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2018.3 岐阜・長良川温泉十八楼は芭蕉の中国・瀟湘八景と西湖十景のたとえに由来~町家づくり散策

2018年04月19日 | 旅行

2018.3 岐阜城を歩く ①長良川・十八楼 松尾芭蕉 川原町

 2018年3月2日・金、名古屋駅のコインロッカーからキャリーバッグを出し、15:30発JR東海道線快速に乗る。120%ぐらいの混雑だったが、座れた。といってもわずか18分で岐阜駅に着いた。
 東海道線に乗るのは、まだ新幹線が開通していないころの修学旅行、学生時代の研修旅行以来になる。それも目的地は京都・奈良だったから、途中駅の岐阜に降りた記憶が無い。
 岐阜駅は駅前ロータリーが整備され、2階デッキ通路が道路をまたぎ、向こうには高層ビルが建ち上がって、地方中核都市の雰囲気だった。

 自由通路の観光案内所で地図やパンフレットをもらい、今日の宿がある長良橋行きのバス停を教えてもらう。2階デッキを下り、岐阜バスに乗る。残念ながら私のスイカカードは反応しなかった。
 初めての街並みをのんびり眺める。バスは長良橋通りを北に走り、10数分で長良橋バス停に着いた。目の前が長良川である。ぐるりと見渡すと、右は急峻な山で・・標高329mの金華山・・山上に岐阜城が見える(写真、後報ホームページ参照)。
 あとで岐阜県庁あたりの標高を調べたら8mほどだったから、金華山山頂までの高さは320mほどになる。東京タワーのてっぺん、106階建てのビルの屋上まで階段を上ると考えれば、なかなかの難所である。岐阜城は来られるなら来てみろ、といわんばかりに見下ろしていた。

 反対側に目を移すと、今日の宿「十八楼」が見えた。長良橋の土手を下ると、格子をはめ込んだ家並みが続いていて、数軒目が十八楼だった。
 十八楼はコンクリート造だが、歴史を感じさせる家並みに調子を合わせて、瓦葺きの庇、格子戸、板壁で仕上げている(写真、後報ホームページ参照)。
 歴史のある家並みへの気配りががいい。自動の格子戸が開くと、和服姿のスタッフが明るく迎えてくれた。フロントはほどよい広さで落ち着く。奥にロビーがあり、ガラス張りを通して長良川が見える。開放感のあるロビーで居心地が良さそうだ。
 家並みへの気配り、明るい出迎え、居心地のいい雰囲気、いい宿を選んだと実感する。
 だいぶ前から、旅先の宿はweb情報で選んでいる。よく利用するのはJネットとRトラベルで、いくつか候補を見つけ、宿の公式ホームページと照らし合わせながら、絞り込む。
 ところが、ホームページが巧みに編集されていることが多く、実際に泊まってみると予想との落差を感じることが少なくない。十八楼は予想通りのいい宿のようだ。

 部屋は長良川に面した最上階で、和モダンのつくりである。最近、和モダンのつくりが多くなった。昔ながらの和室は、いくら数寄屋風に贅を尽くしても、年とともに立ち振る舞いがおっくうになってきた。
 和モダンは和風のつくりにベッド、イス・テーブルの組み合わせで、ツインベッドの洋室よりも落ち着く。長良川に面して食卓になるイス・テーブルが置かれていて、後述の夕食はこの食卓でいただいた。

