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長寿企業の言い伝え(後編)

2022年09月24日 | 日本
数百年も事業を続けてきた長寿企業に学ぶ。永続的繁栄の秘訣とは。

(「絶対に欲を出すな」)
暖簾を守るためには、それなりの工夫が必要である。元禄2(1689)年から秋田県仙北郡で酒造りを続けている鈴木酒造店の第18代当主・鈴木松右衛門氏はこう語る。

昭和32年に養子になった時、養父から申し渡されたのは、次の二つの約束を守ってくれ、それを守れば事業は必ず永続するからということでした。

その二つとは、一つは絶対に欲を出すなということ。売れるからといって極端な増石(増産)をすると、必ず不良品が出て蔵の信用を落とす。先代は一つの目安として前年比105まではよろしいといっていた。

二つ目は、自分の蔵で作った酒の8割は仙北郡で消費してもらえるようにせよということです。たしかに地元の人に支持されない酒では仕方がない。うちの地元にこんな旨い酒があるよと、自慢されるくらいになりたいものです。それと、郡外、県外の割合が多くなればなるほど、債権の
回収リスクは高くなる。実際それで潰れた同業者もいる。

この二つの戒めを授かったわけですが、考えてみると、このお陰で今日があるような気がしました。
地元の人に支持され、その自慢になるほどの酒とはまさに「買い手よし、世間よし」だ。そのためには量的拡大を犠牲にしても、品質追求に徹するというのである。

(「声なくして人を呼ぶ」)
京昆布の老舗「松前屋」は、もとは南朝に仕える武士の家柄で、昆布を売って軍資金を稼いでいたが、南朝最後の後亀山天皇から「松前屋」の屋号をいただき、以後は皇室ご用一筋で幕末までやってきた。現在の当主は第32代・小嶋文右衛門氏である。

明治まで禁裏御用一筋で、一般の方への商いはなかったんです。天皇家のお使いになるもの、陛下が召し上がるものだけを用意していたわけですから、利益を追求するのではなく、最高のものを調達していたんです。

皇室御用達というのは最高の暖簾であるが、それを汚さないよう質の徹底的な追求が不可欠である。

明治に入って、8年頃から町商いをすることになるわけですが、以降一貫していることは、良い商品を作って、自分の商品にプライドを持って売っていくということです。

昆布は5年間は蔵に寝かしてから、最上級の品質のものだけを使います。一年間に作る量も決まってしまいます。味を大事にすればたくさん作ることはできません。従って、売上げもおのずと決まって、大きく利益が出ることもありません。

主人の目の届く範囲でいいんです。それをあれもこれもと手を広げようとすると、どっかに必ず落とし穴があって失敗する。

「プライドを持って」とは、「暖簾を心に懸けて」に通ずる。また利益に目がくらんで、むやみに量を増やしたり、事業範囲を拡大したりするな、とは前節の鈴木酒造店とまったく同じ姿勢である。最後に小嶋氏はこう話を結んだ。

われわれのようなモノ作りに携わる人間は、正直であることが大事です。私の好きな言葉に、「声なくして人を呼ぶ」というものがあります。自分から宣伝しなくとも、良いモノを作っていれば、自ずと口コミでそれが広まっていくという意味だと思いますが、そうなるのがわれわれの喜びですね。

暖簾を心に懸けて、黙々と、顧客が喜び、地元の自慢になるような商品を作っていれば、宣伝は顧客の方で勝手にやってくれる。やはり「買い手よし、世間よし」こそが永続的成功への道なのである。

(名と暖簾を継ぐ)
代々の当主が同じ名前を引き継ぐというしきたりが多くの老舗で行われている。これにも実はきわめて合理的な理由がある。京漆器の老舗象彦(ぞうひこ)の現代の当主は9代目・西村彦左衛門氏。9代目を襲名したのは昭和42(1967)年、36歳の時だった。

名を襲って、改めて代々受け継がれてきた名前を汚してはならないという緊張感を持った。

代々、同じ名前を継ぐということは、暖簾を継ぐことである。まさに駅伝の走者のように、名と暖簾が先代から次の代へと引き渡される。象彦に代々伝わる「亭主之心得」に曰く。

亭主たる者、その家の名跡財宝、自身の物と思うべからず。先祖より支配役を預り居ると存(じ)、名跡をけがさぬやうに子孫に教へ、先格(先祖伝来のきまり)を能(よく)守り勤め、仁義を以て人を召し仕ひ、一軒にて茂(も)、別家の出来るを先祖への孝と思ひ、時来り、代を譲り、隠居致すとも、栄耀成(なる)くらしは大いに誤なり。

家業は当主の個人的な財産ではなく、先祖からの預かりものであり、当主はその暖簾を守って子孫に伝える責任を持つ「支配役」である、という。会社を個人的な財産と考えれば、短期的に大儲けして、ほど良い所で従業員は首切り、事業は売り払い、というバクチ的な経営もできようが、それでは一時成金には成れても、永続的な老舗には成れないのである。

(「老舗の新店」)
逆に先祖から伝えられた家業を墨守しているだけでも、永続的な成功は不可能である。それでは技術的進歩もなく、不断に変わりゆく買い手や世間についていけないからである。

「とらやの羊羹」で有名な虎屋は、事業の淵源は鎌倉時代の仁治2(1241)年に遡る。以来、御所の御用を勤めてきたが、歴代の当主はそのことを誇りに思い、その名誉を汚すことなく家業を続けていくことを最高の経営方針としてきた。

当代の黒川光博氏は、戦国末期の虎屋中興の祖・黒川円仲から数えて17代目に当たる。光博氏は、自分の使命は「いいものを作ってお客様に喜んでいただく」ことはもちろんだが、虎屋として「和菓子の頂点を極めていきたい」と言う。

伝統は革新を連続させることにあると思います。伝統の中のいいものを残し、一方で新しい風を起こすことが大事ではないか。それを言葉でなく、具体的な経営の中に見いだし、変革していくことが、むしろ伝統を守ることになると思うのです。

「和菓子の頂点を極める」ためにも、常に新しい工夫を加えていかねばならない。その革新の積み重ねが伝統を形成する。

冒頭に紹介したチョーギンの第8代目・小林一雄氏は「老舗の新店」という言葉を使う。

「老舗の新店」とは、自分の好きな言葉です。長く続いていくためには、その時代その時代にあった新しい店を作っていかなければならないということ。世の中の変化への対応が必要だからです。代々もそれに苦労してきた。

「買い手よし、世間よし」を長く続けるには、買い手と世間との変化に対応して、不断の革新を続けていかねばならないのである。

そう言えば、わが国自体も現代国際社会におけるダントツの老舗と言えよう。淵源ははるか神話時代に遡り、当主にあたる今上陛下はなんと125代。その老舗が携帯やらデジカメやらのハイテクで世界をリードしている。「老舗の新店」とはわが国の国柄にも言えるようだ。

われわれ現在の日本国民も超老舗国家の駅伝選手として、心に暖簾を懸けて、走り続けねばなるまい。(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

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