忌まわしいカニバリズム(人肉嗜食)は実在する!
遠い古めかしい話ではなく、
昨日今日の話である・・・?!
その源流は何か?
(グロ厳重注意!)
その昔、
アンデス山中に墜落した飛行機の乗客たちが、
人肉嗜食で生き延びた「アンデスの聖餐」事件があった。
物議を醸したし、
西洋人は凄いことをするものだと驚いて、
その本を貪り読んだ記憶がある。
それは、
筆舌に尽くしがたい逆境に、
同情の余地も感じたものであるが、
同時に、
慄然たる思いも記憶に新しい。
その直後、フランス留学中の佐川一政氏による殺人、人肉嗜食事件は起こった。
逮捕されたが、後、精神病と誤診され無罪となったが、
日本送還後、精神病は否定され、
国外犯として再逮捕も検討されたが、
フランスの捜査協力が得られず、断念されて現在に至っている。
これなどは、
数奇な事件に過ぎないが、
案外、人肉嗜食が広く行われている事実であることを知ったのは、
ブログを書き始めてからだ。
人食い人種として、
一部の未開地域の出来事に過ぎないと考えていたのは早計であった。
さらに驚いたのは、
最も文明化された世界のエリート層では、
隠密ではあるが、
日常的にこれが行われているとの確信的報告がある。
耳を疑い、目を疑ったがどうも本当の様である。
何故、人肉嗜食は行われるのか?
やはり、人間も単なる食料に過ぎなかった。
というのが、結論である。
少なくとも、
そう考えている生命体が存在する事実がある。
そして、
さらにその生命体によって、
長らく地球は支配され、現在に至っていると現実がある様である。
その事について、
書こうとすると長くなるから、追々にするとして、
人間も食料に過ぎないという単純なる事実を押さえておきたいのである。
それが、
悪魔儀式と相まって、
地球支配の道具化されて来た事実を押さえておきたい。
誰しも自分が食料となることは忌み嫌う。
しかし、事実であるようだ。
まだまだ人間は進化の余地を残している・・・。
パンや、穀物は何によってもたらされたか?
進化への選択肢であろう。
人間が人間を喰らうのは、特殊であるとしても、
動物を喰らうのは、常識である。
つまり、
肉食は現代でも常識であるのだが、
食われる動物には気の毒な話である。
これがいつまで続くのか?
という問題が残されている。
最終的には、これも変化を遂げていくものと思われる。
アセンションがあるとすれば、
これも一つの進化の過程であろう・・・。
食わねば生きられないというのは、
物質界の鉄則だ。
相対的な捕食関係は厳然としてある。
今や、
求められるタンパク源として、
昆虫食料が注目を集めているが、
それとて相対的な捕食関係の断片に過ぎない。
哀しみの星地球が、
真にアセンションするなら、
この問題も避けては通れない道であろう・・・。
猟奇的な事件は、
事件として取り扱われるのは当然としても、
その根底には、
人間も単なる食料に過ぎないという歴史的背景を無視することはできまい。
それを、
儀式的にどう繕うとしても、
支配と被支配という相対的捕食次元を生きているという事実には違いない。
食う側が支配者で、
食われる側が被支配者である。
食われる側に思いを致すことが、重要である。
慈悲という観点に立てば、悔い改める以外にない。
同時に『食い改める』のも必要である。
Cannibalism in CHINA
Interview with a Cannibal
The Cannibal That Walked Free (2007)