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今日の筆洗

2022年11月30日 | Weblog
 <世の中も淋(さび)しくなりぬ三の酉(とり)>正岡子規。酉の市のにぎわいに子規さん、いったい何がそんなに淋しかったのだろう。勝手に想像すれば、はや年の暮れへと向かう時の流れの早さになんとなく淋しさを感じたか。三の酉も過ぎ、明日からは師走である▼時間に関する興味深い調査結果があった。「十年一昔」とは昔からよくいうが、シチズン時計によると、「一昔」とは何年ぐらい前のことかを「Z世代」と呼ばれる十八歳から二十六歳の男女に尋ねたところ、約三割が「五年」と回答したそうだ。「十年一昔」の二倍、昔になるのが早い▼試しに五年前の二〇一七年の出来事を振り返れば、政治の方は森友・加計問題で大騒ぎ、米国ではトランプ政権が発足している。つい最近の話としか思えぬ▼十年前の一二年の流行語は「ワイルドだろぉ」。さすがに古いとは思うが、これにしてもさほど昔とは感じない▼年齢を重ねると若い時に比べ、一年間が短く感じるもの。お若い方は逆で、つい五年ほど前のことでさえ長い時間が経過したように感じるのかもしれない▼「おめでとうと言ったと思ったらサクラが咲いて、すぐ暑くなる。涼しくなってきたなと思ったらもう除夜の鐘」。古今亭志ん朝さんがなにかのマクラで語っていた。こんな調子で、一年があっという間に過ぎていく身には、「五年一昔」は少々うらやましくもある。
 

 


今日の筆洗

2022年11月29日 | Weblog
原作者の梁石日(ヤンソギル)さんは渡されたシナリオを読んでたたき返したそうだ。タイトルも中身も原作とまったく違う▼書きたかったのは在日コリアンの抱える問題なのに監督と脚本家が相談もなく変えている。映画は『月はどっちに出ている』。監督の崔洋一さんが亡くなった。七十三歳。同作や『十階のモスキート』『血と骨』など独特でインパクトの強い作品を数多く残した▼在日コリアンを描いた映画といえば弱者の悲劇を見つめ、社会正義を訴える作品になりやすいか。在日朝鮮人の父親を持つ監督はその選択をしなかった。描いたのは「隣に住んでいる、あるがままの在日(コリアン)」。それが新しかった▼社会派と呼ばれる監督だが、主張を押しつけたりはせず、何よりも観客を楽しませることを意識していた。社会批評と娯楽性の絶妙なバランス。その結果、映画を見た後に「崔洋一」という複雑で人間くさい個性が浮かびあがる。そんな不思議なメガホンをお持ちだった▼シナリオに怒った梁さんに監督は聞いた。「ところで、おもしろかったんですか。おもしろくなかったんですか」。答えは「えらい、おもろいやん」。おもろい。おもろいを描いた上で、その裏にある人の悲しみや痛みを描けた▼渋谷の事務所の巨大な本棚を背にどっかとすわる元気な姿を思い出している。大きく優しい月。雲間に隠れたのが寂しい。
 

 


今日の筆洗

2022年11月28日 | Weblog
五百万人といえば東京二十三区の人口の約半分。大変な数だが、見方を変えるとその数字が寂しく感じられる。五百万人とは紀元前八〇〇〇年ごろの世界人口だそうだ▼中東で農業が広まるころか。ヨーロッパは石器時代で日本は縄文期。その時代、地球にはその程度の数の人しか暮らしていなかった▼国連によると世界の人口はこの十一月の半ばに八十億人に達した。世界のどこかに八十億人目の赤ちゃんがいる。人口十億人になったのが一八〇〇年ごろだから五百万人の時代からだいたい一万年かかっている。その後のペースはこわいほどに速い。一九三〇年代に二十億人。二〇一一年に七十億人。そこから十年ちょっとで、また十億人増えた▼そのペースに人口増、食料危機という憂鬱(ゆううつ)なSFめいた筋立てを想像してしまうが、落ち着きたい。人口の増加ペースは既に緩やかになっており、国連の見立てによると二〇八〇年代に約百四億人でピークを迎え、その後、横ばいとなるそうだ▼もちろん、増えた人口は地球への負荷となり、取り組みは必要である。人口増はアフリカやアジアの貧しい地域に集中しており、そうした人びとの生活向上を図る手だても考えなければならない▼それでも八十億人を祝したい。それは病や貧困と闘い続けた人類が迎えた、一つの到達点だろう。八十億人目の赤ちゃんを笑顔で迎えてあげたい。
 

 


