ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

思い出

2024-03-11 01:05:16 | 日記・エッセイ・コラム
3月11日(月曜日)
今どきは新卒の入社は4月1日が一般的ですね。私が高校を卒業した時は、こんなんでした。
【思い出】昭和38年と言えば、日本は高度成長期真っ只中。どの企業も新卒を早く戦力にしたくてたまりません、私の就職する会社も、同様です。 「3月9日に入寮せよ」の通達が会社から送られて来ました。高校の卒業式は3月8日(金曜日)。
卒業式が終われば”遊ぶぞ!”と張り切っていたのに、ナンタルチア。
ほとんどの会社は4月1日なので、羨ましくて羨ましくてたまりませんでした。早く就職する者の特典は、クラスメートの多くがが駅まで見送りに来てくれます。可愛そうな者は、3月の終わりに旅立つ者。クラスメートの見送りは期待出来ません。...
夜行列車で、上井(あげい)駅(現在は倉吉駅)から、 「頑張れよ!」の級友の励ましの声に見送られ、大阪(枚方市)へ。
ドラマチックな光景が、連夜繰り広げられたことでしょう。当時の夜行列車は蒸気機関車で、山陰線はトンネルの多いことで有名です。トンネルに入れば、車内は煙で真っ白になります。翌朝京都駅に着けば鼻の穴の中は、ススで真っ黒け。
駅の便所で顔を洗いましょ。奈良電に乗り、丹波橋で京阪電車に乗り換え、「枚方市駅」に降り立ちました。
今でこそ枚方市は大阪府下で4番目の人口で、40万人を超えています。当時は約10万人。これだけの人口でも、枚方市は都会では有りません。故郷、倉吉市の方が圧倒的に店も多く、田舎に来たなぁという感じでした。ビックリしたのは喫茶店が駅前に1軒しか見当たりません。
9日(土曜日)に出社し、会社で説明を受け独身寮”双葉荘”へ。この寮は元フランスベッドの女子寮。寮に着けば、小豆色の布団袋と柳行李が届いていました。これが私の荷物のすべてです。部屋は4畳半一間で、ここに高校の同級生の山ちゃんとの共同生活が始まりました。
今の時代であれば、4畳半に二人住めば、「タコ部屋」と世間の皆さんは言うことでしょう。4畳半の部屋に二人とも机を置き、布団を敷けば足の踏み場もないとはこのことを言います。真面目な山ちゃんは、遊びが好きな私と大違い。勉強が大好で、2年後に会社の高等専門学校に合格して、2年間石川県で勉強です。出て行った後は、四畳半の部屋で一人生活となり、ようやくプライベートが確保出来ました。向かいの部屋に住む ”西野君” は、ええかっこシーの遊び人。夏になれば腹巻にステテコ姿。パンチパーマとくればチンピラと同じです。二人で寮の前のバー、枚方市民病院の前のスナック。香里園のキャバレー”美都”、枚方市駅の近くにある、ばばあの一杯いるキャバレー”ミス枚方”に、数え切れないほど行きました。独身時代にチカラ一杯遊べば、世の中の裏も表も勉強しました。お蔭様で、女性に溺れての失敗は有りませんでした。毎年3月8日が来れば、60年前が懐かしく思い出されます。
一緒に遊んだ西野君は一足お先にあの世へ。待っててや!


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2 コメント

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勉強代 (k君)
2024-03-11 06:01:47
溺れないための勉強代いくら使ったのでしょうか?家一軒は建つでしょう。
Unknown (ゆみちゃん)
2024-03-12 16:50:59
>K君
競馬代と酒代を併せれば、家の1軒は建ったかも知れませんね。まぁストレスで病気になったらお終いなので良しとしましょう。

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