(生け花は相手のために生ける)
花が大好きなジニーさんは、JETプログラムで英語教師の助手をしていた頃から、草月流の生け花を習っていた。幸い、山形では四季折々に美しい花が咲く。12の客室から玄関、フロントなど、20数カ所を生け花で飾る。
美しいものを目にすると、気持ちがやわらぐと思います。そして、誰にとっても心地よい空間、時間がそこに生まれます。
生け花は精神世界だと思います。そして、相手のために生けるという心がまえが大切だと思います。気持ちが入っていなかったり、いらいらしているときは、うまくできなかったりします。心を落ち着けて、お花を愛でて、ひとつひとつ最高に美しい姿に見えるように想像しながら生けることを心がけています。
美しい空間を演出する、一見お客様のためにやっていることが、実は私自身にとってのプラスにもなっているのだと思います。実際、生け花をしているその瞬間が、自分にとっても癒しになっています。
仲居さんの数が増え、午前中に掃除や洗い物をしなくても良くなった頃から、ジニーさんは終日、着物を着るようになった。しっとりと落ち着いた雰囲気、地味な色の着物が好みだ。
女将として朝から夜遅くまで着物を着ていても、平気になった。帯も苦しいとは感じない。着付けも自分で10分たらずでできるようになった。
着物の良さを若い方ももっと再認識していただければと思います。世界各国の伝統的な衣装の中でも、着物はこどもからお年寄りまで、しかも男女の関係なく、似合ってステキだと思うんです。
美しい着物を着こなしてお客を迎えるのも、生け花と同じ「もてなし」の心だろう。銀山温泉の女将さん達も以前は洋服や割烹着だったのが、最近は着物を着る人が増えてきた。
(日本語の美しさ)
当初、ジニーさんの日本語は男性っぽくて、敦さんからは「従業員にはきつく聞こえるよ」と、よく注意された。英語的な発想、表現で日本語を話すと、きつく聞こえる。
ある時、ご婦人の団体客が玄関口からバスに乗るのに、雨が降っていたので、藤屋のロゴの入っている番傘を貸した。一人のご婦人が、見送りに出ていたジニーさんに「この番傘、いいですね」と言った。ジニーさんがどう答えたら良いのか分からずに黙っていると、一行は番傘を持ったまま、バスに乗り込んでしまった。
後で、敦さんから、こういう時は「お客様、それはちょっとご遠慮いただけますか」というのだと、叱られた。お客の気分を害さずに断るというのは本当に難しい、とジニーさんは思った。
このように日本語は奥が深く、繊細で、あいまいで、翳(かげ)りのようなものがあって美しいと思います。
日本語の翳りといえば、松尾芭蕉の俳句がよい例ではないでしょうか。アメリカ人にも俳句はとても人気があります。芭蕉は『奥の細道』で山形県の風物をいくつか詠んでいます。
五月雨(さみだれ)を集めて早し最上川
閑かさや岩にしみ入る蝉の声(立石寺にて)
涼しさをわが宿にしてねまる(座る:山形方言)なり
わずかな文字数の中に、名所や旧跡に託して、静けさとか涼しさとかの感情をこんなに豊かに繊細に表現できるなんて、日本語だから可能なのでしょうね。
正しい日本語、そして日本人の心を表現する日本語については、きちんと身につけていきたいと思います。
(みんなで銀山温泉全体の繁栄を考えていこう)
ジニーさんが女将として成長していく過程で、銀山温泉街の人々の考え方にも大きな変化があった。以前は一軒一軒がバラバラだったのが、みんなで街全体の繁栄を考えていこうというように変わってきた。ジニーさんも別の旅館に、外国人から電話やファックスがあったら、手助けしたりする。
銀山温泉街の「女将会」も月2回開かれている。女将達が揃って、ゴミ拾いをしたり、橋に花を飾ったりする。山形新幹線が山形駅から先に延伸されることになった時には、女将会で揃って仙台駅長のもとに出かけていって、最寄りの大石田駅に停車してもらえるように嘆願した。それが実現して、関東方面からの客がどっと増えた。
またお客の案内ができるように、銀山の歴史を学んだり、芭蕉・清風歴史資料館で松尾芭蕉について講義を受けたりした。前節の句も、ここで学んだものだ。
(我慢強さと親切心)
こうして日本での暮らしが長くなるにつれ、時折アメリカに戻るたびに、母国が外国になりつつある、と感じるようになった。
昨年、敦さんと子供二人とともに米国に戻り、オレゴン州の美しい海岸で週末を過ごした時の事。連れていた犬が遊んで欲しいと、通りかかった小さな女の子に近づいた。女の子が怯えて泣き始めたので、一緒にいた父親が激怒してジニーさんたちを非難した。ジニーさんは謝って、犬を連れ戻したが、その父親はなおも罵声を浴びせてきた。
明らかに度を超した振る舞いに、以前のジニーさんだったら売り言葉に買い言葉で応戦していただろう。しかし、今のジニーさんは、冷静さを保ちながら、さらにお詫びして、その場を立ち去った。こんな事は怒るに値しないと思ったからだ。そう振る舞う自分自身に、ジニーさんは驚いた。
日本に暮らして15年。もしその間に、私のどこかに日本人らしさが備わってきたとしたら、それは我慢強さと親切心かもしれません。つまり、私は成長していると感じています。
我慢強さと親切心。これこそが、日本人に備わっている素晴らしさ、価値ではないかと思います。
(文責:伊勢雅臣)
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残念ながら、藤屋旅館は2010年4月に民事再生法を申請し倒産しました。2006年の建て替え時の値上げが仇となり売上は悪化し、景気低迷の影響で集客も低調に推移、建て替え工事の借入金が資金繰りを逼迫したことで、単独での経営再建を諦め、倒産したものです。しかし、現在は、立ち直り、元気に経営されているとのことです。
女将ジニーさんは2008年3月に、地元の旅館組合にも一切理由を明かさないまま2人の子供を連れて突然故郷のサンフランシスコに帰国されたそうです。関係者は「以前から人間関係に悩んでおり、親族の不幸を機に帰国してしまった。ご主人が米国に迎えに行ったが、一緒には帰ってこなかった」という。しかし、一番の原因には2006年に藤屋が実施した有名デザイナーによる近代風デザインへの大改装が関係しているとのことでした。
この改装にはジニー女将は最初から難色を示していたようで 『山深い銀山温泉の風景とマッチしていない』と周囲にはもらしていたそうです。そしてジニー女将の懸念通り、客は年々減少していきました。
今は、名物女将もいなくなってしまいましたが、今でも藤屋旅館は銀山温泉のデザイナーズ旅館として存在感があるとのことです。
私もこの銀山温泉にずいぶん前ですが、宿泊しました。当時は夜になると銀山川に架かる橋の上で、地元の皆さんが花笠音頭の美しい踊りを披露してくださいました。そして、宿泊客の中から抽選で山菜(タラの芽、ゼンマイ、ワラビ、ヤマウドなど)がもらえたのですが、幸運にも当たりまして、新鮮な山菜を家に持って帰った記憶があります。
たしかに、この銀山温泉は大正時代の郷愁を感じるノスタルジックな建物や町並みが大きな特長で、新装した和モダンはとても素晴らしいものなのですが、無駄のない美しさが大正浪漫と合わなかったのかもしれません。
機会がありましたら、一度、山形県の銀山温泉を訪れていただきたいと思います。
---owari---
https://ja-jp.facebook.com/jeanie.fuji
ジニーさんの貴重な情報、ありがとうございました。
幸せそうなお写真を拝見しまして、安心できました。
お礼申し上げます。