今日の筆洗

2022年11月26日 | Weblog
 「平成の米騒動」は、一九九三(平成五)年の米の凶作がもたらした▼記録的冷夏の東北がひどく、平年を一〇〇とする作況指数は宮城で四〇を切ったと伝えられた。夏場に冷たい海風「やませ」を浴びた稲は秋、頭(こうべ)を垂れなかった。全国で卸売業者や消費者の一部が買いだめに走り、タイ米などが緊急輸入された▼この凶作を機に生産が激減したのが宮城生まれのササニシキ。コシヒカリと並ぶ「横綱」と称されたブランドだが、寒さに弱く、栽培に手間がかかることもあって農家は別の品種に変えていった。ササニシキは凶作当時、宮城県内の作付面積の約66%を占めたが、近年は6%前後に落ち込んだという▼その「元横綱」が来年、誕生六十周年を迎える。消費喚起を図るべく、地元JAが新たなロゴマークを作ると地元紙の河北新報が伝えていた。五つの候補をウェブで発表し、投票を募っている▼五ツ星お米マイスターの澁谷梨絵さんは著書『世界でいちばんおいしい お米とごはんの本』で、コシヒカリを「ごはんだけで食べてもおいしいと思える旨味(うまみ)の強いお米」に分類した。ササニシキは「あっさりしていてどんな料理にも合う」という。ネタの味を引き立てると、重用するすし職人は多い▼一時はブランド米の地位を極めながら、自己主張は控えめなのが妙味。冷害の悲しみを経て還暦を迎えるが、枯れては困る。
 

 


今日の筆洗

2022年11月25日 | Weblog

ドイツ人の故クラマーさんは「日本サッカーの父」。日本代表コーチとして、一九六四年東京五輪に向け基礎技術から教えた▼来日前の六〇年八月、西ドイツ合宿に来た日本代表と初対面し、0−5で敗れた地元チームとの試合を見守った。雑なパスの続出に試合後、引率の日本側役員が「スピードを落とし、正確さを心掛けた方が」と言うと「速さを落とさず技術を上げるのだ」と反論した▼惨敗でも選手の機敏な動きに極東のサッカー後進国の可能性をみて「欧州の選手たちがついていけないほどのもの」と評した。スポーツライター加部究さんの著書『大和魂のモダンサッカー』から引いた▼ワールドカップカタール大会一次リーグ初戦で「サムライブルー」こと日本代表が格上ドイツに勝った。浅野拓磨選手が俊足を生かし、屈強な敵を振り切り決勝点。長くボールを支配したドイツがついていけない瞬間は確かにあった。天上の「父」は見てくれただろうか▼その人はゴール前で誰かがシュートを打っても気を緩めず、こぼれ球が来ると予測して動けと教える際「日本語のザンシンだ」と説いた。残心。武道や茶の湯で一つの動作が終わっても緊張を解かない心構えをいうが、そこまで日本語を勉強したのかと驚く▼まだ一つ勝っただけの今、応援する側も胸に刻みたい言葉。きっと青きサムライには先刻承知の心得である。


今日の筆洗

2022年11月24日 | Weblog
夜遊びが過ぎる若旦那。ついには親父(おやじ)に外出を禁止されてしまう。なんとか家を抜けだし、吉原へ出かける方法はないものか。落語「干物箱」である▼湯屋に行くのは許され、これ幸いにと、ひいきのたいこ持ちと会い、自分の身代わりとして二階に居てくれと頼む。このたいこ持ち、若旦那の声色が大の得意で、最初は親父もだまされていたが、調子に乗っているうちに…。歌舞伎の「身替座禅(みがわりざぜん)」といい、この手の話は替え玉であることが発覚して、そのどたばたから笑いが生まれる▼この身代わりは笑いとはならぬ。企業の採用試験のウェブテストで本人に成り済まし受験していた男が逮捕された。あの話でいえばたいこ持ちだろう。そして替え玉を頼んだ女子学生も書類送検。悪いことはできない▼男は四年間で四千件以上の替え玉を引き受けていたというから、若旦那のような不届きな利用者はかなりいるということか▼替え玉を使ってでも、試験を突破したい。就活の暗い日々を思い出せば、まったく理解できない話でもない。「自分で受験して落ちることが続いた」。女子学生の言葉を哀れに思うところもあるのだが、皆、必死で準備している。その言い訳は通らない▼想像してみる。替え玉を頼んで、入社。その暗い事実をひた隠しに隠しながら、仕事に集中し、同僚と語り合う。それはかなりの心の負担になると思う。
 

 


今日の筆洗

2022年11月22日 | Weblog
国文学者の池田弥三郎さんが子どものときに「おいしい」という言葉を使って叱られたと書いていた。「いやだね、この子は、女の子みたいな言葉を使って」▼池田さんは一九一四(大正三)年、銀座のお生まれ。当時、その界隈(かいわい)の男が食べ物の味をほめるときはうまいとかうめえだったそうで「祖母や母親などは何かいやだという気持ちでうけとったらしい」。若い女性も「うめえ」を使う現代とはだいぶ違う▼ある言葉について間違っているわけでもないのに「何かいやだ」と感じることはどなたにもあろう。わが身でいえば、「辞任ドミノ」である▼政治とカネの問題で寺田稔前総務相が辞任した。わずか一カ月の間に三閣僚が相次いで辞めたとなれば確かに並んだドミノが順繰りに倒れていくかのようである▼気になるのはその言葉に不可抗力のニュアンスがあることか。三人の辞任の理由はそれぞれ別で、関連性はない。最初のつまずきがあってそれが連鎖しているわけではない。辞任ドミノと言ってしまうと、何だか自然現象のようで国民生活を預かる閣僚に不適任な人物を三人も起用した岸田さんの失敗が軽く聞こえはしまいか。責任はひとえに起用した岸田さんにある▼同じゲーム牌(はい)でいえば、麻雀(まーじゃん)の方だろう。ひどい牌ばかり選んでは放銃を繰り返し、支持率と信頼を失っている。点棒は底をつき、展望も見えない。
 

