つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

後藤悦男先生の講演会

2013-04-28 | ボランティア
  先日(4/6)の予告しましたように、後藤孵卵場元社長の後藤悦男先生の講演会が、昨日ふれあい福寿会館で催されました。主催は、WFWP岐阜県連合会。80歳の現役大学講師ですが、とても迫力あるお話ぶりで、その年齢には見えません。若い人もよい刺激を得られたと思います。テーマは、「お役に発つ人生」。

 お父上が、会社を創設されたのですが、そのいきさつは想像も出来なかったです。13歳で大阪の薬問屋に奉公。ところが18歳で結核を発病。当時は不治の病ですから、神仏に頼るだけでなく、完全栄養食の卵を毎日、時には十個も食べながら、この卵により恢復。これを人様のために役立てようと考えられ養鶏の仕事を始められました。大変なご苦労の上、親鳥の一代交配種で改良を加え、卵をよく産む鶏を作ることに成功されました。

 悦男氏は、岐阜大学卒業後、兄上に続いて、昭和30年代に米国に留学。米国では岐阜の鵜飼などをアピール。特に出身地の根尾にある薄墨桜を伝えられました。米国人は東京や大阪のことはテレビなどで知っていたので、岐阜のことに興味を持ってくれたそうです。
 当時皇太子だった平成天皇と美智子妃のご成婚パレードは、全米に放映。とても感動されたそうです。

 やがて業界トップだった米国を追い越すことになるのですが、米国はデータだけの勝負であるのに対し、後藤孵卵場は、利潤だけでなく、あくまでも「人の役に立つ」ということがモットーでした。そこで差が出てくるのですね。
 岐阜の代表的企業ですから、昭和40年岐阜国体では、昭和天皇と会見。親しく話しながら、皇后陛下にひよこを見せると、「まあ、かわいい」と言われたそうです。

 樹齢1500年の根尾の薄墨桜は枯れ死に寸前だったのですが、樹木医の根の接ぎ木によって生き返ったことは知られています。238本の接ぎ木が、卵の白身によってなされたことを昨日初めて知りました。無菌で接着力があるからだそうです。

     
      講演会後の懇親会 先生は岐阜大学時代に私の父の教え子でもありました

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