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今日の筆洗

2018年08月31日 | Weblog

 多くの小中学校で夏休みの終わりが近づき、図書館がいつもの年のようににぎわっていた。およそ四十日間の自由の代償ともいえる宿題と最後まで格闘する子も多いはずだ▼作家安岡章太郎にも格闘の経験がある。小学生の時、夏休みの最終日まで宿題に手を付けなかった。白紙の宿題帳を見た母は驚きと怒りで<お前、死になさい、お母さんも死にます>と口走った(『まぼろしの川』)。そこから母子による宿題との闘いが始まる▼でたらめな答えを二人で書き込み続けた。<その夜のことを、私は一生忘れまい>。作家は初めての徹夜に大人になったような興奮も覚えた。話は傑作の短編小説『宿題』にもなる▼夏休みの終わりと手付かずの宿題。文学に昇華可能なテーマだろう。ネット上での宿題代行の出品をめぐり、文部科学省が規制に乗り出したというニュース。読書感想文なる商品が定着していたことに加え、格闘しないという選択肢が普通になっていたのに驚く▼時間を受験勉強にあてるという言い分には考え込んでしまうが、正面突破は悪くない。本や自然との出合いが宿題にはあった。苦しみが鮮明な大人としてはそう言いたくもなる▼世の中は解決に代行不可能な問題ばかりである。例の障害者雇用率の水増し問題。省庁は、再発防止に正面から取り組まないといけない。大人の宿題も思う夏休みの終わりだ。

 
 

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今日の筆洗

2018年08月30日 | Weblog

 世界には日本語に翻訳しにくい言葉がある。カリブ・スペイン語の「コティスエルト」。この一言で、日本語にすれば「シャツの裾を絶対ズボンの中に入れようとしない男の人」という意味になるそうだ。『翻訳できない世界のことば』(創元社)で見つけた▼だらしないなどの悪い意味ではないらしい。「人生も着るものもリラックス」した人。そんな前向きなニュアンスがこの短い言葉には含まれているそうだ▼シャツの裾を入れるべきかどうかをめぐって、前橋市内の中学校の先生がおもしろい実験を行ったそうだ。体操着の裾を入れた生徒と入れない生徒に運動してもらい、その後の体温を調べたところ、裾を入れない生徒の体温の方が四度低かった。そんなに違うものなのか▼実験結果を受け、この先生は夏の運動時などは体操着の裾を出した方が良いと指摘している。猛暑だったこの夏を思えば、もっともな話で熱中症対策に一役買うだろう▼かつてシャツの裾はズボンに入れなさいと教えられた世代だが、一九九〇年代に入れない派が次第に拡大していった印象がある。最近はむしろ入れる方が少数派で見かけるのはゴルフ場ぐらいか▼ちまたの傾向がそうであるならば、体操着の裾も柔軟に対応した方が子どもたちの夏の運動をより楽にするだろう。大切なのは行儀よりも身体である。「コティスエルト」は悪くない。

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今日の筆洗

2018年08月28日 | Weblog

 笑い声のない家で少年は育った。父親はたびたび家を飛び出し、母親は泣いてばかりいた。息苦しい生活のなか少年が見つけた数少ない楽しみはチャプリンの映画だった▼笑いを商売にする人間は必ずしも笑いの絶えぬ家庭で育つものとは限らぬらしい。少年はやがて世界中に笑いを売るようになる。米劇作家のニール・サイモンさん。二十六日、九十一歳で亡くなった▼「サンシャイン・ボーイズ」「おかしな二人」「裸足(はだし)で散歩」。数々の傑作で世界中を笑わせ、ちょっと泣かせ、そして幸せな気分にした▼笑いへのこだわりは暗い少年時代の日々と関係があると書いている。「観客の笑い声を聞けば聞くほど、もっと聞きたくなった。これで十分ということはなかった」。少年時代に聞きたかった笑い声を少しでも取り戻そうとしていたのか。おかげでわれわれはおなかをよじらせたわけだが、切ない裏話でもある▼人を笑わせるのは難しい。自信作があった。書いている途中で自分で噴きだすほどにオカシイ。「わたしは書きながら笑い、稽古で笑った。だが笑ったのはわたしだけだった」。作品は短期間で打ち切られた▼書き直しをいとわぬ人でデビュー作の「カム・ブロー・ユア・ホーン」は二十二回書き直した。何度でも書き直す。求めていたのはより大きな笑い声。その旅立ちは寂しいが、拍手と感謝の笑い声で送る。

