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今日の筆洗

2019年10月30日 | Weblog

 子どもが川の中でおぼれている。心配はいらない。たとえばという話である。川岸でそれを人々が見守っている。「がんばれ」「ここまで泳ぎ切れば、温かい食べ物が待っているぞ」▼おそらく、こんな場面に遭遇したら、その女性は自ら川の中に入り、子どもに手を伸ばすのだろう。国連難民高等弁務官として難民支援に尽力した緒方貞子さんが亡くなった。九十二歳▼その人は本当にそう決断したのである。一九九一年、イラクで大量のクルド人難民が発生し、トルコに向かう。が、トルコはこれを拒否する。難民条約では難民とは「他国に逃れた人びと」。国境を出ない限りは厳密には難民ではなく、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)としては支援できない。それが当時の考え方だった▼国境を越えていなくても支援する。緒方さんは決めた。「(難民が)生きているからこそ保護できる。国際法がどうであろうと生き続けるようにする」▼就任後二カ月足らずでの決断。スピード、現場主義。その人の仕事はいずれも人の命を守りたいという思いやりと情熱から生まれていた▼聖心女子大学時代、初代学長のマザー・ブリットさんにこう教えられたそうだ。「社会のどんな場所にあっても、その場に灯をかかげられる女性になりなさい」。思いやりの灯はどれだけ多くの人を救い、希望となったことか。灯が遠ざかる。


今日の筆洗

2019年10月29日 | Weblog
 カメラマンのロバート・キャパが第二次世界大戦の状況をこう語ったことがある。「この戦争は老いていく女優のようなものだ。どんどん写真には不向きになっていくし、どんどん危険になっていく」▼女優イングリッド・バーグマンと恋愛関係にあったキャパだが、当てはまらぬ女優がいることを教えたくなる。残念ながら亡くなった。八千草薫さん。八十八歳。亡くなるまで一線で活躍し、お年を重ねてもいつまでも見ていたい女優さんだった▼訃報に「宮本武蔵」のはかなげな「お通」を浮かべた人もいるか。決壊した多摩川に流される家から「一分でいいから」と家族アルバムを取りに戻ろうとする「岸辺のアルバム」の「則子」かもしれぬ。「けったいな人びと」「阿修羅のごとく」。戦後から現在まで大きく変わる時代にあって、それぞれの八千草薫がいた▼「清く正しく美しく」。出身の宝塚歌劇団の理想だが、そこにユーモアや人間味を加えていらっしゃった。「前略おふくろ様II」。好きな男が来ると知って、浮き浮きと「お手玉歌」を口ずさむ女将(おかみ)の役を小欄は思い出している▼子どものとき、肺を患った。学校にも通えず、本に夢中になったそうだ。あれこれ読んでは自分がお姫さまや冒険家になることを空想する。それが芝居の入り口だった▼長い旅が終わる。旅のアルバムはさぞや重かろうが、輝いている。

今日の筆洗

2019年10月28日 | Weblog
  十九世紀の米国新聞人でジャーナリストのジョゼフ・ピュリツァーの名言がある。新聞の記事、見出し、社説に必要な要素を挙げている▼まず「分かりやすさ」。当然だろう。そして「ユーモア」「風刺」「独創性」「文章力」などを指摘し、最後にこう結んでいる。「正確さ、正確さ、正確さ!」▼この人には新聞がどうしても「フェイク、フェイク、フェイク!」と見えるらしい。おそらくそうではなく、自分にとって不都合な報道をそう強調することで消し去りたいのかもしれぬ。トランプ米大統領が自分に批判的なニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストのホワイトハウスでの定期購読を打ち切るという▼連邦政府のすべての機関での購読をやめさせる方向というから異常である。他の新聞については購読を継続するというから両紙に対する言論弾圧と言われても当然である▼どんな新聞も世の中や国民の考えを映す鏡なのだろう。無論、新聞によって映り方はさまざまである。トルーマン大統領は「一紙だけで事実を判断してはならない」と各紙に目を通していたと聞くが、トランプ大統領は映っているのはまぎれもない自分なのに、映り方が気に入らぬと特定の鏡を選んで割ってしまいたいらしい▼定期購読をやめても鏡は消えない。むしろ、危険なやり方によって、米国という鏡にその姿はより醜悪に映るだろう。

