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今日の筆洗

2020年12月31日 | Weblog

 成田山新勝寺のようにお寺の正式な名には山の名、「山号」が付く。落語にもある「山号寺号(さんごうじごう)」とはこれを使った言葉遊びでルールは簡単。お題に対し、「山」と「寺」でシャレをつくる。気分の重い年であった。これで二〇二〇年を少しでも笑い飛ばすとする▼<急拡散・大惨事>。のっけからシャレにならぬか。世界を悩ませ続ける新型コロナウイルス。甘く見たつもりはないが、ここまで拡大するとは<誤算・大火事>となった▼経済への影響も大きく<ご破算・忍の一字>と軽口をたたいている場合ではないか。来年はなにとぞ<コロナ退散・無事>となりますように。コロナの現場で闘う医師、看護師の負担も心配で<おつかれさん・医療従事>と声をかける▼日本を笑わせてくれたコメディアンの死は寂しかった。<志村けんさん・帰らじ>。明るい話題は「はやぶさ2」の<称賛・砂保持>。小惑星りゅうぐうから砂を持ち帰る任務を立派に果たした▼政治の方はほめられぬ。前首相の安倍さんの「桜を見る会」夕食会の虚偽答弁など嘆かわしい問題が続き、国民は<もうたくさん・不祥事>である。新首相の菅さんの政治も心配。コロナ対応も後手に回りがちで<菅さん・その政治マジ?>と言いたくもなろう▼笑い飛ばそうと思ったが、顔がひきつってしまう。本年はこれにてお開き。よいお年をお迎えください。

遅くなりましたが、本年最後の筆洗です。

来年も宜しくお願いします。


今日の筆洗

2020年12月30日 | Weblog
 詩人の八木重吉に「赤ん坊がわらふ」という短い詩がある。<赤んぼが わらふ/あかんぼが わらふ/わたしだつて わらふ/あかんぼが わらふ>。読めば、こちらの顔もついほころんでくる▼赤ちゃんが笑い、それを見た自分も笑顔になる。たぶん、赤ちゃんを見て笑顔になった親の顔を見れば、無関係なわれわれだって、ほほを緩めるだろう。赤ちゃんがつくった一つの笑顔がまわりに別の笑いや幸せを伝えていくようである▼残念ながら、笑顔の「リレー」はこれから、ますます少なくなっていくようである。試算によれば、今年の出生数は八十五万人を割り込み、過去最低を更新し、来年はついに八十万人を切るだろうという予測があるそうだ▼第一次ベビーブームの一九四九年の出生数が約二百七十万人。日本の<わらふ>がピーク時の三分の一以下になるのか▼無論、原因は新型コロナウイルスである。ただでさえ、晩婚化の傾向があったところに感染拡大による経済的不安や将来への心配によって産み控えが起きている。里帰りさえためらわれるなど出産環境も悪くなっている▼コロナは人の命を奪うだけでは飽き足らず、新しい生命をこの世に誕生させることまで邪魔立てするのか。コロナ禍を抑え込むしか手はあるまい。感染対策は今を生きる人のためだけではない。まだ見ぬ未来の<わらふ>のためでもある。

 


今日の筆洗

2020年12月28日 | Weblog

 食うや食わずのひどい生活だった。人並みの暮らしをしたいと願い、脇目も振らず働いた。生活は次第に上向いた▼よし、もっと頑張ろう。こしらえた品物は世間の評判を取った。豊かになった。すると、まわりは白い目で見るようになった。あいつは経済に目がくらんだアニマルなのではないか▼当時の日本人はもやもやしただろう。終戦から奇跡の復興を成し遂げ、自信もついたが、世界はさほどほめてくれぬ。一九七九年、その人は日本を「ナンバーワン」だと言ってくれた。日本の高度成長期の背景を日本人の勤勉さなどにあると分析したベストセラー、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の米社会学者エズラ・ボーゲルさんが亡くなった。九十歳▼お堅い本が約七十万部も売れた。分からぬでもない。ハーバードの学者が日本を見習えと書いてくれた。頭をなでられた気がした▼もとは低迷期の米国を刺激する材料として書かれていた。かつての駐日米国大使、エドウィン・ライシャワーはボーゲルさんにこう語ったという。「米国人には必携の書。だが日本では禁書にすべきだ」。日本人が得意になることを心配していた▼われわれは得意になったのか。その後の日本。ボーゲルさんのほめた雇用制度や社会制度での見直しが遅れた。教育制度もどうも怪しい。日本の現在に、その輝かしい題名を目にするのが少々つらい。


