学年だより「サクラ ~卒業できなかった君へ~(2)」
震災によって命を奪われたたくさんの人たち。その中には当然受験生もいた。
受験生でなくても、自分たちと同世代のたくさんの若者たちが波にのまれていった。
生命の危機を脱したものの、住むところも、通うべき学校も、友達も失った若者がいた。
そういう状況を目の当たりにすることになった受験生たちは、入試で思うような結果が出せずに浪人させてもらえることに自然と感謝の念を抱いたのではないか。
自分たちに与えられた時間のかけがえのなさを、無意識のうちに感じていたのではないか。
みんなはどうだっただろう。
震災の後、計画停電があったり、電車が平常ダイヤにもどっていなかったりした時期に、小学6年生のみなさんは、当時の状況をどう受け止めていただろう。
みなさんと同じ年で、小学校の校庭で波にさらわれ、未来を失った子ども達がたくさんいた。
~ 最後に見たあなたは いつも通りの笑顔だった
行く宛てのない気持ちだけ 進んだ時間を巻き戻す
桜 花びらが散る あの日この場所で
ひらり風に吹かれて 何を思っていたんだろう
桜 花びらになり いつか会いに行く
桜 花びらが舞う 一緒に見ていた夢を
ふわり空にのぼった あなたに送りたい あなたに送りたい
(半崎美子「サクラ ~卒業できなかった君へ~」CD『うた弁』日本クラウン) ~
この一年、受験生としてどんな時を過ごすことができるか、どういう結果になるのか。
それを決めるのは、自分に与えられた時間のかけがえのなさを自覚できるかどうかだ。
受験勉強の出来が人間の価値を決めるものではない。
どの大学に入ったかが、または卒業したかが人間の価値を決めるものでは全くない。
しかし、受験勉強にどのように取り組むかという姿勢は、まさしくその人の物事への取り組み方を表す。
それは高校生活全体に対する取り組み方であり、大きく言えば人生の過ごし方である。
日々を積み重ねた結果を人生というなら、一日をどう過ごし方かがその人の生き方だと言える。
やる気がわいてこないからとか、今一歩気持ちがのってないから、などと言ってはいられないことが、人生には多々ある。
我が身の生命の危険が予測されてさえ、男にはやらなければならない時もある。
人として、男として、やるべきことにどう立ち向かうか。
物事に逃げずに立ち向かっていく力は、今年一年の過ごし方で十分に養うことができる。
懸命に自分を磨くことのできる場を与えられた今この時に、感謝しようではないか。
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