飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

漆間巌警察庁長官が「捜査費」で宴会を開いていた! !

2009-03-28 10:27:12 | ニュース

漆間巌氏と周辺情報!!第2弾


 今回は、少々長い。全体の構図を、後に明らかにするために全文転載する。今般の『小沢公設秘書逮捕時件』は、今に突如として起こされたモノではない。周到に企図された、官僚・警察国家路線の伏線上に発生した事案であることが明白である。

20090310124537


 

 この事は、民主国家の危機を意味する。管理統制国家への歩みが始まっている。その一部が、露呈したに過ぎない。麻生政権があまりにふがいないモノだから、謀略官僚が慌てて表に飛び出した格好だ。


 最近、麻生首相が顔色を失っているのが気づかれるであろう。もはや、麻生首相の独壇場では政治は動いていないのである。寧ろ、麻生首相も恫喝されているのかも知れない。所詮、首相も繰り人形になった。


 体制維持の死にものぐるいの戦いが始まっている。


【転載開始】http://www.news.janjan.jp/column/0902/0902026684/1.php

内閣官房に「権力の暗部」抱える麻生政権―警察庁出身副長官・漆間巌の存在理由

田中良太2009/02/04
 麻生内閣の看板の公務員制度改革が人事院の抵抗で難航し、事務官房副長官の漆間巌が機 能していないためだと指摘されている。だが、麻生首相が漆間に期待するのは政府全体の調整役ではなく、元警察庁長官として刑事と公安の両情報を収集し、警 察権力を政治運営に利用することだとみられる。今後、漆間のこうした動きに注目すべきだ。
NA_テーマ2

 ◆難航する公務員制度改革
 麻生太郎内閣の大きな課題のひとつ、公務員制度改革が難航している。1月30日を期限として設定していた「工程表」の決定を見送り、2月以降に先送りせ ざるを得なかった。幹部人事を一元化する「内閣人事・行政管理局」への機能移管に人事院が抵抗、調整がつかなかったためだ。

 行革担当相・甘利明は3月中の関連法案の国会提出を目指し、1月中の工程表決定にこだわってきた。人事院は各省庁の給与に連動するポストの定数(級別定 数)を決める権限を持っている。この権限を内閣人事・行政管理局に移さないと、柔軟な人事配置ができないとして人事院に移管を求めてきた。

 ◆人事院総裁の抵抗
 前日の29日、自民党公務員制度改革委員会は人事院が同意しなくても政府が工程表を決めることを了承。これを受けて、甘利は人事院総裁の谷公士(まさひ と)に電話し、30日に予定していた国家公務員制度改革推進本部への出席を求めた。しかし谷は推進会議への出席を拒否した。甘利は「反対は結構。ちゃんと 説明してほしい」と迫ったが、谷は応じなかった。河村建夫官房長官の判断に持ち込まれ、政府内で摩擦を生まないよう時間をかけるべきだとして、先送りが決 まった。

 ◆事務官房副長官が機能していない
 どうして人事院がここまで抵抗するのか? 政府・自民党で浮かび上がっているのが事務官房副長官の漆間巌が機能していないという指摘だ。

 事務官房副長官は、事務次官会議を主宰し、議長役を務める。つまり各省庁事務次官のまとめ役なのである。行革が大きな政治課題として浮上して以後、官僚の抵抗の強い事項については、事務官房副長官が説得役となってきた。

 さいきんでは石原信雄(自治省出身)、古川貞二郎(厚生省出身)といった事務官房副長官が「長期政権」だったが、これに類した問題では、「官の抵抗」が突出しないよう抑え込んできた実績がある。どうやら現職の漆間巌には、それが自分の仕事だという認識さえないらしい。

 ◆警察官僚・漆間巌の消極姿勢
 同時に漆間巌は、「天下り」抑制そのものに消極的であるといわれている。安倍政権時代の07年3月、当時の的場順三官房副長官が天下り抑制を中心とした 公務員制度改革をとりまとめようとしたさい、事務次官会議メンバー(警察庁長官は事務次官扱い)の中で突出した強い姿勢で「絶対反対」を崩さなかったこと で知られる。

 これは警察官僚の立場を代弁したものとされる。警察は膨大な「地元採用組」を抱えている。警視庁と46道府県警が、警察官採用試験を行い、それぞれ採用 する。その地元採用組が巡査からスタートであるのに対して、警察庁採用のキャリアは警部補付け出しとなっている。階級社会だから格差も歴然たるものであ る。

 その地元採用組も、最終的には本部部長や、署長のポストに就き、定年後は天下りする。中央省庁のキャリア官僚が、天下り先の面倒を見てもらえないという ことになると、その影響は必ず地方の警察官にも及んでくる。一定期間を経て後には、地方の天下りも「禁止」ムードが強まるはずだ。警察庁キャリアは、地元 組のためにも「天下り禁止」に与するわけにはいかないというのである。