今日の筆洗

2019年10月27日 | Weblog
  失敗が偶然によって思わぬ大発見や成功につながるということはよくある。インドを目指したバルトロメウ・ディアスは嵐に巻き込まれ、引き返す途中、アフリカ大陸の喜望峰を発見したし、コカ・コーラは痛み止めシロップを作ろうとして失敗した結果、生まれたと聞く。災い転じて福となす。結果オーライ。こういう話は聞いていて勇気づけられる▼国内では唯一、駿河湾で水揚げされるサクラエビにもそんな逸話があるらしい。歴史は意外と浅い。一八九四(明治二十七)年十一月のある夜。静岡県由比町(現・静岡市)の漁師がアジ漁に出た▼いざ操業という段になってカンタと呼ぶ網につける浮きを忘れてきてしまったことに気づく。今さら戻るわけにはいかない▼しかたなく、その夜はカンタなしで網を入れたところ、思いがけずサクラエビの大漁に恵まれた。いつもより深い場所に網が入ったためらしい。以来この漁法が定着し、盛んになっていく▼幸運で発見された漁の行く末が心配である。サクラエビの深刻な不漁が続く。秋漁が二年ぶりに解禁されたが、体長制限付きの漁でもあり、取れ高はあまり期待できないだろう。地元の水産加工業者には廃業も検討せざるを得ないという寂しい声が出る▼<さくらえび由比蒲原の小春かも>和田祥子。不漁という「災」をもう一度、「福」へと転じさせる手はないものか。

今日の筆洗

2019年10月26日 | Weblog
 

 ナポレオンが残した言葉の一つに「荘厳なものから、滑稽なものまでは、たった一歩しかない」がある。英雄の栄光から、敗走の将軍の憂き目を見て、最期は配流の身となった。高みと奈落の底を行き来した人物の感慨である▼立派に聞こえた言葉も、ふさわしくない人物が言っていたと分かれば、とたんに、滑稽に響いてしまうものだろう。菅原一秀経済産業相が辞任した▼関西電力の金品受領問題を巡って、「言語道断」「ゆゆしき事態」などと言っていた。それが自身の金品配布疑惑で、ゆゆしき事態だ。関電の問題では、コンプライアンスという言葉を使って、法令順守の重要性を語られていた。省への説明がなかったことに憤ってもいた▼なのに、自身の法令順守については、どうも十分に説明責任を果たしたと言えないまま辞めてしまった▼内閣改造からは、まだ一カ月あまりしかたっていない。組閣の際、安倍首相は、「フレッシュな突破力で」「新しい国づくりに、果敢に挑戦していく」などと述べていたはずだ。いきなり新閣僚の辞任という後ろ向きの一歩である。突破や挑戦といった言葉も滑稽に思えてこよう▼おごりとは目が曇ることであろう。長期政権でいわゆる身体検査などもゆるくなってはいなかったか。経産省に限らず、重要課題が多いときである。後退できる余地はそう何歩もなさそうにみえるが。

 
 

今日の筆洗

2019年10月25日 | Weblog

 太平洋戦争初期のミッドウェー海戦は、連勝を続けていた日本の転機となる大敗北だった。生還した従軍記者牧島貞一は兵士の間で生まれた共通の認識を書き残している。<意見は一致していた…恐るべき事実だった。日本はまけるかもしれない>(『ミッドウェー海戦』)と▼三千人以上が戦死し、空母四隻を失った。軍は兵士に海戦のいっさいを他言するなと命じている。多くの敗因が挙げられてきた。緒戦の連勝による軍のおごりがあったと、指摘される。暗号が解読されて、作戦が筒抜けになっていたのに気づかず、迎え撃たれた。米軍との根本的な戦力や技術の差もあったようだ。太平洋戦争そのものの敗因を象徴しているようでもある▼その海戦の悲惨さをよみがえらせるニュースが数日前にあった。日本が失った四隻のうち、世界屈指といわれた「赤城」と「加賀」を米調査チームが発見したという▼画像が胸に迫ってくる。全長二百数十メートルの赤城は船首から船尾まで残っているように見える。若者ら多くの命とともに、水深五千メートル超という海底に、八十年近く沈んでいた。深海の墓標であり、鋼鉄の「碑」のようでもある▼<山田、白根、大森…命を捨てていった人びとのことを思い出してもらいたい>。赤城に乗っていた牧島は、兵士らの名を挙げながら書いている▼碑に読み取れる文字は、「過つな」だろうか。

 インド洋作戦中の赤城の飛行甲板(1942年4月)
赤城