ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

阪神タイガースに喝!!

2009-03-31 05:26:18 | スポーツ

Ws000002 29日でプロ野球のオープン戦が終わった。愛するタイガースはダントツの最下位で5勝10敗2分けだった。特に最終戦の前まで1分けをはさんで8連敗とは情けない。たかがオープン戦と言えども余りにも課題が多すぎる。ミンチかメンチかどっちだったか忘れたが、新加入の外人には期待していたが、サッパリ打てない。昨年の秋に手術をしたアラフォー(矢野、下柳、金本)も心配だ。肝心要の捕手の矢野は、オープン戦に出れず1軍に合流していない。下柳、金本は実戦練習が不足で、新井は故障明けで無理は出来ず。WBCに選ばれた岩田は肩の故障で当分だめ。もっとも心配なのは打撃だ。オープン戦での得点は47点はいただけない。これはヤクルト、中日の半分。1試合平均2.76では話にならない。防御率3.22は3番目に良いが点を取らねば勝てないのが野球。今年は完投できる投手を増やすと目標を掲げていたが、果たして孝行息子は現われるだろうか。4月3日からセパ同時にペナントレースが始まる。本来ならば、早く開幕してくれないかとワクワクしながら待っているが、これでは不安の方が多くて・・・。
秋季キャンプ、春季キャンプに何をやっていたの?とぼやきたくなる。真弓監督は「悪いことばかりで始まるより、最後を締めて開幕を迎えられるのでよかった」のコメントを出している。
そんな危機感のないコメントで大丈夫か・・・。
監督、コーチ、選手の皆さんしっかりしいや!
そうしてくれなきゃ、我らはファンではなく不安か!とどなるで~。

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陽光さくらは満開だ!

2009-03-30 12:19:42 | 

3月29日(日曜日)

2009_03290020 2009_03290015 2009_03290017 斎場の近くにピンク色の桜が咲いていた。早咲きのピンク色の桜は、大抵が散り終わっている。どんなんかな~と花見に行った。木に「陽光ザクラ」と名札が付いていた。
この桜は、故高岡正明により作出され、陽光は“天地に恵みを与える日の光”という意味をこめ命名したそうな。
2009_03290021 2009_03290018 2009_03290022 街路樹は「北国の春」でおなじみの白色の「こぶし」の花が満開を過ぎ、散り掛かっていた。歌は知っているが花は知らない貴兄は覚えてごしなれ。モクレン科の花なので花びらが似ている。100メートルは続くこぶしの並木道は見事だった。
土手には満開のユキヤナギが風に吹かれゆら~りとなびき、大正駅までの3キロ弱の道のりをキョロキョロしながら歩いた。大正区役所のそめいよしのは、チラホラ咲きだ。大正区は沖縄出身の方が多く、表札を見ればすぐに分る。知らない土地の散策は、興味がつきなく大変面白い。

[豆知識]
1.アマギヨシノとカンヒザクラの雑種。なお、アマギヨシノはオオシマザクラとエドヒガンの雑種。
2.花が大きく、淡紅紫色で下垂する。花弁は5個で多少うねる様な皺がある。
3.高岡正明氏(故人)は、愛媛県東温市の「伯方の塩」の初代社長で、第二次世界大戦中に、戦場に送った教え子の死を追悼し、平和のシンボルとして桜の新種「陽光」を開発。