 


今日の筆洗

2022年11月21日 | Weblog

投手の防御率とはある投手が9回を投げた場合、何点取られるかを示した数値のことで小さいほど良い投手ということになる▼大リーグのMVP争いでこんな冗談を聞いた。ヤンキースファンが話している。大谷選手の本塁打数は三十四本。われらのジャッジ選手は六十二本で上回っている。防御率はどうか。大谷は二・三三。ジャッジは驚異の〇・〇〇。当然、MVPはジャッジだ−。一度も登板していないのだから〇・〇〇は当然の話で、ヤンキースファンの身びいきぶりを笑うジョークなのだろう▼まさか冗談を真に受けたわけではなかろうが、MVP争いはジャッジ選手に大差で軍配が上がった。そうですか▼MVPを受賞した昨年を上回る成績を上げたのに大谷を一位に選んだのは三十人中わずか二人。ちょっと信じられないが、優勝争いの中での活躍とアメリカン・リーグの本塁打記録を塗り替えたことがジャッジを有利にしたか▼もう一つ、有名なジョークを。その年の最も優秀な投手を選ぶサイ・ヤング賞。かつての大投手の名である。「もしサイ・ヤングが今の時代に現役だったら何度もサイ・ヤング賞を受賞しているだろう」−▼悔し紛れに言うのなら大谷の投打にわたる活躍はMVPの規格さえ超えてしまっている気がする。二刀流最優秀を選ぶ「大谷賞」が必要かもしれぬ。大谷が何度も選ばれることだろう。


今日の筆洗

2022年11月19日 | Weblog
オジギソウは学校の教材でおなじみ。触るとお辞儀をするように葉を閉じる▼含羞草とも書くのは、恥じらっているように見えるからか。原産地はブラジル。天保年間に日本に伝わった▼ギリシャ神話にも登場。『花とギリシア神話』(白幡節子著)によると、美しい娘である妖精ケフィサは牧羊などを司(つかさど)る神パンに好かれ追い掛けられるが、その情熱に恐れをなし逃げ続けた。とらえられそうになった時に貞操の女神アルテミスに「助けて」と祈り、オジギソウに姿を変え逃れた。なるほど、恥じらいの草である▼この植物が葉を閉じるのは昆虫に葉を食べられるのを防ぐためであることを、埼玉大と基礎生物学研究所(愛知県)のグループが証明したという▼遺伝情報のゲノム編集技術などで、葉を閉じないオジギソウを作製。バッタを放して葉を閉じる効果を比較研究すると、閉じる方の食べられる量は約半分だった。葉を食べ始めたバッタは閉じた葉に脚を挟まれるなどし、途中で退散。神話の植物の不思議も解明するとは、ゲノム技術恐るべしである▼神話はこの植物を「感受性がとても強く、罪を犯した者がそばを通るだけで、まるで自分が触れられ、汚されたかのように葉を閉じる」と描く。現実は近くを通るだけでは閉じないが、触れた虫の脚を封じるとはたくましい。自然界は、恥じらうだけでは生きられぬらしい。
 

 


今日の筆洗

2022年11月17日 | Weblog
 「ミンスミート(ひき肉)作戦」は映画などでおなじみか。英国軍が第二次世界大戦中にドイツ軍に使った、欺瞞(ぎまん)作戦である▼本物の遺体を用意し、英軍の服や装備を身に着けさせた上で海に流す。これを見つけたドイツ軍。遺体が持っていた攻撃目標に関する書類を発見し、喜ぶのだが、無論、内容はすべてウソ。偽情報を本物と信じたドイツ軍は翻弄(ほんろう)される▼これも何かの作戦かと思い込んでしまった。ポーランドにロシア製とみられるミサイルが着弾し、二人が亡くなった事件である▼未明の速報に驚いた方も多いだろう。ポーランドは北大西洋条約機構(NATO)の加盟国。ロシアによる発射であれば、NATO全体への攻撃と見なされ、ロシアに対し集団的自衛権の行使に踏み切る可能性もある事態である。つまりNATOとロシアの戦争となってしまう▼早い段階で、バイデン米大統領が軌道などからロシアから発射されたものではないようだと強調し、事態をひとまず落ち着かせたのが幸いだった。その後の情報によれば「正体」はロシアのミサイルを狙ったウクライナ軍の迎撃ミサイルとの見方が強い。だとすれば、欺瞞作戦でも挑発行為でもなんでもなく偶発的な不幸な着弾である▼緊迫化した状況の中では何を見ても敵の顔が浮かぶものだろう。本物の攻撃かどうかを冷静に判断した対応例として記憶しておく。