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今日の筆洗

2016年10月31日 | Weblog

 貧しい小学生の兄妹。兄がたった一足しかない妹の運動靴をなくしてしまう。ごみを回収するおじさんが間違って、持っていってしまった。イラン映画の「運動靴と赤い金魚」(一九九七年)である▼兄妹は必死に捜すが見つからない。妹が自分の靴を履いた女の子を学校でたまたま見かける。兄と後をつける。小さな家から、あの靴を履いた女の子がお父さんの手を引いて出てくる。お父さんは目が見えない。兄と妹はどうしたか。靴を返せとは言わなかった。黙って、手をつないで帰ってくる▼俳優の高倉健さんがこの場面についてかつて語っている。「貧しくて靴を買うお金もない兄妹なのに、それでも他人に優しくする心。それに僕は打たれてしまう」▼正反対の嘆かわしい話である。国税庁によると、二〇一五事務年度に行った調査の結果、有価証券や不動産の大口所有者、高額所得者らの「富裕層」に指摘した申告漏れ所得は、前同年度比で約32%増の五百十六億円。富裕層対策を強化した効果だそうだが、現在の集計方法となった〇九同年度以降、過去最高である▼税金によって社会は回っている。そのお金が貧しき人を助けもするが、富裕層に税を渋る傾向があるとすれば、社会の仕組みは成り立たぬ▼お金はある。されど人や社会のためになる税金は…。あの貧しくも心美しい兄妹ならば、なぜと首をひねるか。

運動靴と赤い金魚



【私説・論説室から】

2016年10月30日 | Weblog

「土人」発言の深奥を読む

  沖縄県の米軍北部訓練場でのヘリパッド移設工事をめぐり、大阪府警から派遣され、現場を警備していた機動隊員が、工事に抗議する人々に「土人」などと暴言を吐いた。別の機動隊員も「シナ人」などとののしった。

 いずれも、差別意識に基づく、官憲による暴言だ。断じて許してはならない。その怒りを前提に、一連の発言の深奥に潜む意味を考えてみたい。

 土人とは、土着の人を指す言葉で、軽蔑や侮辱の意味を含んで使われる。かつてアイヌの人々に対しても使われたことがある。官憲が沖縄に住む人を土人と呼んだことは先例に従えば、琉球民族が日本人とは違う歴史を持つ先住民族であると公に認めたことになる。

 一方、シナ人発言はどうか。そもそも琉球王国は日中両国に朝貢した両属国家だった。官憲によるシナ人発言は、沖縄に対して日本への帰属を強制しないことを、公権力が認めたことにもなる。一連の発言は、沖縄の独立運動に根拠を与えるかもしれない。日本国憲法に定める日本国民統合の危機である。

 大阪府の松井一郎知事は自身のツイッターに、表現の不適切さを認めながらも「出張ご苦労様」などと書き込んだ。こののんきさには驚く。もし危機感を覚えたのなら、沖縄に自ら赴き、翁長雄志知事と県民にわびるべきである。そうでないのなら…、そこまで言うのはやぼであろう。 (豊田洋一)


今日の筆洗

2016年10月30日 | Weblog

  作家の安岡章太郎さんが小学校へと通った道には大きな犬がいた。「おとなしいので、通りがかりの人たちがよく頭を撫(な)でてやったり、食いものをやっていた」と思い出を書いている。そのときはこの犬が有名な忠犬ハチ公だとは知らなかったそうだ▼作家の小川洋子さんの通学路には一軒の本屋さんがあった。本好きだった、小学生の小川さんは「外から、棚に並んだ本の姿をうらやましく眺めるだけだった」そうで自分の家が本屋さんだったら、と想像しながら通っていたという▼どなたにも懐かしい「通学路」があるだろう。たまにはその道を歩いてみることをお勧めする。大人の足はその道を狭く、短く感じさせ、同時にとうに忘れたはずの友の笑い声まで聞こえてくるはずだ。通学路には大切な思い出が刻まれている▼学校へ、そして未来へとつながらねばならぬ、その子の「通学路」は突然、途切れてしまった。横浜市の市道。前の車に追突し、弾みで横転した軽トラックが集団登校の列に突っ込み、小学一年生の田代優くんが亡くなった▼安全なはずの通学路での事故がやり切れない。来年の運動会のかけっこで一等になりたいと意気込んでいたそうだ。なのに来年が来ない▼狭い道幅の割に交通量があり、危ない道といわれていたと聞く。すべての子に安全でやがては良き思い出となる道を用意しなければならぬ。