2009.9 バルト3国の旅 ラトビア8 リガ旧市街を歩く <世界の旅・バルト3国右往左往>
リガ旧市街を歩く/猫の家
火薬塔からメイスタル通りMeisutaru ielaを南に曲がると、遠目には重厚に見える建物が左に見えた(写真)。よく見ると、3階まで外にせり出した柱の頂部に、対になった男女の像が彫られている。遠慮がちなデザインだが、ユーゲントシュティール様式=ラトビア語jugentstils=フランス語artnouveauである。
ラトビア教育科学省らしい。ユーゲントシュティール建築で練られた政策は、伝統を踏まえながらも進歩を積極的に採り入れようとする姿勢を感じる。
メイスタル通りを南に歩くと、リーヴ広場Liveu Laukumsに面して、ガイドブックに猫の家Kaku Maja=The Cat Houseと記された建物が建っている(写真)。1909年に建てられたこの建物もユーゲントシュティール様式で、外観は明るく軽やかに仕上がっている。外観からは猫の家のいわれが想像しにくい。
ガイドブックには、建て主はラトビアの裕福な商人で、ドイツ人が主体の同業者組合である大ギルドgreat guildへの入会を希望したが、入会を断られてしまった。憤まんやるかたないラトビア商人は建物の屋根の左右の小塔の上に、背中を丸め尻尾を上に伸ばし、いまにもドイツ商人に飛びかかろうとする猫の像を取り付けた。以来、猫の家として観光名所になったようだ。
カメラのズームアップで見ると、確かに小塔の上に飛びかからんばかりの猫の像が乗っている(写真、web転載)。
大ギルドから猫の像の苦情がきたが、ラトビア商人は「規則を満たしているのに入会させてくれない、規則のない猫が自由に振る舞っているのに苦情を言われる筋はない」、と答えたそうだ。
猫はネズミを捕らえる習性があり、ヨーロッパではネズミ退治のため船乗りが船猫ship's catを乗せ、航海の安全のシンボルとして大事にする習わしがあるらしい。
以前読んだ二宮隆雄著「風炎の海」(book455)は江戸時代末期、千石船が遭難し、船頭たちが太平洋をなんとか生き延び、イギリス船に救われ、カリフォルニア、カムチャッカを経て帰国する実話を下敷きにした物語だが、守り神として千石船に猫を乗せ、その猫がネズミ退治をする話が盛り込まれている。船猫は世界共通かも知れない。
ラトビア商人は、ギルド商人の守り神である猫を逆手にとって自分の正当性を表そうとしたのであろう。ギルドが排他的だったのか、ドイツ商人がラトビア商人を嫌ったのか?、いつの時代にも似たような話がある。協調した方が互いの利益になると思うが・・。
リガ旧市街を歩く/リーヴ広場
猫の家が面するリーヴ広場Liveu Laukumsの中ほどに花壇が波模様で造園されている(写真)。この波模様はかつてここが川だったことを象徴しているそうだ。
webを調べる。もともとこのあたりにダウガヴァ川Daugavaに流れ込んでいる支流の一つリジェン川Ridzenes upiが流れていた。
・・前述ダウガヴァ川沿いのリガ城は支流を利用して城の堀割にしていたとの説もあるらしい・・。
16世紀?に起きた大洪水で上流のライ麦が流れ込み・・たぶん畑の土砂も流れ込んで・・、リジェン川は狭く、浅くなり、その後川は埋め立てられたらしい。
・・前述城門・城壁で、砂丘の砂で埋め立てたようだと紹介したが、大洪水の前までは、リジェン川などの支流は運搬などのため残されていて、支流の埋め立ては大洪水後ということになる・・。
このあたりは旧市街の中心として賑わっていて、近くには大ギルド、小ギルド、ロシア時代のコンサートホール、猫の家を始めとするユーゲントシュティール建築などが建ち並んでいた。
第1次世界大戦で爆撃を受け、埋め立て後の広場を始め建築物は大きな被害を受ける。破壊された大ギルド、小ギルドはラトビア交響楽団のコンサートホールとして再建された。広場も波模様花壇が造園され、定期的に野外コンサートが開かれるそうだ。
周りにはレストラン、カフェ、オープンカフェが並び、地元の人々、観光客で賑わっていた。
リガ旧市街を歩く/double coffee &知人と奇遇
リーヴ広場Liveu Laukumsからアマトゥ通りAmatu ielaを歩きリガ大聖堂に向かう。今朝9:30ごろホテルを出てから、2時間近く歩き通した。オルガンコンサートは12:00開演なので、少し時間がある。トイレ休憩にドゥァマ広場Doma Laukumsに面したガラス張りで明るいカフェDouble Coffeeに入った(写真、web転載)。
カタカナ英語でコーヒーとカプチーノを注文する。動きのいい店員がうなずいたから通じたようだ。3Ls≒600円で、日本より安い。物価が安定しているのもあろうが、ラトビア人のコーヒー好きもうかがえる。
念のためwebを調べたら、2002年、駅に近い新市街のstabu ielaに最初のカフェが開店し、たいへんな評判になり、2003年に5店、2005年にはラトビアのみならずエストニア、リトアニア、ベラルーシなどに16店を構えるほど急成長したそうだ。ドゥァマ広場店は初期のチェーン店のようだ。明るい雰囲気、美味しいコーヒー、値段が安い、店員がにこやかならば、人気が出るのもうなずける。
感じが良かったので、翌日の15:00過ぎにもトイレ休憩でdouble coffeeに入った。コーヒーを飲み終え、トイレも済ませ、現金で支払いをし、扉を開けたら、なんと、かつて同じ勤め先で、すでに退職したKさん、Hさんが目の前を歩いていた。2人はグループツアーの見学中だったので、突然の出会いに驚き、互いの健康を確かめるだけで話を終えた。
このとき、19:00開演のリガ大聖堂コンサートがツアーに組まれているのを聞いたので、開演前に互いに探しあい、近況などを話し合った。
トイレ休憩でもう少し長居をしたり、ツアーグループがもう少し早いか遅いかすれば、最初の出会いは起きない。最初の出会いがなければ、19:00からの同じ場所でのコンサートを聴いているのに気づかず過ぎてしまう。そう思うと、縁の不思議さを感じる。
続く(2020.4)