米中国交回復へと至るニクソン大統領の訪中は1972年。毛沢東主席との会談で、北京の支配が及ばぬ台湾が話題になった▼「主席の著作は国民を動かし、世界を変えました」と持ち上げると、毛は北京周辺は変えたが台湾を率いる蔣介石は認めぬだろうと言い「彼は私たちのことを共産匪(ひ)と呼んでいます」と明かす▼毛は蔣を何と呼ぶのかとの質問は、同席する周恩来首相がひきとり「普通は蔣介石一味」。あけすけな回答に毛が加えた。「実際には、彼と私たちとの友好関係の歴史は、あなた方と彼との友好関係の歴史よりずっと長いのです」。おたくは台湾と親しいようだが中国の内政問題だよ、という牽制(けんせい)か。ニクソンは「存じています」と応じた(毛里和子・毛里興三郎訳『ニクソン訪中機密会談録』)▼バイデン米大統領と中国の習近平国家主席が米国で会談した。1年ぶり。バイデン氏が中国大陸と台湾を隔てる海峡の平和と安定を唱えれば、習氏は台湾への軍事支援をやめよと訴え火花が散ったが、途絶えていた軍高官の対話再開では合意したという▼立場は違えど現場が意思疎通を重ね、不慮の事態を避ける試みは賢明。少し安心する▼72年の会談の終盤、毛は体調がよくないと語った。ニクソンが元気そうに見えると言うと、見かけはあてにならぬと返ってきたという。表層に囚(とら)われ、事を見誤ってはいけない。
山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚(たん)』にどうあってもお酒をやめられない男が出てくる。なにせ、この男、9歳から飲んでいる▼貧しい暮らしである。赤ひげに飲む金があるのなら女房と子のことを考えてやれとしかられても、男は耳を貸さない。男の言葉が身につまされる。「冗談じゃあねえ、嬶(かかあ)やがきのことなんぞ考えてみろ、とたんに飲まずにゃあいられなくなるんだから」。家族を食べさせるため、どう金を工面するかで悩む日々。酒だけが憂いを忘れさせてくれたか▼「酒は憂いを払う玉箒(たまははき)」なら左党、とりわけワイン派は酔いのさめる話となる。フランスに本部がある国際ブドウ・ワイン機構によると、今年のワインの生産量は天候不順などの影響で過去最低レベルになる見通しだという▼世界の生産量の6割を占める欧州地域がまず不調。中でもイタリア、スペインが高温と水不足などで打撃を受けた。チリは2割減で、こちらは猛暑が原因とみられる山火事が影響した▼日本では猛暑の影響でコメの「1等米」の割合が低下したが、気候変動で荒っぽくなった自然は世界のワイン造りの邪魔をした▼在庫が豊富で今のところ価格高騰につながるおそれはないらしいが、1961年以来の「不作」と聞けば、頼りなく思う方もいるか。ガザ、ウクライナ…。「玉箒」で払いたくなるような「憂い」ばかりの世の中なのに。
タイガースファンの作家、小川洋子さんは阪神側に適時打や本塁打が飛び出し、球場の大型スクリーンでそれが再生されている場合はスクリーンではなく観客席の方を見るそうだ▼何万もの人が喜びを共有している。「この人も、この人も皆、うれしそうだなあ」。そう思えば勝利の喜びとは別に「人間へのいとしい気持ちが込み上げてくる」と書いていた(『犬のしっぽを撫(な)でながら』)▼小川さんの言葉がよく分かる。テレビ中継に映るファンの顔を見ていれば、タイガースファンではなくともうれしくなる。日本シリーズ第7戦。タイガースがバファローズ投手陣を打ち崩し、好ゲーム続きのシリーズを制した。笑っている人がいる。喜びのあまり、試合終了前から泣いている人がいる▼不安定な世界情勢や物価高など持ち出したくもないが、そんな憂いや心配もひととき忘れ、ただただタイガースの優勝を祈っている。格差も考え方の違いもそこにはなく、タイガースのために声を合わせ、喜びあう。そういうファンの共鳴を見るのがなんともうれしいし、野球の力をあらためて知る▼38年ぶりの日本一。長い年月である。自分の38年を振り返り、あるいは虎ファンだった今は亡き、家族や友を思い出している方もいるだろう。おめでとうを伝えたくなる▼それにしても強かった。おそらく、次の日本一まで38年はかかるまい。