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山を愛する人は情も厚かった

2009-03-29 23:28:11 | 健康・病気

昨日の夕方、妹から久しぶりに電話があった。元気か?の挨拶もそこそこに、旦那の弟が亡くなり大阪弁天町で、今夜は通夜、明日はお別れ会をやるの悲しい知らせだった。9ヶ月前に手術し、入退院を繰り返していたようだ。享年61歳だった。それにしても若すぎる。彼の親族は鳥取県にいるが、大阪で葬儀となれば参列者は少ない。しかも、彼には家族がいないとくれば、何としても行かねばなるまい。10時からお別れ会をやるのだが、親類は1時間前にと言うことなので、9時前に葬議場へ行った。やはり親族控え室には、数えるほどの方しか見えていない。きっと寂しいお別れ会になるのではと想像していた。所が昨夜の通夜の話を聞いて驚いた。なんと山仲間が70名ほど来られたそうだ。妹の旦那さんも、弟さんが山に登るとは聞いていたが、ハイキング程度の認識しかしていなかった。しかし彼の愛する人が、過去の登山写真をスライドショーにして見せてくれ、腰を抜かしてしまったとのこと。垂直に見える岩山をザイルで登っている写真。真冬のアルプスを、雪をかき分け登っている写真など。
お別れ会の始まる前に集合写真を撮った。普通は親族だけの写真が相場であるが、お別れ会に来られた方も全員入れての、にぎやかな写真となった。今日のお別れ会も通夜と同じく72009_03290003 0名は見えている。今回の葬儀は無宗教のため、坊さんはいない。お別れ会が始まるとバックグランドミュージックが流れ、彼の勇姿がスライドショーになって現われる。大阪YMCA山岳会に入って30年近くなれば、今では大ベテランの存在だったことだろう。どの写真も満面な笑みだ。大阪YMCA山岳会の代表の弔辞は涙を誘う。会では彼は「おっちゃん」の愛称で呼ばれていたそうだ。遺影を見る限り、おっちゃんには程遠いが、還暦を過ぎていれば、若い者からみればそう見えるのだろうか。おっちゃんは口数は少ないが、ぼそっとしゃべる一言が皆の心に残るようだ。スキークラブの方の弔辞にも涙が出てとまらない。年末には気力を振り絞って長野へスキーへやってきたそうだ。そして彼と年に一度であるが、会って話をするのが楽しみとのことだった。
兄貴さんは、長年弟が正月に帰省しないので何でや?と思っていたが、亡くなって初めて理由が分ったようだ。そのことは最後のお礼の言葉に表されていた。田舎から出て来た者にとって、都会は生き馬の目を抜かれるほど怖いところだ。山仲間は入院したと聞けばOBもかけつけ、励ましてくれたそうだ。これだけの沢山の山仲間に支えられていた弟は、短かいながらも最高の人生を送ることができたと、感謝の辞を述べていた。大阪の人は人情にあついを再認識させてくれ、大阪LOVEを声高々に。
女房は私が家を出るとき「弟さんは楽しい人生だったのだろうか」と言い、私は「楽しいは、なかったのでは」話していた。認識不足もはなはだしい会話で、まったく恥ずかしい限りだ。
初めてのお坊さんのいないお別れ会(葬儀)に出たが、これはこれで中々良いものだった。参列者が義理で来ている人が誰一人いないのが特筆ものだ。
大阪市立の火葬場は大繁盛をして、10あるすべてが稼働していた。火葬場からの帰りに妹の旦那さんが残念そうに言っていた。それは弟が故郷に一度帰りたいと言うので、2月に計画をしたそうだ。しかし2月になると体力がどんどん落ちて、とても鳥取まで車で帰れるような状態ではなくなり、断念せざるを得なかったことだった。
何か戦争中の望郷の念に駆られる話とダブってしまう。桜の花を見ることなくあの世へ旅立ってしまった弟さん。もう苦しまなくてもいいんだよ。安らかにお眠りください。合掌。

コメント (3)
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ボケの花も満開だ

2009-03-28 01:17:58 | 

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[豆知知識]
・学名Chaenomeles speciosa(シノニムC. lagenaria)
 学名のspeciosa は 美しい、華やか 、Chaenomelesは 「chaino(開ける)+ melon(リンゴ)」が語源。
・花言葉は「先駆者」「指導者」「妖精の輝き」「平凡」。
・バラ科の落葉低木。
・実が瓜に似ており、木になる瓜で「木瓜(もけ)」とよばれたものが「ぼけ」に転訛(てんか)したとも、「木瓜(ぼっくわ)」から「ぼけ」に転訛したも言われる。
・帰化植物(平安時代)。
・原産地:中国大陸。

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お陰様で爺さんが退院した

2009-03-27 04:31:07 | 健康・病気

3月26日(木曜日)

