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つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

沖縄・今帰仁中央公民館の設計は、ヴァナキュラーな知恵を新しい空間創造へと飛翔させている

2017年01月18日 | 旅行

2005 今帰仁村中央公民館 Central Community Hall of Nakijin/沖縄県帰仁村/象設計集団+アトリエモビル/1975  /2005.6(写真図はホームページ参照)

 沖縄の集落(=字)は、ユイマールの言葉に象徴されるように団結力が強い。その中心となるのが字ごとの公民館である。
 字公民館はさほど大きくないが字の中心的な位置=重心にあり、いつも開け放たれていて、学校帰りの子どもがカバンをここに投げ出し字広場で遊んだり、宿題を教えあったり、通りすがりの大人が立ち寄っておしゃべりに花を咲かせたり、夕食が終わってだいぶしのぎやすくなるころに若者が集まって祭の準備を話しあったり、まさに字の共同空間として使われる。
 初めて沖縄を訪ねたのは1980年代だが、まず共同空間としての字公民館から強い印象を受けた。この印象が数年後の今帰仁村崎山・仲尾次・与那嶺における空間認識調査につながっていくことになる。

 今帰仁村中央公民館は、字公民館の印象をはるかにしのぐ強烈さがあった。2005年に訪ねたときは屋根を覆いつくしていたブーゲンビリアはきれいに剪定されていたが、かつてはこんもりと屋根を覆っていて、森と見誤って通り過ぎたこともあった。
 屋根をブーゲンビリアで覆い、涼しさをつくり出す発想は、ガジュマルの緑陰がつくる涼しさの連想と大竹康一氏、内田文雄氏が述べているが、ガジュマルの緑陰からどうしてブーゲンビリアの屋根が発想されるのか。やはり、象設計集団のたぐいまれなる力量を見せつける。

 この緑化された屋根が中庭を囲むようにコ字型に展開する。この屋根の下にいくつかの部屋が回廊といくつかに分けられた吹き放しの土間を介して配置されている(写真)。
 とりわけ中ほどの開放されたホールは中庭に象徴的に立てられた3本の柱をアイストップにするように中庭に連続していく(写真右手)。
 これは字公民館の土間~広場、そして集落へと連続する空間構成に共通し、公民館が外=町へと連続する、言い換えれば町が公民館に入り込む構成をとっている、といえる。

 回廊は、機能でいえば沖縄の日差しや雨を防ぐ民家の雨端に共通するが、それは町なかで通りすがりの人が家人と気楽に立ち話をする空間に似て、それぞれの部屋の活動に気軽に参加できる空間的仕掛けでもある(上写真・中写真)。

 沖縄の民家や集落に見られる空間的な仕組みは、ヴァナキュラーな様相を残す民家、集落ではどこでもそうだが、そこに住み続けてきた人々の思いの空間化に他ならない。
 字公民館が字の重心的な位置にあって人々の拠り所になっていることとほとんどの字公民館が自力建設で建てられたことは同意であり、故に、字公民館には人々に共有された空間的仕組みが織り込まれていく(下写真の柱の足下には地元の人による石が埋め込まれている)。
 建築家にはそれを発見する力量が必須なのである。その発見がなければ、中央公民館は単なる箱にとどまってしまう。
 人は用があれば公民館に来るであろうが、用がなければ来ないし、ましてや人々の自発的な活動を引き起こすことなどとても望めない。
 建築をつくろうとする者はその土地で人々の思いの空間的仕組みを発見しなければならない。がそれ以上に、その発見を新しい空間創造へと飛翔させる力量が必要である。
 中央公民館はそのことを改めて教えてくれる。建築を目指す学生はまず沖縄の集落を歩き、ここでそれを学び取って欲しい。

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