、同じ日本人……。新しい日本をつくる同志じゃないか』と、庄内藩の人々に寛大に接した理由も理解できる。

西郷は庄内藩士を「最後の最後まで徳川家に忠義を尽くした立派な武士」と称えていた。今後は日本の再生のために、ともに忠義を尽くして欲しい、というのが、西郷の願いだった。

(「西洋は野蛮じゃ!」)
明治維新という「日本再生のための義の戦い」は、黒船の来航に象徴される欧米諸国の脅威の下で行われた。その欧米諸国について、西郷は省内藩士たちにこう語っている。

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ある時、西郷先生が、こうおっしゃった。

「“文明”というのは、どういうことかわかるかい? それは、道徳心が人々に広くゆきわたって、それが実践されている国のようすを、称えて言う言葉なんだ。けっして宮廷が大きくて立派だとか、人々の服装が美しくて綺麗だとか、そういう外から見た、フワフワした華やかさを言うのではないよ。 ・・・

私は昔、ある人と議論したことがあるんだよ。その時、私は、こう言ったのさ。 『西洋は野蛮じゃ!』

するとその人は、こう言った。 『いや、西洋は文明です』

そこで私は、 『いいや、いいや……、野蛮じゃ!』と、たたみかけた。

すると、その人はあきれて、 『どうして西洋のことを、それほどまでに悪くおっしゃるのですか?』と、不満そうに言い返してきた。

そこで私は、こう言ってやったのさ。

『ほんとうに文明の国々なら、遅れた国には、やさしい心で、親切に説得し、その国の人々に納得してもらった上で、その国を発展させる方向に導いてやるんじゃないかな?

けれど西洋は、そうではない。時代に遅れて、ものを知らない国であればあるほど、むごくて残忍なことをしてきたし、結局のところ、そうして自分たちの私利私欲を満たしてきたじゃないか。これを“野蛮”と言わないで、何を“野蛮”と言うんだい?』

私がそう言ったら、その人は口をつぐんで、もう何も言わなくなったよ」

そう言って、西郷先生はお笑いになりました。
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当時、欧米諸国はアジア・アフリカの諸国を植民地化し、搾取していた。支配者がその様では、国民全体が植民地根性を抱いて、私利私欲のために働くようになる。西洋の「野蛮」がアジア・アフリカに「野蛮」を生み出す。

西郷は「文明」とは「道徳心が人々に広くゆきわたって、それが実践されている国のようす」と考えた。西洋諸国に植民地化されてしまえば、そんな文明国にはなりえない。

 そうした西洋諸国の「野蛮」から、国を守ろうとすることが「攘夷」なのであった。
松浦光修・皇學館大学教授は次のように喝破している。

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「攘夷」によって先人たちが護ろうとしていたものは、単なる“国益”ではありません。ここが大切なところなのですが、最終的に護ろうとしていたのは、“道義”なのです。
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(『後世への最大遺物』)
西郷から「最後の最後まで徳川家に忠義を尽くした立派な武士」と称えていた、そんな忠義の武士たちであったからこそ、西郷の道義あふれる振る舞いに感じ入り、前藩主が70余名もの藩士を引き連れて、西郷のもとに学びに来たのである。

庄内藩士たちは、西郷の言葉に学んで「新しい日本をつくる同志」となったのであろう。西南戦争の12年後、明治天皇が西郷に正三位を追贈して名誉を回復されるや、『南洲翁遺訓』をまとめ、全国に広めようとしたのも、「新しい日本をつくる同志」としての志に違いない。

西郷隆盛を『代表的日本人』の一人として描いた内村鑑三は、『後世への最大遺物』と題した講演で次のように語っている。

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「誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば、勇ましい高尚なる生涯であると思います。
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西郷隆盛と庄内藩士たちの「高尚なる生涯」は、現代の我々に贈られた「後世への最大遺物」そのものである。それをどう活かすかは、我々の生き方にかかっている。
 (文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

---owari---
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