水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

伝われ

2022年02月10日 | 学年だよりなど
1学年だより「伝われ」


 川口市芝にある小さな一軒家の一室で、テレビに映し出されるマイケル・ジャクソンを一心不乱に見入る小学生がいた。
 小学校でうまく立ち回れず、一人の時間をすごすことが多かったその少年は、マイケルの圧倒的なパフォーマンスの裏側にある寂しさを感じ取ってもいた。
 ダンスも歌も楽曲も、すべてそれまでに聞いた他のどの音楽ともちがう、そしてどこか切なさを感じる。この人は、なんか自分と似ているかもしれないと少年は夢中になった。


~ 初めて自分の歌を作ったのは、たしか14歳だった。
 親からおさがりでもらったガットギターで、古くびろびろに伸びたナイロン弦をそのままに、音の少ない簡単なコードで歌い始めた。技術も歌心もない、それはひどい、もうまったくひどい歌だった。
 高校生になり、カセットテープでアマチュア・レコーディングができる機材を友人から借り、宅録を始めた。親が誕生日に買ってくれた、小さくチープなドラムセットに毛布やタオルケットをかぶせ、音が近所に響かないように録音した。重ねて入れるギターも声も、迷惑にならないほどほどの大きさに。自分の声がとても嫌いだったから、シンガーソングライターになろうなんて考えていなかった。ただの趣味であった。 ~


 自由の森学園を卒業した彼は、一人暮らしを始める。
 六畳一間、風呂無しの安アパート。バイトにはげみ、劇団に入り、夜は作曲した。ギターを弾く音はつつぬけになるため、最小限の音量で作曲する。雨の日だけは、おもいきりギターを弾けた。


~ 夜中、眠れないときはいつも歌を作った。
 詞を書き、作曲しながら、今、これが誰かに届けばいいと思った。
 この、隣の部屋にも聞こえない小さな歌が、ラジオの電波のようにどこかへ飛び、今誰かが受信しているはずだ。そう思い、妙に確信していた。
 でもそれは、若者特有のナルシスティックなどうしようもない願いだとも思っていた。クズであり、敗者であり、1円の価値もなく何者でもない人間の無様な幻想だと思っていた。


 二十歳の時、高校の同級生を誘い、インストゥルメンタルのバンド「SAKEROCK」を結成する。
「何者でもない」人間が、業界に一歩足を踏み入れることになる。バンドのメンバーの一人だった浜野謙太は、今や役者さんとして引っ張りだこだ。
 雑誌の対談で知り合った細野晴臣氏に勧められ、ボーカルでデビューする。ファーストアルバム「ばかのうた」はオリコン最高36位。CDショップ大賞にもノミネートされる。
 2作目のアルバム「エピソード」は、オリコンチャートで5位。一気にメジャーへの階段をかけあがっていくかと思われたが、2012年、くも膜下出血に倒れ、活動休止を余儀なくされた。
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