「午(うま)歳生まれは強運すぎる人」の著者は勿論午歳。1954年午歳生まれの大和古流21世当主の友常貴仁氏です。香道、茶道、剣法、弓道まで文武百般を継承する家柄で著書多数。夫が知らぬ間に買っていて、断捨離の寸前で私が見つけて読みました。夫の干支は午でなくて、寅。私と長男が午歳であるため買っていたのでしょうか。
確かによいことずくめが書いてあり、面はゆいです。午歳は、楠木正成、織田信長、大伴家持、藤原定家、日蓮、千利休、左甚五郎、関孝和、福沢諭吉、松下幸之助、本田宗一郎、田中角栄、チンギス・ハーン、カール大帝、ニュートン、ショパン、メンデル、ルーズベルト、レーニン、金正日と続きます。それに聖徳太子まで。
考えてみればこれは全部男性です。でも著者は女性では秋篠宮紀子さま他を挙げておられます。わが家の長男と同じ年で、この年は丙午とかで、騒がれて、私は生むまで陰で「女だったらどうする気」とささやかれていたそうです。昭和41年(1966)年は、まだそういう時代でした。事実この年は出生数が低く、息子のクラスの人数も極端に少なかったです。この本によれば八百屋お七の丙午の話はいいがかりで何の根拠もないそうです。プラス思考で書かれているのがよいと思います。馬頭観音とか絵馬とかのいわれも詳しく書かれていて面白かったです。午歳の男性が読むと勇気が与えられます。
一つ気がかりなのは、著者はまだ60代のはずですが、調べてみると、書かれいてるブログが4年前でストップしたまま。どうされているのでしょうか。
プラス思考はよいですね。
丙午は出生数が低い、昭和の時代はまだそういう時代だったのだなあとつくづく思います。
ウチの息子たちなんて、自分の干支も知らないのじゃないかと思います。
私も帰省するたびに言われました。
6年後の令和はもう人口減少ということに
ならないことを願っていますが、他の
理由で減少は続くでしょうね。
とにかく54年前は、全国的に出生が減り
人口のグラフにも表れています。
孫は干支を知らないでしょうね。
かもしれないと思っております。
しかし昔は心配されましたね。
義兄の長男は昭和41年生まれですが出生まで母も心配しておりました。
これからはあまり気にしないのではと思われます。
どちらも男でよかったです。
まわりの老体の方に心配をかけていたのとを
後で知りました。内心女だったらどうしようと
はらはらしていたみたいです。
息子の教室はガラガラで後ろが広く空いて
いました。
母は午年ですが、全然運がなく気の毒なくらいでした。ですからこの題名を見て、度の干支にも運の強い日と弱い人がいると思いました。
でもこの本は興味あります。
著者のその後、知りたいですね。
干支で決まるわけではありませんので
あくのでもめやすだと思います。
お母上は幸せな方だと思います。貴女のような
才女を出産なさったのですから。
我が家は寅年の祖母が不運な人でした。
百人一首を暗記してゲームする家に生まれ
ながら夫に早死され苦労しました。
地主でしたから切り抜けましたが・・・
私も著者のことが気になります。