<日本の旅・奈良の旅> 奈良を歩く11 2013.3 室生寺1 修円・女人高野・表門・仁王門・鎧坂・弥勒堂
橿原ロイヤルホテルで朝食をとりながら今日の予定を確認する。目指す室生寺は橿原神宮前駅→大和八木駅乗り換え→室生口大野駅→1時間に1本のバス、長谷寺も長谷寺駅から徒歩15分と交通の便はよくない。お水取りのオプションツアーまでには大和西大寺駅のかんぽの宿奈良にチェックインしなければならない。
橿原神宮などは次の機会にお預けとし、朝食後、目の前の橿原神宮前駅に直行する。近鉄橿原線で3駅目の大和八木駅でキャリーバッグをコインロッカーに預け、近鉄大阪線に乗り換え、5駅目の室生口大野駅で降りる。
数人がバスを待っていた。ほどなくバスが来た。私以外はすべて女性である。女人高野といわれるようにかつて室生寺は女性を受け入れる数少ない寺だったため、女性に人気が高いようだ。
およそ15分、バスは室生川手前の停留所に着く。室生川は室生寺の山塊をぐるりと迂回して流れていて、川に沿った道も迂回し、古びたたたずまいの料理屋、商店、旅館の家並みに入る。旅館橋本屋の手前の女人高野室生寺と刻まれた石柱を目印に左に折れると、朱塗りの欄干の太鼓橋があり、その先に室生寺表門の屋根が見える。
旅館橋本屋は、五木寛之氏が「百寺巡礼 奈良」第一番室生寺を訪ねるときに泊まっている。本にも紹介されているが、宿の女将の話では、土門拳氏が「古寺巡礼」の室生寺を撮影するときに何度も橋本屋に泊まったそうだ。
旅館橋本屋を眺め過ぎ、太鼓橋を渡る。川筋が開けているせいか、橋を渡ってもここから室生寺、といった結界は感じない。
かつてこのあたりの山あいは室生山と呼ばれ、山岳信仰の地だったらしい。平安京に遷都する桓武天皇(737-806)がまだ山部親王だったとき、この霊山で法相宗興福寺の賢環ら5人の高僧が親王の病気平癒を祈願した。親王は平癒されたことから室生寺が創建され、賢環の高弟修円が実務に当たった。修円は最澄、空海と並ぶ優れた学僧らしい。室生寺は山林修行の道場、法相、真言、天台などの兼学の場となった。
女人高野と呼ばれるようになったのは鎌倉時代以降とされる。五木氏は、徳川5代将軍綱吉の母・桂昌院が寄進し堂塔の復興が行われたので、女性に門戸が広げられたという説を紹介している。
当初は法相宗だったが、1694年に真言宗になったそうだ。
太鼓橋を渡った正面が表門で、真言宗室生寺派大本山室生寺の看板が掛かっている(写真)。
手前には女人高野室生寺と刻まれた石柱が立つ。親切な道案内だが、続けて2本の案内を立てるとは、よほど女人高野を強調したいようだ。
表門は切妻屋根、板葺きの薬医門で歴史を感じさせるが、説明や特記はない。表門は本坊専用の入り口のようで、参拝受付は右の先になる。
参拝受付を済ませ、仁王門で一礼する(写真)。1965年に再建された板葺きの入母屋屋根の楼門で、木部の朱塗りが鮮やかである。左右には再造された仁王がいかめしい顔でにらむが、風景が開放されているためか、仁王門も結界を感じさせない。
仁王門の手前の川沿いに樹齢150~200年の3本の杉が空に伸び上がっていて、三宝杉と名付けられているが、見過ごした。
山は杉を始めとした叢林で覆われている。植物の生長に適した地味なのであろう。3月の参拝だったので花は見られないが、室生寺は四季それぞれに花が咲き乱れ、まぶしい若葉や燃えるような紅葉、輝く黄葉が堂宇を彩るそうだ。
仁王門を抜けると、参道は左のうっそうとした森の中に折れる。見上げるような石段の上に金堂が待ち構えている。石段は、鎧のさねのように見えることから鎧坂と名付けられている。呼吸を整えながらゆっくり上る。
一段、一段と石段を踏みしめていると、気持ちがだんだんと集中してくる。雑念が消え、平らかになる。結界は物理的な境目が多いが、こうした気持ちが平らかになる石段も心理的な結界だと思う。渡る世間で怖い目に遭う、思うようにことが進まず疲れた、亡き人を偲びたい。煩悩はつきない。寺を訪れ、ゆっくり石段を踏みしめ、気持ちを平らかにして本尊に目を合わせると煩悩が昇華される、そう願いながら石段を上る。
石段の上り始めでは金堂の屋根は単層に見えた。上るにつれ、金堂の全形が見えてくる。次第に堂の姿が現れてくるのも深遠な世界の演出であろう。上りきると正面に、単層だが懸造(かけづくり)の金堂が姿を現す。
ところが、鎧坂からは隠れて見えなかった弥勒堂が、石段を上りきると忽然と左に現れる(写真)。
弥勒堂(鎌倉時代、重要文化財)は間口3間、奥行き3間、杮葺きの入母屋屋根である。もともとは修円が興福寺に創設した伝法院で、鎌倉時代に当寺に移設された。移設したときは南正面だったが、室町時代に東正面に改められたそうだ。江戸時代にも改造を受けている。
軒先が伸びだし、軽やかさ、優美さを感じさせるのは江戸時代の改造だろうか。人によって好みは異なろうが、私は金堂よりも弥勒堂の優美さが好ましく感じる。
堂内中央の須弥壇に本尊弥勒菩薩立像(写真web転載、平安時代初期、重要文化財)、隣に釈迦如来坐像(平安時代初期、国宝)が安置されている。どちらも榧の木で彫られていて、顔立ちは柔和である。合掌。 続く(2021.9)