今日の筆洗

2020年12月27日 | Weblog

 オランダの風車は言葉を話すそうだ。戦争中、ある地域では風車の言葉がドイツ軍の行動を無線より早く住民に伝えた。無論、人間の言葉ではない。風車の羽根の位置によって「言葉」を伝える▼風車の羽根は反時計回りに回転する。例えば、羽根が頂点に差しかかる直前の位置で止まっていた場合、それは未来や希望、喜びを表す。逆に羽根が頂点を過ぎていたら過去や悲しみの意味だそうだ。気候学者吉野正敏さんの『風の世界』(東京大学出版会)に教わった▼日本のこの風車。羽根が未来の希望を示す位置にあることを願いたい。二〇五〇年に温室効果ガス排出量を実質ゼロにする政府の「グリーン成長戦略」。洋上風力発電を脱炭素化の主軸に位置付けた▼「いなさ」「ならい」「はえ」「東風(こち)」。日本には約二千の風の名があるそうだ。風に恵まれた環境ながら、日本のこの分野での取り組みは、EUなどに比べ、遅れていた。やっと風をつかまえたか。脱炭素化に向け、風穴をあけたい▼三〇年までに発電容量を一千万キロワット、四〇年までに最大四千五百万キロワットまで増やすという。原発四十五基分に相当する。野心的な目標である▼達成までの道程は順風満帆とはいくまい。技術開発の難しさ、沿岸漁業者との交渉など厳しい向かい風もあるだろう。国全体で強い追い風をおこし、安全でクリーンな風のエネルギーを集めたい。


今日の筆洗

2020年12月26日 | Weblog

 終戦直後の「リンゴの唄」が苦手だったそうだ。底抜けに明るい曲調と罪のない歌詞。明るい時代へ向かう当時を象徴するような曲だが、聴くのが悲しかったという▼一九四六年。満州からの引き揚げ船の中でその歌を船員に教えてもらった。満州で生きるか死ぬかの体験をした。それなのに満州に取り残された自分たちのことを忘れて、日本ではもうこんなに明るい歌を歌っているのか▼作詞家のなかにし礼さんが亡くなった。八十二歳。「天使の誘惑」「恋のフーガ」「石狩挽歌」「人形の家」。手になる名曲を挙げれば切りがない。昭和歌謡の巨人が逝った▼「過去」。歌謡曲ではよく聴く言葉だが、菅原洋一さんの「知りたくないの」でなかにしさんが初めて使ったと聞く。五七調をなるべく避け、新しい言葉を曲に乗せる挑戦の人でもあった▼悲しい詞に持ち味があった。「二人で育てた小鳥をにがし 二人でかいたこの絵燃やしましょう」(「手紙」)「ほこりにまみれた人形みたい」(「人形の家」)。日本に見捨てられたと感じた満州での孤独や痛み。その体験とくやしさが歌詞のどこかに必ず潜んでいる気がする▼「リンゴの唄」が明るく励ます曲なら悲しみを知るこの人の詞は孤独な人の背中を静かにさすり、自分も同じだよと慰めていた。戦後日本を歌で支えた人との別れに「石狩挽歌」の海猫(ごめ)が寂しく鳴く。


