新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見!

東京から移住して”新甲州人”になった元観光のプロが探訪する”山梨の魅力再発見!”
旅人目線の特選記事を抜粋して発信!

13) 乾徳山恵林寺 境内「精進料理・一休庵」

2011-02-25 | 山梨、郷土食と温かいもてなし!

初春の”恵林寺・一休庵”に、なにげない”温かいもてなし”があった!

甲州市塩山に、武田信玄の菩提寺「乾徳山恵林寺」があります

・・・開山夢想国師の名園、江戸幕府老中柳沢吉保公の墓所などもあり、特に宝物館には、武田家ゆかりの文化財等が数多く残されています。”桜の恵林寺”とも言われ・・・、四季折々の魅力もあって、訪れる人々は多いところです。

・・特に、第1・3土曜日と第2日曜日の座禅会は、静かな時間が好きな方にはお薦めです。「諸縁を放下し、万事を休息す」といわれ、せっかくなら、座禅体験にあわせて訪ねられると・・・、リフレッシュの旅で心豊かになります。

近くして・・・、奈良・京都の古寺の旅に、劣らない雰囲気がここにはあります!

無料なのが・・・、また気をそそりますネ。

詳しくはこちらから・・・、http://www.erinji.jp/newpagezazen.html

山梨県甲州市塩山小屋敷2289 ◎JR中央本線塩山駅下車バス10分恵林寺前下車

                     ◎中央自動車道「勝沼IC」より10.8km約20分

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乾徳山恵林寺

・1330年

二階堂貞藤創建

・開山は夢想国師

・信玄ゆかりの「不動明王」や江戸幕府の老中「柳沢吉保の墓所」などもあり、拝観をするだけで、気持ちが洗われる名刹です!

恵林寺山門

・「安禅不必須山水、滅却心頭火自涼」

・織田、徳川軍の焼き討ちにあった時、快川国師が「・・・心頭滅却すれば、火も自ずから涼し」と唱えて、百余人の僧と火に呑まれた山門の碑で、参詣の時は、ぜひ山門を見逃さないようにして欲しいです!”歴史の刻み”を痛感しますよ。

恵林寺に関する詳細は:http://www.erinji.jp/でご覧ください。

その恵林寺境台に、「精進料理・一休庵」があります。

Photo_3 「精進料理 一休庵」

”門前のそば”の気軽さで食事に立ち寄れる本格的な精進料理屋さんと紹介しておきましょう。

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心和む

炬燵の

座卓

・冬は、今でも、”暖かい炬燵での料理のもてなし”

簡単な紹介は:①甲州市の観光 http://www.koshu-kankou.jp/member/tour/19an.html 

②地域の「牧丘タクシー」HP http://www.makiokataxi.com/sub2_2_3_ikkyuan.htm

名物”ほうとう”、”そば”、”おざら(ざるうどん)”などは、精進料理の板場の心意気が伝わり、”けっこう、つやがあって美味しい”です!

・本格精進料理のメニューは、「ikkyuan_shojinryori.pdf」をダウンロード で紹介します。

・何しろ、冬は、お客様が寒い外の空気にさらされて来られるので、少しでも暖かくして、お迎えしたいと・・・、今でも、店内では、昔ながらの炭火の火鉢と炬燵の座卓で、料理が食べられるのです。

何と・・・、心まで温まる接遇ですね!?電気ガスの冷暖房機が普通の世で、わざわざ、希少な炭を調達し、火鉢で炭火を熾すのは、とても手間がかかり、今では、扱いも大変なのですが、「それでも、お客様が喜んで頂けるならば・・・」と、昔ながらの暖をとって”もてなしてくれる”店主の心意気が嬉しいですね!

・今でも、炭火を熾して・・・、温めてお迎えしようとする”その心使い”は本物です!

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冬でも東京と比べて気温はそれほどの差はないが、都会では珍しい炭火の火鉢が暖かい!美しい炭火の色が心を癒やしてくれます。

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・暖かい座布団を敷いた昔ながらの”縁台”とテーブルも、お客様は結構、くつろいでいます。

・筆者も、ちょくちょく自転車で”そば”を食べに寄りますが、今では気に行った指定席ができています。自転車で訪ねる客は珍しいこともあって、”今日も自転車ですか?”と言って、”ALLWAY”の心で、迎えてもらえます。一休庵の八木さん(奥さん)や星河さんや皆さんは、皆、明るく、ほどほどの何気ない気配りで、接遇してくれて、とても気に入っています。

・皆さんはとても”シャイ”なので、無理にお願いして、下の一枚だけ撮らせてもらいました。

優しいもてなしが良くわかるでしょう!?

今回は、贅沢に、能舞台であった板敷の間の炬燵で、”名物ほうとう”を食べました!

