お菓子の中にはハプニングや失敗によって生まれたものが結構ある。米国のご家庭でよく作られるブラウニー。一説によるとチョコレートケーキを作ろうとしたのにベーキングパウダーを入れ忘れたことでできた(『お菓子の由来物語』)▼諸説あるが、貝殻形の焼き菓子「マドレーヌ」の由来もおもしろい。フランスのある地方の領主。晩さん会を開こうとするが、菓子職人が仲間とケンカして出ていってしまった。後に残った料理上手のメイドさんが代わりに作ったのがこの菓子。メイドさんの名は無論、マドレーヌさん▼失敗やつまずきから大逆転。こういう話は聞いていてうれしくなる。お菓子ではなく、この季節の鍋料理の話となる。これもひょんなことから売り出されるそうで話題になっている。愛媛県宇和島名物のねりもの「じゃこ天」と秋田県の「きりたんぽ」が同時に味わえる鍋のセットである▼発端は「悪口」というのがおもしろい。秋田県の佐竹敬久知事がじゃこ天などの四国の食文化を「貧乏くさい」と発言し、後に謝罪したものの抗議が殺到した▼知恵者がいたのだろう。この騒動を見た、愛媛と秋田両県の業者が、それぞれの名物を組み合わせることを思いついたらしい▼一味同心とはよくいうが、その鍋からは言い争いや対立ではなく和解の湯気が立ち上るか。「鍋奉行」の名裁き。温まりそうである。
自動車や家電製品などに使われ「産業のコメ」といわれる半導体。研究を先導した東北大元学長の故・西沢潤一さんは「ミスター半導体」と呼ばれた▼自ら設立に関わり、昭和30年代に生まれた半導体研究所は企業も出資し産学連携の先駆といわれたが、学者が資金を企業に恃(たの)むことには同僚や学生の批判も。東北大には「産学協同粉砕」と訴える看板も登場した。本人は「日本全体が食うためには電子工業をやらなくてはならない」と揺るがなかったという▼昭和の終わりに半導体で世界を席巻した日本は再びそれで食えるようになるのか。衆院を通過した政府の補正予算案の柱の一つが半導体関連で、総額2兆円近い▼次世代半導体の国産化を目指し、官民連携で北海道に工場を建設中の企業「ラピダス」への支援も増やすという。国の鼻息は荒いが、トヨタ自動車など民間の出資は限定的で及び腰ともいわれる▼国際競争で後れをとった日本は技術や人材の蓄積が乏しい。次世代技術での優位確保は「野球少年が明日から米大リーグで活躍したいというようなもの」と語る専門家もいる▼西沢さんは半導体研究所の玄関正面に、東北出身の作家宮沢賢治の言葉が入った染め物を飾ったという。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」。研究はみなの幸せのためにある-。血税投入は幸福を招くだろうか。
サッカー日本代表は昔はワールドカップ(W杯)が遠く、アジア予選で苦戦した。テレビの前で落胆もしたが、NHKの山本浩アナウンサーの実況が記憶に残る▼1985年のメキシコW杯予選。勝ち進んだ日本は最後に韓国と2試合で雌雄を決することになった。東京での初戦の中継開始直後、山本さんが語った。「東京・千駄ケ谷の国立競技場の曇り空の向こうに、メキシコの青い空が近づいているような気がします」。韓国には連敗した▼終了間際にイラクに得点を許し夢破れた93年のカタール・ドーハの悲劇も、延長戦でイランを下しW杯初出場を決めた97年のマレーシア・ジョホールバルの歓喜も山本さんは伝えた▼先日、W杯アジア2次予選シリア戦がサウジアラビアであったが、日本ではテレビ中継もネット配信もなかった。異例である▼シリア側代理店が放映権料をふっかけ、交渉がまとまらなかったと伝わる。泣くに泣けない。幸い日本は圧勝したが、予選はまだ続き、恐らくは手に汗を握る試合が今後増える。再発防止策はないものか▼97年のジョホールバルでのイランとの死闘。延長戦開始時の山本さんの実況が語り継がれている。「このピッチの上、円陣を組んで今散った日本代表は私たちにとっては『彼ら』ではありません。これは『私たち』そのものです」。私たちの戦いが、テレビで見られますように。
「世の中は澄むと濁るで大違い」と始まる言葉遊びがある。続く文句は「人がチャ(茶)を飲み、ヂャ(蛇)が人を飲む」や「フク(福)はトク(徳)なり、フグはドク(毒)なり」▼わずかな濁点のあるなしで意味がまったく違ってくる言葉のおもしろさ。有名なところでは、「ハケ(刷毛)に毛があり…」。やめておこう▼食べて、体調不良を訴える人が続出した「大麻グミ」の問題である。なんでも、大麻の規制の難しさはささいな濁点の違いを利用した、あの言葉遊びと似たところがあるらしい▼大麻の違法成分を規制しても、これに似た化合物がすぐ作られてしまう。同じ幻覚作用などがあってもあくまで別の化合物なので、規制はできなくなる。ならばとこれを規制しても、また、似た別の化合物が。いたちごっこが続く▼規制の難しさに加え、こうした成分がグミやチョコレートという気軽な食品に「化ける」のも問題だろう。大麻は、より依存度の高い覚醒剤などの薬物の入り口になりやすいが、手に取りやすい「大麻グミ」はその入り口のそのまた入り口になりかねない▼若いお方の好奇心は分からぬでもないが、体に障り、深い沼にひきずりこまれかねない薬物からは断じて身を遠ざけておきたい。あの言葉遊びならば「心身のタメ(為)にはならずダメ(駄目)にする」「カイ(快)どころかガイ(害)」だろう。
漫画家、エッセイストの東海林さだおさんが「ラーメンというものは“ラーメン”と浮かんでしまったら最後、もうどうにもならなくなる食べ物」であって、「矢も楯(たて)ランク1位」と書いていらっしゃった▼なるほど食べたいと思うと矢も楯もたまらなくなる魔力がある。<ラーメンたべたい ひとりでたべたい 熱いのたべたい>。矢野顕子さんの「ラーメンたべたい」を思い出す▼荻窪駅の近く。シャッターの下りた店の前に2、3人の男性が集まっていた。寒くなってきて、あのつけ麺が頭に浮かび、矢も楯もたまらなくなった方々か。別れを言いにきたのかもしれぬ。シャッターの張り紙を見つめていらっしゃる。「閉店させて頂くことになりました」。「丸長中華そば店」が店を閉めた▼つけ麺発祥の店として全国に名を知られる。創業は1947(昭和22)年。笠置シヅ子の「東京ブギウギ」の時代からこの街で人々の体と心を温めた味が去るのか。「もう一度厨房(ちゅうぼう)に立つことを目標に治療を続けておりましたが、体力が戻らず」-。張り紙の言葉が悲しい▼ここに通ったお客さんたちだろう。シャッターにたくさんのメッセージを残していらっしゃる。「小学校時代、母によく連れられて」「本当においしかった」「30年以上お世話に」…▼きっと、味の思い出もそれぞれに濃いのだろう。北風と寂しさに鼻水をすする。