今日の筆洗

2020年12月25日 | Weblog

 <目とじても片隅に咲く月見草>。劇作家寺山修司が「誰か月見草を思わざる」という一文の中に記している。夜の間咲いているその花に重ねているのは袴田巌さんである。静岡県で四人が殺害された五十四年前の事件で、死刑を言い渡されたその人だ▼プロボクサーだった袴田さんを何試合か見ている寺山は、事件を知って驚き、その取り調べに「ボクサーくずれ」への偏見があったのではないかと疑問を強くした。支援の活動にも加わっている。夜ひっそり咲く花に見ていたのは、死刑判決を受け、無実を訴えながら、暗黒の日々を生きる姿だったようだ▼その袴田さんに再審の可能性をもたらす最高裁の決定である。決定を知らされた袴田さんは、「こんなもの来るはずない」と話したという▼死と隣り合わせの生活が心にもたらした影響は、地裁の再審開始決定で六年前に釈放された後も残っているようだ。暗黒の日々の長さを思わざるをえない▼最高裁は、再審開始を認めなかった高裁の決定を取り消した。事件の一年以上も後に見つかり、有罪の最大の根拠となった衣類。血痕の変色などについて審理が尽くされていないとし、高裁に再検討を求めた▼疑わしきは被告人の利益は原則だろう。寺山が「打たれ強いボクサー」であったと記した袴田さんも八十四歳である。夜は終わったわけではない。急がなければなるまい。


今日の筆洗

2020年12月22日 | Weblog

 古典落語に登場する地方出身者はあまり、格好良く描かれない▼「百川(ももかわ)」の百兵衛はなまりがきつく、何を言っているのか分からぬ。「蒟蒻(こんにゃく)問答」の権助(ごんすけ)は親切だが、どこか間が抜けている。「化け物使い」の杢助(もくすけ)は化け物を異常に恐れる▼「神田の生まれよ」と江戸生まれを自慢した、かつての江戸っ子たちはどこかで地方出身者を下に見ていたか。そういう世界で地方出身を誇り、売った方である。落語家の林家こん平さんが亡くなった。七十七歳。出身はキャッチフレーズでどなたもご存じ、新潟県刈羽郡千谷沢村(現・長岡市)の「チャーザー村」である▼出囃子(でばやし)も新潟の「佐渡おけさ」。「チャラーン」のギャグも、元はその唄からと聞く。噺家(はなしか)は江戸弁でなければという当時の空気の中、くやしさをこらえ、あえて田舎者を強調し「チャラーン」と口にしていたそうだ▼地方出身の引け目にも、精進と辛抱で人気者の座をつかんだ。古典落語ならば、越後からわずかな銭を元手に身を起こし、大店(おおだな)の主(あるじ)となる「鼠穴(ねずみあな)」の主人公を思い出す。土性っ骨の人だったのだろう▼声は大きく、明るい芸風。弟子の林家たい平さんが語っている。うそかまことか、本来はしんみりと演じるべき人情噺の「芝浜」のサゲをこう教えたそうである。「ああー、よそうっ! またぁあ夢になるといけなあああいいいい!」。聴きたかった落語 

 芝浜なかった。

「おしゃべり専門」 林家こん平

 


今日の筆洗

2020年12月21日 | Weblog

 王貞治さんの通算本塁打数は八百六十八本。米大リーグの記録はバリー・ボンズの七百六十二本だが、米国にこれを大きく上回る選手がいた。十七年間で放った本塁打は九百本とも伝わる▼戦前の名捕手、ジョシュ・ギブソンである。ボンズより打っているのになぜ一位ではないのか。それはギブソンが黒人リーグの選手だったからである▼黒人リーグの創設は一九二〇年。人種差別が当然の時代にあって当時の黒人選手はどんなに実力があろうと大リーグに所属できなかった。四七年、有名なジャッキー・ロビンソンが人種の壁を破って初の黒人大リーガーとなるが、それ以前の黒人選手は黒人のリーグで野球をするしかなかったのである▼九百本と聞いて大リーグよりレベルが下と考えるか。冗談ではない。大リーグとの対戦では非公式試合ながら黒人リーグが大きく勝ち越している▼先週、大リーグ機構が歴史的な決定をした。かつての黒人リーグも大リーグとして扱い、その成績も認めるという。今年米国で吹き荒れた差別解消運動が野球界の見直しを後押ししたようだ。かつての名選手たちもこれで少しは報われよう▼残念ながらギブソンの本塁打記録は大リーグ記録の一位にならないとみられているそうだ。九百本には非公式試合や海外遠征中の試合も含まれ、内容がよく分からないらしい。くやしいなあ。ギブソンよ

 

[MLB]果たせなかった夢ジョシュ・ギブソン物語