「群馬県蚕神総合調査報告会」を開催
7月21日(土)午後1時30分より、前橋市文京町2丁目、群馬県生涯学習センターの4階第1研修室で「群馬県蚕神総合調査報告会」を開催しました。
ここに「群馬の蚕神」として、その「報告会」を持つことが出来たことは、昨年の8月1日に25名の調査員(伝道師)で発足した「蚕神総合調査」のプロジェクトチームが約1年に及ぶ中で調査の実施・調査票の作成と取りまとめ・原稿の作成と校正等々を経て纏めた結果です。
この日は35度を超す暑い一日でしたが、会員(伝道師)や一般の方々を含め120余名という多くの参加を得ることが出来ました。
午後1時30分には、この蚕神総合調査プロジェクトチームリーダーの町田睦伝道師の司会で「報告会」が始まりました。
はじめに富岡製糸場世界遺産伝道師協会近藤 功会長からは「あいさつ」として、『当協会は平成16年から「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界遺産登録を目指して県民運動の中心的存在として活動をして来ました。当時は、こちらから語り掛けるとほとんど「あり得ない」との逆風の中を世界遺産の価値を語り続け、平成26年にカタールのドーハで開催された世界遺産委員会で登録を実現することができました。世界遺産登録運動を続ける中で、かつて群馬県が誇った養蚕業の衰退で隆盛時に行われていた「蚕」に関わる民俗行事も忘れ去られようとする状況にある。「運の虫」と呼ばれる蚕の飼育の厳しさや難しさから、心のよりどころとして「蚕神」を祀る養蚕信仰を大切にしてきた。伝道師の中には世界遺産登録運動の過程で忘れさられそうな「蚕神」の調査を個人的にでも纏めたいという動きがあり、協会として部分的な調査ではなく群馬県全体の実態把握と群馬県の養蚕業の発展と養蚕信仰の分析などができたらと考え、プロジェクトチームを作り、チームリーダーの下、飯島康夫新潟大学准教授の指導を受けつつ調査に取り組むことにした。この調査事業を推進するのにあたり、サントリー文化財団の助成事業に応募しましたが、採用を見送られました。そこで、この調査事業は、群馬県内の養蚕農家の激変は、養蚕信仰の調査を後ろに追いやれない状況と調査を担当する伝道師の高齢化も相まって調査時期として待ったなしの状況でしたので、平成27年にサントリー文化財団か頂いた地域文化賞の副賞を資金に実施することにしました。印刷製本費は、これで何とか捻出できましてが、調査研究費にまでは手が回らず調査員(伝道師)は手弁当で過酷な環境の中を奔走しました。すでに人が近寄らなくなり荒廃した荒れ野の中や崖の上等々厳しい場所も多々ありました。この結果から見学コースも作成し、これらを世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の基盤を支えた養蚕業への熱い思いを感じることで、地域振興の一助になればと思っています。 この「報告書」は、調査員の苦労の賜物であるだけでなく、会員(伝道師)全体の汗の結晶です。また「報告書」が地域の関心のある方々に活用いただき、役立つことを期待しています。』と述べました。
続いて、新潟大学人文学部准教授飯島康夫氏の「養蚕信仰と群馬の蚕神」と題しての講演を前に、飯島先生の略歴を町田リーダーより紹介しました。
講演は、『群馬の蚕神総合調査の意義は「この時期に調査し記録することにある。」として、次のような内容で話されました。
1.養蚕業の隆盛と養蚕信仰
・養蚕信仰とは、蚕が無事に成長し、多くの繭が取れることを願う豊蚕・豊繭の祈願と報謝である。
・養蚕信仰の背景は「運の虫」と言われ「蚕があたる」「蚕がはずれる」で養蚕農家の盛衰を左右する。