 漆間は調整に乗り出さないだけではない。今回の騒ぎでは、人事院の抵抗を煽るようなことまでやっているらしいのだ。

 ◆警察官僚起用の意味は?
 なぜ漆間にはこのような行動が許されるのか。任命権者である麻生太郎首相が漆間に期待しているのは、官僚の世界の調整能力ではないからだ。

 事務官房副長官は、旧内務省系の諸官庁の事務次官OBから指名されるのが慣例となっていた。しかし厚生、労働、自治各省OBが多く、警察庁は意外に少な い。警察庁出身者としては田中角栄政権時代の後藤田正晴の例がある。しかし後藤田は警察庁長官となったものの、自治庁(その後自治省、総務省)の官房長、 税務局長を歴任した。

 後藤田の場合、自治庁で身につけた調整能力が買われての起用だと思われ、実際のちに中曽根康弘政権の官房長官となった時期も、優れた調整能力を発揮した。

 ◆嫌われた二橋正弘
 調整能力を重視するからこそ、厚生、労働、自治といった各省の次官OBが起用され続けてきたのである。石原・古川をついだのは二橋正弘(自治事務次官 OB)だった。二橋は03年9月、小泉純一郎内閣で副長官に任命された。さいきんの例では安倍晋三内閣成立のさい、再任される方が普通といえる。

 ところが安倍は二橋を嫌った。一つは女帝に道を開く皇室典範改正問題が理由となった。小泉首相(当時)は、首相自身の私的諮問機関「皇室典範に関する有 識者会議」(吉川弘之座長)をつくった。05年11月、女性天皇、女系天皇(母方だけに天皇の血筋を引く天皇)を容認する報告書の提出をうけて、06年の 通常国会にも皇室典範改正案を出すと意気込んでいた。

 この女性・女系天皇容認へのシナリオをつくったのが、古川・二橋両副長官だったというのが、安倍の見方だった。小泉は自民党内右派の強い反対によって改正案提出を断念したのだが、安倍はその反対派の一員だったのだ(麻生も同じだった)。

 もう一つは、04年5月、在上海総領事館員自殺事件があった。この館員が残した遺書には、中国公安当局と思われる男性に女性関係を指摘され、機密情報な どの提供を強要されたという主旨のことが書かれていた。この事件について外務省は、官邸への情報提供を怠ったとして、週刊誌などに批判された。

 この「事件」について、一部の週刊誌は、外務省が二橋副長官に相談したところ、二橋が「官邸に情報をあげるな」と指示したと書いた。安倍・麻生はともにその報道が正しいと判断。二橋を嫌った。

 ◆漆間を信頼した安倍晋三
 安倍内閣の事務官房副長官についても「漆間説」があった。安倍は2001年12月の東シナ海不審船事件のとき官房副長官だった。当時警察庁警備局長だっ た漆間が防衛庁などより早く北朝鮮の工作船と断定し、「重装備の可能性が高い」と言っていたことに強く印象づけられた。その後、漆間に面談を求め、拉致問 題だけでなく北朝鮮全般について詳しいことで、全幅の信頼を置くようになったという。

 しかし安倍晋三がじっさいに任命した事務官房副長官は、大蔵官僚OBの的場順三であった。的場は晋三の父・故晋太郎と親しく、晋三自身にとっては官界に ついてのコーチ役だった。漆間は当時、現職の警察庁長官だった。続投させた方がプラスというのが、安倍の判断だったとされる。

 ◆洞爺湖サミットが実現した理由
 安倍の漆間への信頼は揺るがなかった。2007年4月、翌08年日本が議長国となるサミット(主要先進国首脳会議)会場を、北海道・洞爺湖の「ザ・ウィ ンザーホテル洞爺リゾート&スパ」に決めたことは、それを示すものだった。警察庁長官の漆間が、「警備上最適」と推薦したのが、最大の理由だった。

 しかし漆間の推薦には、別の理由が指摘されている。ウィンザーホテル洞爺はもともと、北海道拓殖銀行系列のリゾート開発会社・エイペックス(本社・札幌市)によって建設された。しかしエイペックスは1998年3月に倒産、同年11月の拓銀破たんの一因となった。

 ◆会場のホテルは、「セコム所有」
 同ホテルはその後「ザ・ウィンザー・ホテルズインターナショナル」(本社・東京)の所有となったが、同社は大手総合警備会社「セコム」(本社・東京)の子会社であった。

 警備保障業界は、すべての企業が警察庁の子会社のような様相になっている。とくに漆間は業界との関係が深い長官として知られていた。年齢の離れた実兄 で、同じく警察キャリアだった漆間英治(最終ポストは中部管区警察局長)が綜合警備保障会社の社長となっていたからだ。業界トップのセコムにとっても、 ウィンザーホテル洞爺でのサミット開催は、いわば起死回生の策であり、社長・会長を経て最高顧問となっていた飯田亮が熱心に動き回っていた。飯田の代理人 となっていたのが漆間だったのである。

