⑨今回のシリーズは、千利休についてお伝えします(最終回)。――――――――――――――――――――――――利休はコトコトとひとりで笑う。そして、(まさに俺は、秀吉を踏んづけてやりたかった。あの高慢な成り上がり者の頭を、一度でいいから踏みつぶしてやりたいと願い続けてきた)博多に流された古渓(こけい:室町から安土桃山時代の臨済宗の僧。大徳寺の住職)の入れ知恵だけとはいえない。利休自身にも、秀吉に対して . . . 本文を読む
⑧今回のシリーズは、千利休についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――利休はやがて、「市民という言葉は、そのままでは日本に馴染まない。もっと和風の言葉をつくりだすべきだ」そう考えて、ついに、「まちびと」という言葉をつくりだしたのである。利休が自分の茶室を、「市中の山居(さんきょ)」と言うのにも、その辺の意味が込められている。山居という以上、もちろん茶を学んだ師の北向道陳( . . . 本文を読む
⑦今回のシリーズは、千利休についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――したがって利休の考える、「まちびと(市民)」というのは、自分の身近なところで祖父をはじめ、「阿弥」と呼ばれた社会的劣位者たちの実態を身に染みて感ずると共に、同じ堺のまちの日比屋了慶の教会に集まるキリシタンたちの実態とが、入り交じって出来上がったものだといえる。だから、日比屋了慶や教会で人々を導く外国人宣 . . . 本文を読む
⑥今回のシリーズは、千利休についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――たとえ茶の道を極めた茶頭の一員だといっても、しかし堺の一介の商人であった千利休が、なぜ日本の最高権力者である豊臣秀吉にそこまで抵抗し得たのか、考えて見れば利休の精神力には計り知れない強靭なものがある。かれのその強靭な精神は、あくまでも、「自分はまちびと(市民)である」と考えた自己保持にある。そして利休の . . . 本文を読む
⑤今回のシリーズは、千利休についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――信長はさらに工夫した。それは、「茶会の開催権は、自分が一手に掌握する」と宣言したことである。つまり茶の会も簡単には開けなくなった。開く時は信長の許可を得なければならない。言ってみれば、茶会の開催をパテント制にし、その権限の一切を信長が一手に握ってしまったということである。こういう独占と制約は、信長が意図 . . . 本文を読む