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国土が育てた日本人(後編)

2023年09月01日 | 日本
日本列島が育てた世界断トツのチームワーク。しかしグローバル社会ではムラ意識からくる不適合も。

(ヨーロッパの国土が産んだ「公」の概念)
ヨーロッパの国土は、日本と中国の間に位置づけられるだろう。ヨーロッパの平野は、日本よりははるかに大きいが、中国ほどではない。しかもアルプス山脈が中央に聳えて、南北、東西を分断している。日本のように多くの地域共同体に別れていたので、封建制が発達した。

しかし、欧州が日本と異なり、中国と似ている点は、ゲルマン民族やアジアの騎馬民族が周期的に襲ってきた、ということである。そのため、ヨーロッパの共同体は城壁で囲まれた都市国家となった。

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パリを見ても、シテ島周辺から始まった都市城壁は、人口増加などの時代の変化とともに拡大し、最終的には周囲34キロメートルという大きさになったが、いつの時代にも大勢の人が肩がぶつかるようにひしめきあって壁の中で暮らしてきた。

しかし、都市規模が大きくなると、全員が顔見知りというわけでもないから、わが国のように「みんなでとことん話し合って、みんなで守り毎を決め、みんなでの約束として遵守(じゅんしゅ)する」というわけにはいかない。

厳密な表現の文章による成文のルールを定め、それを守ると約束する人だけが城壁内に暮らすことができる権利を得るということにならざるを得ない。
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そして、ひとたび外敵に襲われると、城壁の中に閉じこもって、市民が結束して防衛にあたる。「市民」とは、成文法を守る約束をし、いざという時には防衛の義務を果たすことで、城壁内に住むことを許された人々のことである。こうして同じ城壁内で住み人々が、共通のルールを守り、共同体のために尽くすところから、「公」の概念が生まれた。

(ヨーロッパの「公」、日本の「共」)
ヨーロッパの国土が都市国家の形成を通じて、「公」の概念を育てたように、日本や中国の国土もそれぞれに特徴をもった政治構造を産んだ。

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日本のように、細かな平野が分散的・孤立的に存在しているのであれば、強大な権力は必要なかったし、また生まれもしなかった。これは日本人の強健への拒否や忌避という性癖にもつながっているし、逆にいえば中国人は強権好きということなのかもしれない。
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小さな集落で、互いに顔をつきあわせながら、一生を暮らしていくことから、仲良く暮らしていくことが最優先となった。集落で物事を決定する場合も、民俗学者の宮本常一氏が記録しているように、全戸が賛成するまで徹底的な話し合いが行われ、時には反対者がいなくなるまで3日3晩も続けられたという。

多数決が民主主義の意思決定ルールなのだが、十二分な話し合いがないままに決を採ろうとすると「強行採決」と批判するのは、このムラ意識からである。独裁者を嫌い、「強行採決」を嫌う気性は、日本の国土で数千年も続いてきたムラ社会で培われたものである。

大石氏は、ヨーロッパで「公」の概念が育ったが、日本でそれに対するのは「共」であるという。「公」と「共」は性格を異にするが、個人と共同体と結ぶ絆として機能することで、法治主義、自由民主主義などの基盤となる。日本がアジアでいち早く、近代的法治国家としてスタートできたのも、欧州の「公」の役割を「共」が果たしてきたからであろう。

それに対して、中国の独裁社会では、一人の皇帝が億兆の民を支配する。多数決どころか、民衆の投票すらあり得ない。法とは「公」や「共」のルールではなく、皇帝が臣下や民衆に下す命令である。

「公」も「共」もない社会では、およそ法治主義も民主主義も根付かない。民衆が声をあげられるのは反乱による武力革命だけだ。

(ムラ意識のグローバル社会での適応障害)
日本人は数千年のムラ社会の経験で、世界でも断トツのチームワークを得意としている。東日本大震災で世界に感銘を与えた互いへの思いやりは、このチームワークが発揮されたものである。

しかし、ムラ意識は良い点ばかりではない。現代のグローバル社会はヨーロッパ流の「公」を中心とした構造をとっているので、日本流のムラ意識が不適合を起こす場合がある。

たとえば、昨今の集団的自衛権の論議の中で、こんな発言をした学生がいた。

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もし本当に中国や韓国が攻めてくるというのなら、僕が九州の玄関口で、とことん話して、酒を飲んで、遊んで、食い止めます。それが本当の抑止力でしょう?
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平和なムラ社会の中でしか通用しない発想である。天安門では民主主義を求める学生・青年たち大勢を、自国民でも平気で虐殺した政権である事が、まるで判っていない。

彼らが反対する「集団的自衛権」とは、欧州の都市国家群が外敵から共同で防衛した歴史から出てきた概念で、欧米人にはごく当たり前の話なのだが、平和なムラ意識の持ち主には、改めて勉強して貰わないと理解できないのであろう。

そういう意味で、国際派日本人を目指す人々には、グローバル社会の国際常識を学ぶ必要があるのだが、そのために一番、良い方法は、国際社会に触れ、外からの視点で自らの強み弱みを認識することだ。

弊誌916号で「西側先進国で、わが国ほど、政治、マスコミ、法曹、教育の各界で、いまだに左翼がしぶとく巣くっている政治的後進国はない」と述べたが、政治、マスコミ、法曹、教育の各分野こそ、もっとも国際社会から遠く閉ざされて、ガラパゴス的なムラ意識の残存している分野だからだ。

日本人が国際社会で活躍・貢献しようとすれば、ムラ意識の良い面であるチームワークを発揮しつつも、このガラパゴス島から一度、外に出て、西欧流の「公」の概念を良く理解しなければならない。
(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

---owari---
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