一寸の虫にも五分の魂というが、小さな虫の中に悠久の歴史の流れを読み解いた研究者がいる。名古屋大学名誉教授の大澤省三さん(87)だ▼オサムシなど身近な甲虫たちの遺伝子を分析し、進化の系統樹を描いた。そこには、大陸から分裂した大地と海底の火山活動で隆起した陸地の結婚で生まれた日本列島のダイナミックな歩みそのものが刻まれていた。博士が仲間と書いた『遺伝子から解き明かす昆虫の不思議な世界』は、そういう謎解き絵巻だ▼広島に住む大澤さんの書斎で、「一九四五年一月一日発行」と書かれたガリ版刷りの雑誌を見せていただいた。『愛知の昆虫誌十一号』。発行人は、当時十六歳だった大澤少年である▼戦時中、旧制中学に通っていた大澤さんも、勤労動員で名古屋の軍需工場で働かされた。それでも昆虫採集のため上高地まで足を運び、新種を見つけた。工場長の訓話中に、地面を這(は)う珍しい甲虫を見つけたこともある▼戦時一色に塗り込められた時代に、十代の少年が研究誌を発行していた。好奇心の輝きは消えなかったし、それを分かち合う人々もいた。何としなやかで、まっすぐな知性か▼いま大澤さんは、奥さまの介護をしながら研究を続けている。慣れない家事は大変ではないのか。そう尋ねると、いたずらっぽく笑った。「段取りをつけ、きちんとこなす。家事は実験と同じですよ」
オサムシ
手塚治虫のペンネームの由来らしいです。