飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

焼き場に立つ少年

2009-04-15 22:56:01 | 写真

あまりに健気に酷い、歴史の一コマ!!


 

 こう言う時もあったのだ。平和な日本のほんの少し昔........。


 

 誰もが生きることに必死であった。同時に、生ける厳かな敬意に満ちていた。涙一つ見せず耐え、ひたすらに死に直面していた。死に直面すると言うことは、生に真剣であると言うことだ。


 

 沈黙の中に送り、そして生きていく。


 

 悲しむ便(よすが)はない。
 それ故、哀しみは辺りを覆い、慄然の衝撃を醸す。
 ああ、人間は、何のために生まれてきたのか。
 何故に死んでゆくのか。
 その問いを厳粛に噛みしめる時が必要だ。


 

 雄々しく生きた、かの少年は、今何処.......。


 

一枚の写真《焼き場に立つ少年》
http://www.asyura2.com/0510/idletalk16/msg/886.html
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投稿者 SWAN 日時 2006 年 2 月 01 日 23:31:44: 5ZIUIYNeIYP/c

 http://www.asyura.com/0510/idletalk16/msg/886.html

高校生の授業のため、英語の教科書を読んでいた。

一枚の写真が掲載されていた。

赤ん坊をおぶっている少年の写真だ。少年は見事に「気をつけ!」の姿勢をとっていた。
戦後、進駐軍の兵隊がとった写真のようだった。
あの頃の日本人は、少年でさえこんな見事な面魂をしている。たいしたものだよなあ・・・。
それにひきかえ、今の・・・・。まあ、あの頃は貧しい時代だったから、弟や妹をおんぶして
遊ぶのはあたりまえの風景だったんだろ。それにしても、この見事な「気をつけ」はどうだ。
外人に写真を撮られるんで精一杯「日本男児」してるんだろうか。なんて、思いながら説明の
英文を読み進めていた。

 ばかだった。とんでもないバカだった。
あの、あどけないようすで眠っているとばかり思っていた赤ん坊は、

 死んでいたのだ!

 撮影されたのは、被爆後の長崎。まだ小学生である少年は、赤ん坊を背負い、裸足で一人、
焼き場に歩いてきたのだ。背負っている自分の弟妹である赤ん坊を火葬するために。
少年は、あの姿勢のまま、焼き場の前で5~10分たたずんでいたという。
少年のまっすぐ向けられた視線の先には、焼き場の炎が映っているのだろうか。その炎の中に
少年は何を見ているのだろう。何を見つめているのだろう。
堅く、堅く少年は口を結んでいる。声をあげて泣き出したい衝動を、必死で少年はこらえている。
 父は戦場へ行ったのだろうか。母は原爆で亡くなったのだろうか。他にだれもいなかったの
だろう。あの小さい体で、運命の全てを一身に負い、気をつけの姿勢のまま屹立している少年。

 涙が止まらなかった。今から60年前に確実にあった光景。しかも、どこにでもありふれていた風景。
 あの風景から戦後が始まったのである。

 今、僕らはあの少年に対し、どんな言葉が投げかけられるだろうか。
 何もありゃしない。語れる言葉など何一つない自分のうすっぺらさが強烈に身に沁みる。
 ただ、泣くしかないのだ。

 撮影した米軍の兵士は、後に写真家となったジョー・オダネル。彼のリビングにはこの写真が
今も飾られているという。
 絶望と悲惨さのただなかで、全身全霊で運命をこらえながら必死に屹立しようとする小さな、
本当に小さな存在。僕らは、この子たちに何を語れるのだろう?

 *未見のかたは、ジョー・オダネルのこの写真、ぜひに見ていただきたい。
そして、既にご存知の方は、私のアホさかげんを笑ってください。
 なお、授業は泣き崩れてしまったため、できませんでした。

 


【転載開始】「焼き場に立つ少年」の写真家ジョー・オダネルさんが死去(朝日新聞)
2007年08月11日16時05分

ジョー・オダネルさん(米国の写真家)が米テネシー州の地元インターネットニュースサイトによると、10日、同州ナッシュビルで脳卒中のため死去、85歳。

 米占領軍のカメラマンとして原爆投下後の広島、長崎に入り、被爆した市内の様子を撮影し、亡き弟を背負った被災少年の写真「焼き場に立つ少年」などで知られる。

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『直立不動の少年』+米従軍カメラマン、ジョー・オダネルのコメント
http://www.asyura2.com/0510/idletalk16/msg/890.html
投稿者 どさんこ 日時 2006 年 2 月 02 日 09:22:36: yhLXMcSQdrkJ2

(回答先: 一枚の写真《焼き場に立つ少年》 投稿者 SWAN 日時 2006 年 2 月 01 日 23:31:44)

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写真を撮影した米従軍カメラマン、ジョー・オダネルのコメント:

「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。・・・10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。・・・しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。

重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも足は裸足です。少年は焼き場のふちまでくると硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。

・・・少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。 この時私は、背中の幼子がすでに死んでいることに初めて気づいたのです。男たちは幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえ ました。


まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
 その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気がついたのは。

 少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。」

(朝日新聞社写真展コメントより抜粋) 【転載終了】


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