Photo_7心の籠った暖かいもてなし

名物「精進ほうとう」Photo_8

「一休庵」は、恵林寺境内の縁で精進料理が主流ですが、”そば”、”うどん”、”ほうとう”も、精進料理の板場の腕をふるって、とても良いセンス(食感)で食べさせてくれます。

・精進で作る”ほうとう”は、一切肉類は使わないので、秘伝の味噌味に、七種の野菜と、味の決め手になる”栗カボチャ”を特にこだわって煮込んでいるようです。また地元野菜もそのまま煮込んで野菜の味を引き出す工夫と煮加減が特徴のようです。旬の七種野菜を煮込んだ具だくさんの”ほうとう”です。

筆者も、元気で自転車を漕げるうちは、時々、一休庵の蕎麦やおざらを食べに行きたいと思っています。東京から友人が訪ねてくると、案内するうちの一軒を紹介しました。

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付録ですが・・・

”ほうとう” 山梨を訪ねれば、どこへ行っても”ほうとう”で・・・、珍しくもありません。

ほうとう”は、昔ながらの庶民の日常食(郷土料理)なのです。

・東京の友達は、ほとんどの者が、”ほうとう”は食べたことがありますが、”それほど美味しい、美味しい”と言う人はあまりいないのだということを、ブログ”富士吉田のうどん”でも触れました。

私は、「美味しいと思えば、心が籠っていて美味しいし・・・」、こんなもんだと思えばこんなもの」とよく言います。

しかし、”ほうとう”は何? と知ってもらうと、味わいが変わります!?

ほうとう”は、ウイキペディアによると、山梨県(甲斐国)を中心として作られる郷土料理。2007年農水省の「農山漁村の郷土料理百選」に一つに選ばれている。

・小麦粉を練り、ザックリと切った麺を野菜とともに味噌仕立ての汁で煮込んだ料理の一種。

・一部地域では、小麦粉以外の穀物も使う場合もあり、”すいとん”のような小塊も見られ、必ずしもうどん状の長い形であるとは限らない。

・富士北麓では、ほうとうと同一の粉食文化をもつ「吉田のうどん」がある。

・呼称は、”ほうとう”が一般的だが、「おほうとう」、「ニコミ」「ニゴミ」(郡内の一部)「ノシコミ(ノシイレ)」(河内地方)と呼ぶ場合もある。

注)甲州弁で「ごんぱち」という木製のこね鉢で水分を加えた小麦粉を素手で練り、生地をのし棒で伸ばして、おり重ねて幅広に切り刻む。うどんと異なり、生地にグルテンの生成による麺のコシは求められず、生地を寝かせることは少ない。

また、塩も練り込まず、湯引きで塩分を抜く手間がなく、生麺の状態から煮込むところに特徴がある。

・汁はみそ仕立て、だし汁は煮干しでとるのが一般的だが、その中でも特に具のカボチャの煮崩して溶かしたのが美味とされるので、カボチャの味にはこだわっている。

・具は、野菜が中心になり、夏には、ネギ、玉ねぎ、ジャガイモ、冬はカボチャや里いも、ニンジン、白菜、シイタケ、シメジなどのキノコ類を入れる。豚肉、鶏肉を入れる場合もある。

・家庭では、大鍋で作ることが多いので、余ったほうとうは、翌日の食卓にでることもあって、沸かし返しによって、とろみがでて味も熟れてくるので、好む人が多い。

ほうとうの歴史

山梨県内では、南アルプス市の二本柳遺跡から戦国時代の石臼が出土しており、考古学的には中世後期(1160年平氏政権以後、戦国時代末期までを言い南北朝時代境に以後が後期)に、「ほうとう」の起源にあたる麺類が食べられたと考えられている。従って、信玄の時代に普及したとする説はうなずける。しかし、甲斐国は山間地が多いため、稲作に恵まれなかったので、農民は五穀、特に小麦粉などの粉食が主食であったと言われているので、信玄の時代よりもっと昔から”すいとん”や”だんご”汁など、”うどん状でない”食べ方や”他の具を何でも入れた雑煮”などで食べられていたのであろうと思われる。

甲斐国では、近世、養蚕の普及により桑畑化が進み、裏作での麦栽培が一般化したことで、粉食体系が発達したものと言われている。

・また、農地といえども山間地が多く、稲作に適さないため、特に郡内地方では、溶岩台地で水利に恵まれず、富士山の流水を引いた水掛麦が栽培されたことなどで、「吉田うどん」や「ほうとう」などの粉食料理が根付いたようです。

・広く伝わる説としては、奈良時代の漢字辞書「楊氏漢語抄」に「餺飥(ハクタク、ハウタウ)」として登場するので、ハウタウの音便が語源とされている。”うどん”と同じく中国伝来の料理の流れをくむものと云われている。

・山梨県の郷土民族研究の立場では、江戸時代中期の甲府勤番士日誌「裏見寒話」において、穀物の粉を「ハタキモノ」と呼び、作業を「ハタク」と呼ぶことから、ほうとうの語源は、「ハタク」あるいは「ハタキモノ」が料理名に転用されたのが妥当と言う説もあるが・・・、説得力はないようです。・・・学者にまかせておきましょう。

・「宝刀」、「放蕩」など語源説もあるが、これらは、山梨県において歴史的資源を活かした観光業の発展過程で生まれたものが多く、信憑性はないようだ。

武田信玄が、稲作が難しい甲斐国で、粉食料理を奨励したとか、信玄の陣中食として普及したなど、いろいろな話が伝わる。時は、川中島の合戦(天文22年1553年~永禄7年1564年)の陣中とか、永禄12年12月10日(1569年)北条軍と三増峠での激戦の帰路、2万の大軍に甲州街道の農民が野菜、小麦粉、肉類などを雑煮として供したのがほうとうの起源といわれ、その後、改良を繰り返して現在のほうとうになった(甲州ほうとう研究会)等説があるが、なるほどと思うことがあれば、そんなことを想いながら食べることで、(美味しいというより)”味わい”が増すのではないでしょうか!?か!

郷土食(料理)は、全国、何処でも、”美味しい”と言うより、”味わい”があるという言葉が似合うと思いませんか?

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