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国土が育てた日本人(前編)

2023年08月31日 | 日本
日本列島が育てた世界断トツのチームワーク。しかしグローバル社会ではムラ意識からくる不適合も。

(チームワークの得意な日本人)
アメリカに住む友人のAさんが一時帰国して、面白い話を聞かしてくれた。最近、日本人とアメリカ人合同のゴルフ大会に参加して日本人のチームワークの凄さを改めて感じた、というのだ。

大会は「ベスト・ボール」というルールで、4人でそれぞれボールを打ち、その4つからベスト・ポジションを選んで、そこからまた4人がそれぞれ打つ。こうして各ホールで4人のうちのベスト・スコアだけをつけて、最良のスコアの組が優勝するという団体戦である。

Aさんの組はたまたま日本人4人で、初めて会った人ばかりという組合せだったが、2、3ホールやれば、それぞれの腕前、得意不得意が判る。たとえばドライバーショットでは、高齢のAさんは方向性は正確だが、距離がでない。若手のBさんは距離はぶっ飛ばすが、時々とんでもない方向にボールが行く、等々。

数ホールすると、特に相談もしていないのに、Aさんが先に打って、とりあえず距離はでなくとも、そこそこ良い位置を確保するようにした。その後でBさんを打たせると、もう最低線は確保しているので、プレッシャーから解放されて、距離も方向性も素晴らしい一打が出る。日本人の組ではそんなチームワークがごく自然に出来た。

Aさんたちの前のアメリカ人ばかりの組は、そんな事はおかまいなしに、各人が「我こそは」とぶん回している。どうやら、誰か一人が良い当たりをすれば良いので、自分は失敗しても良いからと、難しいチャレンジを楽しんでいる様子である。大きな池越えのホールでは4人とも大胆な挑戦をして、全滅していた。

一人ひとりの力量は、アメリカ人組の方が高いのに、チーム戦となると、日本人組が得意のチームワークを発揮して、最終スコアでは僅差で勝ったという。

Aさんは、日本の自動車部品メーカーの現地法人の役員をしているが、アメリカ市場では、日系メーカーが最高品質の車を競争力ある価格で販売し、いまや北米市場でのシェアは4割近くに達するという。その原動力がこのチームワークであり、アメリカ人従業員たちにも教育を通じて、日本流のチームワークを発揮させているという。

(日本の国土の特性)
Aさんの話を聞いた後に読み始めた国土学の権威・大石和久氏の近著『国土が日本人の謎を解く』で、日本人のチームワークの良さは日本列島の国土の特性が生み出した、というの指摘に、目から鱗の思いをした。この著書は、欧米や中国との国土の違いから民族性の違いが生まれている事を鮮やかに解き明かしている。

日本の国土の特性を大石氏は10の特性にまとめているが、チームワークの発達に影響したのは、次の3つである。

・細長い弓状列島: 日本列島の最大幅は250キロ程度しかないが、列島の東北端から南西端は直線距離でも3300キロに達する。

・脊梁(せきりょう)山脈の縦貫: その細長い列島の中軸を1~3千メートルの高い脊梁山脈が縦貫している。ほとんどの河川は、この脊梁山脈から発して海に注ぐので、きわめて短く、急流となっている。

・数少なく、狭い平野: 山と川が多いので、平野は内陸地域では盆地として、海岸地域では河川が押しだしてきた河口の土砂の上にしかない。

大きな平野として関東平野や大阪平野があるじゃないか、と思うだろうが、これらの平野がまとまって使えるようになったのは、江戸時代以降のことである。

それまでは多くの川が両平野の中を流れており、洪水がある度に流路を変えるので、平野の中に点在する小高い所だけに、人が住んだり、田畑を作ったりしていた。

江戸時代に入ってから、江戸湾に注いでいた利根川を銚子の方に付け替えるとか、大阪平野を北上していた大和川を堺市の方に流す、などというご先祖様の治水工事のお陰で、ようやくまとまった大きな平野として使えるようになったのである。

(数百人単位の村で数千年、暮らしてきた日本人)
この小平野が散在する国土で、日本人は数多くの小さな村に別れて暮らしてきた。天保5(1834)年の全国の村の数は6万3千余もあり、平均的な人口は400人ほどだった。縄文時代の三内丸山遺跡も、人口4~5百人程度と推定されているから、日本人は細かく散在した平地に、縄文時代から江戸時代まで数百人程度の小さな村で暮らしてきたのである。

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狭く小さく分散している平野の、きわめて小さな集落の中で、歴史のほとんどの期間を暮らしてきたことが、われわれを規定しているのである。

ここでは、何千年という期間にわたって、顔見知り仲間が共同作業によって、灌漑設備の設置や水の配分・田植え・稲刈り・道普請・屋根の葺き替え・冠婚葬祭などを協力し分担して行うという暮らしをしてきた。

その結果、集落の中でのもめ事を最も忌避し、全戸参加による話し合いによって物事を定めたり、争いごとを解決してきたのである。これが、われわれの日本人の秩序感覚を磨いてきたのである。
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日本人がチームワークが得意だというのも、こういう数千年の歴史の中で磨かれたムラ意識の所産なのだ。

(中国の大平原が独裁社会を生む)
日本人が分散した小平地で数百人単位の村落で生活してきたのとは対照的に、中国人は広大な平原で暮らしてきた。たとえば、北京から上海まで南北で1200キロ、最大幅も600キロほどの平原が広がっている。1200キロといったら、東京-福岡よりも長い距離だ。

この広大な地域に水を引くには大規模な土木工事が必要だが、そのためには人民を大量動員できる権力が必要である。随の煬帝は、610年に総延長2500キロメートルにも及ぶ京杭大運河を完成させたが、このために100万人もの動員を行ったという。それだけの権力集中が中国にはあった。

しかも、この大平原を目指して、周辺の異民族が押し寄せる。紀元1年からの100年間では、18回もの異民族の侵入や、反撃の征討があった。異民族の侵入から護るべく、都市を巨大な壁で囲み、さらには万里の長城を築いて国土全体を囲んだ。

こういう国土では、民衆も自分たちを護ってくれる強力な権力者を必要とする。大平原が独裁社会を生むというのは、お隣のロシアにもあてはまる現象だ。

しかし独裁社会で、腐敗や民衆の搾取が進み過ぎると、民衆が反乱を起こし、内乱の中から次の権力者が登場する。王朝の交替時期には、常に大規模な戦乱があった。「革命は銃口から生まれる」と毛沢東は言ったが、共産革命に限らず、歴代の王朝交代は常に暴力で行われてきたのである。

各皇帝は自分の権力を守るために軍隊を持つ。現在の中国の軍隊は、国家に帰属しているのではなく、共産党に属しているが、共産党書記長という皇帝が、軍隊を握っている、と考えれば、今の共産党政権も中国の歴代王朝の伝統をそのまま引き継いでいるのである。

---owari---
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