・養蚕は当たれば良いので、豊蚕を確実にするため、蚕神への信仰が隆盛し多様化した。
従って、この蚕神総合調査は「養蚕守護の神仏」をモノから明らかにすることにある。
2.群馬の蚕神―蚕神総合調査の成果からー
・養蚕農家の豊蚕の願いが切実であればあるほど、多くの神仏が蚕神として機能する。
・養蚕信仰の由来のひとつは、天竺より、うつぼ舟で豊浦に漂着し、養蚕の始まりとされる「金色姫伝説」は茨城県つくば市神郡にある蠶影神社を本社として、群馬県を含む関東地方を中心に広く信仰される。
・絹笠信仰の起源は不明である。
3.養蚕信仰の諸相―地域の祀り・家の祀りー
・蚕神を祀る単位としては、養蚕を営む地域の家々(ムラ、組、講)と養蚕の経営単位としての家ですが、この蚕神調査で報告された多くの神仏は、地域で祀られる神仏である。
・基本となる家で祀る蚕神として重要なのはオシラサマで、蚕室となる座敷の大黒柱に祀られる。
この蚕神総合調査による資料の集積は群馬の蚕神信仰研究の重要な基礎資料となることは間違いない。』と締めくくられました。
講演後、伝道師協会近藤会長より飯島先生に対して丁重なる謝辞が述べられました。
ここで10分間の休憩の後、午後3時から蚕神総合調査プロジェクトチーム町田 睦リーダーによる「目で見る群馬の蚕神」と題して調査結果の報告です。
今回の総合調査で「蚕神」と確認された件数は456件です。
1.県下の蚕神にみる特徴
(1) 蚕神が多い地域は数から見て中・西毛地域で、養蚕が盛んであったことを窺える。
(2) 文字塔が189基と圧倒的に多い。
(3) 本県は内陸部のため気象災害(雹害・凍霜害)による蚕霊碑が多く見られる。
(4) 蚕神の建立された年代は、大きく2つの建立期があったことが分かる。
(5) 蚕神名の多いものは、順に「蚕影山」「絹笠大明神」「蚕影大神」「蚕影神社」「蚕影大神」と、いずれも蚕影信仰系の神名で占められている。
(6) 仏教系の蚕神として「馬鳴菩薩像」が中国から伝わったとされ、県下の寺院に木像12体、石像4基、文字塔2基、画像1件の所在を確認した。
(7) 建立年の記銘率は全体では77%で、銘記率の高い蚕神は文字塔が87%、石祠が80%となっており、木像や木祠は30%と低くなっている。
2.蚕影信仰と絹笠信仰
(1) 本県における蚕神信仰の状況は蚕影信仰と絹(衣)笠信仰が主で、文字塔や石祠等「モノ」として現存している。
(2) 蚕影信仰と絹笠信仰の本県における分布状況は6対4で蚕影信仰に係る蚕神数が多いことが認められる。
3.「群馬の蚕神」の活用策
(1)今回の総合調査で確認された特徴ある蚕神を多くの方々に親しんでもらうため、自動車で巡る「群馬の蚕神巡りコース」を設定し、地域の活性化に役立てる。
(2)今回の調査で得た多くのデータ等の資料については、来春、新たに設置が予定されている「世界遺産センター」(富岡市)で保管するとともに、一部資料については一般に公開する。
(3)蚕神総合調査を「蚕神総合調査書」として記録に残すとともに、県下に残る蚕神の
保存と活用を図るための基礎資料とする。
3.群馬の蚕神巡りコースの設定
(1) 県下の12地域(12コース)を設定(25市町村)
(2) チラシの作成と配付
(3) インターネットによる公開。
(4) 市町村等に案内板・説明板の設置を要請。
このような内容で町田リーダーによる調査の報告が行われました。
以上で本日の「報告会」は、全てが予定どおりに取り運ばれ、午後4時を少し回っての閉会となりました。
参加された多くの方々には納得された面持ちで帰途に着かれる様子が印象に残りました。
上毛新聞記事
(N島 進 記)