 ◆二橋の復帰と2度目の更迭
 安倍の「政権投げ出し」によって福田康夫が首相に就任したのが、07年9月。このとき福田は、閣僚はほとんど再任したが、内閣官房は長官に町村信孝を起 用、副長官も全員入れ替えた。事務副長官には安倍が嫌った二橋を復活させた。しかしポスト福田の首相となった麻生は、再び二橋を更迭、漆間巌を起用したの である。事務官房副長官の人事、具体的には二橋の扱いを見ると、安倍・麻生と福田の確執がいかに根深いものであるか明らかだろう。

 麻生が漆間に注目したのは03年9月の内閣改造で総務相に就任して以後。それまでタブー視されてきた朝鮮総連や解放同盟などがからむ事件にもメスを入れる総指揮官は漆間だとの噂を聞き、じっさいに会ってみて意気投合したとされる。

 ◆麻生の期待は情報と権力に
「調整能力なき事務副長官」漆間に麻生が期待しているものは何だろうか? 一つは情報であり、もう一つは警察を動かせるという権力である。日本の警察は全 国に網の目のようにはりめぐらした情報機関である。刑事警察は暴力団を、公安警察は左翼・右翼集団と政党全般を、そして外事警察は朝鮮・韓国人団体や外国 人を監視している。防衛省(自衛隊の情報部門)や検察庁(傘下に公安調査庁を持つ)などとうてい及ばない、最強の情報機関なのである。

 警察は当然、さまざまな事件を捜査する権力機関でもある。選挙違反など政治がらみの事件の捜査も含まれている。警察は公安部門と刑事部門の「二本立て」で相互に反目・対立しあっている。しかし漆間はその双方を渡り歩き、「両刀遣い」として知られる。

 警備業界のため、ひいては自分の利益のために洞爺湖サミットをやらせるなど「権力の乱用」は、使う方から見れば魅力的であろう。安倍政権下で、公務員制度改革をめぐって対立したときには、渡辺喜美の身辺を調べさせたこともあるという。

 ◆起死回生の秘策を練っている?
 支持率低迷に悩む麻生政権が「起死回生の秘策」劇を演じるとすれば、シナリオを書き、プロデュースする人材は漆間巌以外にはいないはずだ。

 いずれにしても、後ろ暗い部分の大きい「国家の暴力装置」代表を内閣官房に抱え込んでいるのが麻生政権であることは強く意識しておく必要がある。その暴力装置代表が動き出すタイミングは何時かを注目すべきだ。【転載終了】

 さらに、悪しき捜査費流用問題は、まだ、闇の裡にある。その闇に身を置く警察官僚は、数多い。決して、明らかにされることはない、と同時に、今もまだ、奥の院では堂々と宴が持たれている。正々堂々と、しかし、身内に甘い官僚世界独特の隠然たる堂々さで行われているのだ。そこに重大問題がある。しかも、それは、警視以上の特権である。巡査部長以下は、その資金を生み出すために、公金流用にための公文書偽造、同行使の違法行為が横行している。

 警察内部の犯罪の温床がそこにある。

 

Sousahi

【転載開始】2005年9月 9日 (金)

漆間巌警察庁長官が「捜査費」で宴会を開いていた!

http://incidents.cocolog-nifty.com/the_incidents/2005/09/post_cc21.html

 漆間巌(うるま・いわお)警察庁長官(60歳)が愛知県警察本部長時代(1996年8月20日~1999年1月8日)、「捜査費」(国費)で宴会を開いていたことが、筆者が情報公開法により入手した「3月分捜査費明細書」という文書からわかった。

「捜査費」はその名前のとおり、「捜査」に使う費用。それが漆間本部長(当時)らの飲み食いに使われていたとなれば、国民から強い批判が巻き起こるのは必至だ。

 漆間本部長(同)が「本部長激励慰労」なる宴会を開いていたのは、「平成9年(1997年)3月6日」。場所は「名城会館」(名古屋市北区・現在は存在しない)で、金額は「150,000円」。

 このような宴会が「捜査費」でまかなわれているのは違法ではないのか。愛知県警総務部会計課は、次のとおり説明する。

「捜査費の激励慰労費は、捜査活動に要する経費のうち、長期にわたる重要事件および困難な重要事件の捜査等に従事する捜査員等に対する簡素な激励のための経費です」

 あくまでも「捜査」にかかる「経費」だから、違法ではないということらしい。しかし、いくら「激励」という名目があっても、身内の飲み食いが税金で支払われなければならない理由はない。

 財務省主計局は、こう話す。

「警察庁から『激励慰労費は、単純な飲み食いとは違い、現場の捜査員の率直な意見交換に必要な経費』と説明されています」

 だから「経費」として認め、予算をつけているということらしい。しかし、「飲み食いしながらでなければ、率直な意見交換ができない」などという理 屈は、税金支出上、絶対に認めるべきではないし、そのような組織が捜査しているから、検挙率が26.1%(2004年)と低迷しているのである。

 筆者は漆間長官にもインタビューを申し込んだが、「個別案件についての長官へのインタビューは応じておりません」(警察庁広報室)と拒否された。【転載終了】


最新の画像もっと見る

コメントを投稿