2016年5月、京都を訪ねた。初日、まず国宝石清水八幡宮へ。参拝後、南総門を出る。
南総門から参道が南に下っている。向こうに三の鳥居が見える。男山全体は森になっていて、参道の両側は緑が広がり、すがすがしい気分になる。
右手にエジソン記念碑があった。アメリカ人エジソンは発明王として教科書でも習った。発明の一つが白熱電球だが、wikipediaを読むと、イングランド人ジョゼフ・スワンが炭素フィラメントで白熱電球に成功していて、エジソンは試行錯誤のうえ、竹をフィラメントに用いて長時間使える白熱電球に改良した。だから白熱電球に関しては発明王ではなく改良王が正しいようだ。
ところがエジソンが先に特許を取得したため、イングランドではエジソン&スワン連合会社=通称エジスワン社を創設し、セルロースフィラメントの白熱電球を製造し始めた。これがその後の業界基準になったそうだ。
エジソン社は竹フィラメントの白熱電球を作り続けたが・・たぶん竹入手に限界があり・・、ゼネラル・エレクトリック社と合併して、セルロースフィラメント電球の製造に切り替えた。のちにタングステンのフィラメントに改良され、いまにいたっている。
だから白熱電球はスワンが元祖になるが、竹フィラメントの白熱電球をエジソンが実用化しているから、日本人としては竹フィラメント白熱電球発明王エジソンが親近感がある。
さかのぼって、エジソンは、フィラメントに適した竹を探すため、世界各地の竹を集めようとした。エジソンの調査員が伊藤博文総理大臣、山形有朋外務大臣の紹介で京都府知事に会ったところ、知事は岩清水八幡宮を紹介し、ここの真竹を使った実験で1200時間点灯に成功したそうだ。
さらにwikipediaを調べると、岩国出身の藤岡市助が明治初期に設立された工部省工学寮=のちの工部大学校の電信科で学び、首席で卒業後、銀座にアーク灯を点灯させている。
藤岡はフィラデルフィア電気博覧会視察の帰路、ニューヨークでエジソンに会い、それをきっかけに日本での竹フィラメント白熱電球製造を目ざした。のちに東芝の前身となる白熱社を興し、国産の竹フィラメント白熱電球の量産に成功している・・始めて知った・・。
エジソン記念碑には、境内の竹がエジソンのフィラメントとして使われたことぐらしか触れていなかった・・小さな文字の説明をさあーと読んだだけだから、見落としがあるかも・・。記念碑の横に巨大な竹フィラメントを用いた電球とスワン、エジソン、藤岡市助の顔が並んでいれば、もうちょっと関心が深くなったかも知れない。
パンフレットには、エジソン記念碑の先、三の鳥居の手前に一つ石が描かれている。足もとに注意すると、石畳の参道の中ほどにちょっと盛り上がった石がはめ込まれてた。パンフレットを見ていないと見過ごしてしまうほどの石である。お百度参りの目印にしたそうだ。いまどきお百度参りといっても通じそうにない。
三の鳥居をくぐり、振り返って社殿に一礼してから階段を下ると左に折れ、かなり急な階段になる。緑がうっそうとしてくる。これが表参道で、やがて平坦な石畳になる。緑が覆った石畳を風が吹き抜ける。緑が多いと風がすがすがしくなる。散歩風の人もいる。男山を上り、八幡宮に詣でる散策コースが身近にあるのは羨ましい。
表参道のゆるやかな坂道を下ると右に大扉稲荷社が現れ、道が分かれる。右に折れると七曲がりになり、男山の南東の麓に出るらしい。下ってしまうと駅まで大回りになるし、道は不案内なので、左の階段を選び、男山を上ることにした。
パンフレットには松花堂跡と書かれている。松花堂弁当は、塗り物の弁当箱のなかに仕切り板が入っていて、刺身、焼き物、煮物、ご飯などが並べられた弁当である。懐石料理の流れを汲み、発案者がここ石清水八幡宮の社僧である松花堂昭乗だそうだ。
幕の内弁当と似ているが、幕の内弁当は本膳料理の流れを汲み、歴史はもっと古いらしい。庶民には駅弁などで馴染みのある幕の内弁当の方が廉価で、松花堂弁当は料亭などでもメニューに載っていて、高価なイメージがある。
ただし、松花堂跡には柵があるだけだった。松花堂弁当の模型でも置いておけば、由来が分かったし、さらに幕の内弁当の模型も並べておけば、社僧・松花堂昭乗の功績が理解できたのにとも思うのだが。
右の石畳を上ると、石清水八幡宮の由来となった「石清水井」が左に現れる(写真)。冬の厳しい寒さでも凍らず、暑い夏でも涸れたことのない霊泉とされる。触ると冷たい。ひしゃくもあり、飲めるようになっている。手を清め、右手の石清水社に参拝する。
以下略、続く。石清水八幡宮がエジソンや松花堂弁当にゆかりがあるとは知らなかった。新しい知識との出会いは旅の醍醐味だ。