 
 

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今日の筆洗

2018年08月27日 | Weblog

 <またしても女房が言ったのだ/ラジオもなければテレビもない/電気ストーブも電話もない/ミキサーもなければ電気冷蔵庫もない>。山之口貘の「ある家庭」。ある家庭といっても貘さんの家のことである▼高度成長期の一九六〇年代前半だろう。白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の「三種の神器」の時代だが、生活が不安定だったその詩人にはまだ手が届かなかったか。<こんな家なんていまどきどこにも/あるもんじゃないやと女房が言ったのだ>。詩はそう続く▼山之口家になかった家電がすべてそろう豊かな時代とはいえ、その数字にたじろぐ。内閣府の調査によると、現在の生活に満足と答えた人の割合は74・7%。調査開始の六三年以降で過去最高だそうだ▼数字だけならどの時代よりも生活満足度の高い時代ということになるのか。少子高齢化社会という薄曇りの時代の中、信じられぬという人もいるだろう▼おそらく生活の満足度と幸せとは似ているようで別の物なのかもしれぬ。実際、同じ調査で日常生活に「悩みや不安を感じている」人は63%。豊かかもしれないが、明日はどうなるか。その不安が過去最高への違和感だろう▼あの詩の続きがある。<こんな家でも女房が文化的なので/ないものにかわって/なにかと間に合っているのだ>。豊かではないが明るくたくましい。さて、今と比べてどっちが幸せか。

 
 

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今日の筆洗

2018年08月25日 | Weblog

  台本にある自分の役を見て、声を上げたという。<苗字(みょうじ)のある役だワ>。女優の菅井きんさんだ(著書『わき役 ふけ役 いびり役』)▼農家の娘トメの役で舞台にデビューして以来、苗字なしの役ばかりを演じてきた。だから、中村せん役がうれしい。テレビ時代劇『必殺仕事人』などの意地の悪い姑(しゅうとめ)。これにかけた。深夜、自宅のベッドで四つの音の高低、強弱を何度も練習したという。練りに練ってできあがったのがあのせりふだ。「婿殿」▼<女優は美人がなるものだ>という父の強い反対を押し切って、進んだ演劇の道だった。補欠合格で劇団研修生になり、その後脇役を多く演じる▼映画やテレビドラマでも、主役に縁が薄い中で、磨かれたのが、「脇役は一瞬の爆発が勝負」という思いだという。カメラがこちらを向く短い時間をいかに演じるか▼『必殺仕事人』の姑役が多くの人の心に強い印象をもたらしたのは、そんな思いがあったからだろう。現実には、意地悪とは縁遠い方だったようだが、きつい姑を語り、思うとき、中村せんとあのせりふを思い出す人は、今なお多いはずだ▼九十二歳で、世を去った。姑役ばかりではない。人情味のある庶民、秘めたやさしさを感じさせる母。演じる姿はいくらでも浮かんでくる。日本の母親像と同時に、脇役のよさ、生きがいを伝えた。そんな女優ではなかっただろうか。

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8/24日の筆洗

2018年08月24日 | Weblog

 どこまで世の中は便利になるのだろうか。現金を直接やりとりしない買い物が普及するかもしれないという。空を飛ぶ車の実現について、政府が真剣に検討を始めたそうだ。そんな技術革新の加速を思わせるニュースをよく目にする▼現状には不便をあまり感じていないが、空を飛ぶ車が、法律、技術上の課題を乗り越えて普及すれば、確かに便利な時代になると感じる▼あくことのない技術革新の一方で便利さから距離を置こうとする機運が盛り上がっている。プラスチックのストローをやめようとする動きだ▼海を汚染してきたプラごみをわれわれは何とかしなければならない。ストローはその象徴になっている。外食大手のすかいらーくホールディングスは過日、全廃する方針を決めた。米コーヒーチェーンのスターバックスなど、海外では同様の動きが先行している▼考えてみれば、なかなか便利な道具である。冷たいものなどおいしく飲めて、子どもや弱者にも優しい。軽くて何より安価だ。ただ、人類が自ら便利さを手放したような例はそうそうないだろう。背後にある大量のプラごみを含め、どこまで減らせるか。問われているものは、なかなか大きそうだ▼<進む方の勇ばかりでなく、退いて守る方の沈勇も…両者が揃(そろ)ふて真の勇気が成る>(新渡戸稲造著『修養』)。後ろに下がる沈着な勇気が、必要なのだろう。

 
 

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