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2023.2岡山 吉備津彦神社を歩く

2023年12月23日 | 旅行
日本を歩く>  2023.2 岡山 備前一宮吉備津彦神社を歩く


 13:55に香川・宮浦港を出た四国汽船旅客船は、定刻通り14:10に岡山・宇野港に着いた。宿に預けたキャリーバッグを受け取り、14:42宇野駅発のJR宇野みなと線に乗る。列車は地元の人でほどほど賑わっている。駅ごとに乗り降りする人も多い。どの駅にも瀬戸内芸術祭のデザインが残されていた。
 15:29に岡山駅に着く。予約済みの駅レンタカーに乗り、吉備津彦神社を目指す。
 以前、備中松山城、鬼ノ城、吉備津彦神社、吉備津神社などを訪ねる計画を立てたが、コロナ感染の猛威で中止にしたことがあった。そのときに高田崇史著「QED鬼の城伝説」(book508参照)、西村京太郎著「十津川警部 吉備 古代の呪い」(book510参照)を読んだ。
 「古事記」「日本書紀」をきちんと読んでいないが、かつて備前・備中・備後・美作にまたがる広大な吉備国があった。朝鮮からの渡来人・温羅が吉備国に製鉄文化をもたらした。鉄は農業を革新的に発展させ、鉄剣は強力な武器になった。その温羅の居城が鬼ノ城とされる。
 強大な吉備国に大和朝廷の力も及ばなかったらしい。10代崇神天皇は北陸、東海、但馬=山陰、西海=山陽を平定し、支配下に置こうと四道将軍を派遣する。吉備国の山陽に派遣されたのが7代孝霊天皇第4皇子・五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)=大吉備津彦命(大吉備津日子命とも表記)である。
現在の吉備津彦神社の南東、吉備津神社の東は標高175mの吉備の中山である(次頁図web転載加工)。言い換えれば、吉備の中山の北東に吉備津彦神社、西に吉備津神社が位置する。山には天津磐座(神を祭る石)があり、古代より神の山として崇敬されてきた。大吉備津彦命はこの山の神に必勝を祈り、激戦の末、温羅を討ち取る。のち、吉備国を治めた館跡に大吉備津彦命を祀る社殿が建立された。この社殿が吉備津彦神社の始まりになり、吉備津彦神社は備前国一宮として崇敬されてきた(後述の吉備津神社は備中国一宮)。


 ナビに吉備津彦神社を入れ、岡山駅から県道242号線を西に走り、県道61号線を右折する。JR桃太郎線=吉備線・備前一宮駅手前の左に石の大鳥居が見える(写真)。少し過ぎて第1駐車場に車を止め、大鳥居まで参道を戻り、一礼する。
 参道の両側は、近くを流れる笹ケ瀬川から水を引き入れた大きな神池で、右の鶴島に海上安全の神、左の亀島に水の女神がが祀られている。吉備津彦神社の奥は吉備の中山なので、大吉備津彦命は山を背にして手前に防衛のための堀を構え、のちに神池と名づけられたのではないだろうか。参道から鶴島神社、亀島神社に一礼する。
 神池を過ぎると正面に随神がにらみを効かせた随神門が構えている(写真)。1697年、本殿などとともに池田藩主の建立である。ここから境内になる。
 境内の左右に巨大な石灯籠が建っている(写真)。高さは11.5mもある。1859年、天下太平を祈願して1670名もの人々が寄付をしたそうだ。1853年の黒船来航は岡山にも伝わっていただろうから、人々が渡来人温羅に勝った吉備津日子命に天下太平を祈願したのであろうか。


 石灯籠の先は石垣が積まれた一段高い神域になる。山麓に建つ神社仏閣では斜面に立地するため、奥に向かうほど高くなる配置は珍しくはないが、吉備津日子命が防衛のために石垣を築き館を構えたようにも思える。
 石段を上ると拝殿が建つ(写真)。拝殿に続いて祭文殿、祭文殿に続いて渡殿が建つ。いずれも銅板葺き入母屋屋根で、1697年、池田藩主により本殿などとともに建立されたようだ。拝殿で二礼二拍手一礼する。
 拝殿、祭文殿の横を回り込むと瑞垣に囲まれた本殿を望むことができる(写真、左奥が本殿、右手前が渡殿)。
 本殿は桧皮葺切妻屋根の三間社流造で、軒回りなどには金箔がきらめく飾金物が使われ、格式の高さをうかがわせる。
 建立は、拝殿、祭文殿、渡殿とともに、1668年、岡山藩主池田光政が建設を始め、1697年、光政の跡を継いだ岡田綱政が完成させたそうだ。


 本殿は吉備の中山を背にして北東を正面とし、本殿、渡殿、祭文殿、拝殿、随神門、大鳥居は一直線に並んでいる。夏至の日、日の出は大鳥居の正面から昇り、祭文殿に飾られた鏡に差し込むことから「朝日の宮」と呼ばれた。これは古代の太陽信仰に通じ、吉備津彦神社が太陽信仰のもとに創建されたことを象徴するとされる。
 子どものころ聞いたおとぎ話「桃太郎」の桃太郎が大和朝廷から派遣された大吉備津彦命、鬼が渡来人の温羅で、桃太郎が鬼退治をするおとぎ話として伝えられたとする説もある。
 林のなかに祀られているいくつかの社に一礼しながら境内を巡り駐車場に戻った。17:00に近い。夕暮れになると寒さを感じる。吉備津神社参拝は明日にして、今日の宿に向かう。宿の名は・・吉備路である。温泉につかりながら、おとぎ話桃太郎として伝わる、日本書紀、古事記では凶悪な敵にされた温羅と温羅を討ち取り吉備国を治めた大和朝廷の勇者大吉備津彦命に思いを馳せる。歴史は勝者によって伝えられる。真実は謎に包まれ、物語が夢想される。 
(2023.12)

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