 十八楼では、宿泊者向けに30分ほどの川原町ミニツアーを開催している。17:00、ボランティアの古老がまずロビー奥の十八楼のいわれとなる松尾芭蕉の銘板を紹介してくれた(写真、後報ホームページ参照)。
 松尾芭蕉(1644-1694)は40代の貞亨4年1687年、伊勢にお参りしたあと大坂を経て京に向かい、1688年、大津から岐阜に入り、さらに善光寺に参拝して江戸に戻った。たいへんな行程である。
 岐阜では、長良川沿いの草庵にしばらく滞在し、・・美濃の国ながら川に臨みて水楼あり・・伊奈波山後に高く・・岸に沿う民家は竹のかこみの緑も深し・・暮れがたき夏の日・・鵜飼いするなど・・瀟湘の八のながめ、西湖の十のさかひも涼風一味のうちにおもいこめたり・・此楼に名をいはんとならば十八楼ともいはましや・・このあたり 目に見ゆるものは 皆涼し・・と書き残したそうだ。
 このあたりの眺めの涼しさは中国の名勝である瀟湘ショウショウ・・中国湖南省の名勝八景、山水画の伝統的な画題・・の八と、西湖・・中国浙江省の名勝十景・・の十をあわせたほど優れていると感じ、水楼を十八楼と名付けたようだ。
 芭蕉は中国を訪ねていないが、山水画や漢詩でなどで瀟湘八景、西湖十景に親しんでいたのであろう。それにしても瀟湘、西湖を引き合いに出すとは、涼しげな風景がよほど気に入ったようだ。
 芭蕉が滞在した水楼のその後は定かではないが、江戸時代、現在地に山本屋が開業し、1860年、芭蕉の記憶を伝えようと十八楼に改称したことなどがロビーの一角のパネルに紹介されていた。
 十八楼のいわれの説明のあと、古老と川原町散策に出た。このあたりは古くから舟運で栄えていた。町が栄えていたから芭蕉もここに滞在したに違いない。もしかすると、舟で長良川を上ってきたのかも知れない。
 明治時代には物流拠点としてますます栄え、大正時代には関西からも鵜飼いを目当てにした観光客で賑わったそうだ。
 通りには間口が狭く奥行きの長い町屋が格子戸を連ね、歴史的な佇まいをいまに残している(写真)。川原町は、長良川と運河に挟まれていて、そのため通りを挟んで奥行きの長い短冊形の町割りになったようだ。
 古老の案内で喫茶・ギャラリーを営業している古民家を見学したら、通り庭に沿って座敷が並び、坪庭を挟んだ奥にが建っていた。蔵横の木戸を開けると、階段が運河に下っていた。まさに舟運で商いをしていた町屋づくりである。300~400mほど歩くと町外れになり、Uターンして宿に戻った。

 日が落ちると急に冷え込んでくる。さっそく湯処・川の瀬に向かう。内湯のシルキーバス、薬草湯は身体に優しい感じ、長良川に面した露天風呂は風が涼しくほてった身体に心地よし、しかし極めつきは旧家の蔵材を転用した豪快な木組みの蔵の湯である。贅沢なひとときを過ごした。
 部屋に戻ると、長良川を眺む窓辺に食事の準備が始まるところだった。部屋食は家でくつろいでいる気分になるし、長良川を見下ろせて開放感がある。和室の部屋食の場合、食卓が部屋の中央で窓辺が遠い。立ったり座ったりがおっくうだし、食後の布団敷きが気になる。和モダンの部屋食は、イステーブルで動きやすいし、「食寝分離」で落ち着く。

 生ビールを飲んでいるころカミさんが湯から戻ってきた。さっそく食前酒の紀州の梅酒で乾杯する。彼方の山の輪郭も次第にかすんできた。いまは鵜飼いのシーズンではないので長良川は静かに流れ、川に映った対岸の灯りが波にゆらいでいる。といっても芭蕉のような句は浮かんでこない。
 十八楼特製生酒を飲みながら、お通しの桜風味豆腐、筍と赤蒟蒻の木の芽味噌和えなどの前菜、蛤潮仕立ての吸い物、鮪・勘八・甘海老のお造り、サーモン西京焼き花山葵をいただく。生酒の次に岐阜羽島の銘酒・千代菊をもらう。餅米饅頭、飛騨牛鍋、茶碗蒸しが終わると、なんと鮎雑炊が出た。これはおいしい。飛騨赤蕪・高菜・守口漬けを合わせていただいた。最後にデザートを食べ、完食、食べ過ぎたかな。ごちそうさん。
 もう一度、露天と蔵の湯につかる。雲が出ているようで、星は少なかった。眺めよし、湯よし、食事よし、気分よくベッドに入る。続く

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