爺さんが入院したのは2月10日だった。沖縄から帰って3日目の朝、いつもと様子が違うので主治医の往診をお願いした。往診予定時間は午後2時過ぎだったが、その間に爺さんの容態がどんどん悪くなるのが手に取るように分る。女房一人では心細いので、70歳を超えた元看護婦のおばを迎えに行き来てもらった。血圧、脈拍を測ってもらうと時間が経過するごとに落ちている。主治医が早く来てくれないかと思うも、なかなか時間が経たない。ようやく見えてほっとするも血圧、脈拍、血中酸素を測ればアブナイ数値だ。主治医は直ぐに携帯電話で、救急病院の院長に空き部屋があるか確認をしている。幸いにもあるとのことで救急車を要請した。直の間にピーポーピーポーと鳴らしながら救急車がやってきた。田舎故、何ごとが起きたかと、近所の家から沢山の顔がのぞいている。先日も救急車が来たが、その家のお婆さんは亡くなったので今度はあそこかと。
主治医は救急隊員に血中酸素が○○なので、酸素供給量いくらにして欲しいとなどと依頼している。救急車にはオバが乗り、その後をおっかけて車で病院へ行った。待合室でしばらく待っていると院長が家族を呼び、レントゲン写真を見せながら説明をしてくれた。話によれば肺炎を起こしているので、かなり重症と思って欲しいとのことだ。その夜は親類へ、もしものことがあるかもとメールをしておいた。92歳故、今度はひっょとしてと最悪の事態が頭をよぎる。
入院当初は爺さんも弱っていたので、四六時中、点滴、酸素マスク装着をしていても何も問題は起こらなかった。しかし病状が良くなれば動き出す。病院は完全看護なので付き添う必要はないが、真夜中12時過ぎに病院から電話が入った。「病院からです」と聞けば、容態急変かと誰しも真っ先に思うことだろう。しかし話は「ベッドから降り、大声を出し徘徊して困っているので付き添いに来て欲しい」とのことだった。毛布をかかえて急いで病院へ行った。看護師詰め所に爺さんは隔離され、何事もなかったのごとくスヤスヤと眠っていた。爺さんがベッドから降りるのは、トイレに行きたい衝動からのようだ。大声を出すのは家でもよくあることで、戦争時の夢を見ればすぐに敵と戦う。爺さんに「病気なのでベッドから降りてはダメ。オムツの中で出して」と言い聞かせるも慣れないことは大変そうだ。この日から親類のオバ、女房の友達のIさん、三男が交代で夜中付き添った。三度の食事も長い間交代で介助してもらい、家族以外を巻き込んで心苦しかったが大助かりだった。10日ほどで肺炎の症状は無くなり快方に向かった。病気が治れば病棟が変わり、今度はリハビリ病棟へ移った。
入院前の状態にするのが目標だが、これがそう簡単には出来ないようだ。3週間近くリハビリをしたが、これ以上望めないと言うことで退院の運びとなった。在宅介護での一番の悩みはトイレ問題だ。女房の体が健康で頑丈であればいいのだが、無理な姿勢でおむつ交換をすれば、また体調が悪くするのではと心配をしている。病院では看護師二人がコンビで手際よくやっているが、家での交換は、小ならまだしも大であれば一人では大変だ。さっそくにトイレに行ってパンツを下ろさずやってしまい「今さっき換えたところだったのに・・」と女房の嘆きが聞こえてきた。
私が早くおむつ交換の学習をすればいいのだが、ウンコが苦手で・・・・。田舎の弟が、婆さんが撒き散らしたウンコを始末したの話を聞いた時は、ようやるもんだと感心した。しかし今はそんなことを感心している場合ではない。 「やれ~」と天の声が聞こえてくる。 「カンニンして~な~」と抵抗する自分がいる。
今回の入院に際し、女房の友達のさんには、多大なるお世話になり女房ともども感謝している。親類でも無い方にここまでやってもらうと天使としか思えない。有難うございました。

[余録]救急車で運ばれたのが、沖縄に到着した時だったらと想像するとぞっとする。「ああ~良かった~」が実感である。普段の行いが良ければ天も味方をするものだ。

コメント (2)
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