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今日の筆洗

2018年05月31日 | Weblog

 紀元前四四〇年ごろ、ギリシャの彫刻家フェイディアスがパルテノン神殿の彫像を完成させた。彫像を見てアテネの会計官は支払いを拒んだ。「彫像の背中は見えない。見えない部分まで彫って請求するとは、何ごとか」。彫刻家は反論した。「そんなことはない。神々が見ている」▼ピーター・ドラッカーさんの本にあった。人の目に触れぬ部分にまで魂を込めることで立派な仕事ができ上がるのであろう▼この方たちは「見えない部分」だからいいやとでも考えたか。賃貸アパート大手のレオパレス21は建設したアパートで施工不良が見つかったと発表した。約三万八千棟を調査するというから大ごとである▼屋根裏にある防火や防音のための仕切りに問題があるそうだ。こんな小咄(こばなし)を思い出す。棚がすぐに落ちるので作った人に文句を言うと、「おまえさん、ひょっとして棚の上になにか載せなかったかい」。防音の弱いアパートで文句を言えば、「ひょっとして声を出さなかったかい」か▼家主、居住者にもとんだ災難で、見えにくい屋根裏だからこそ、「神々が見ている」と心得るべきだろう▼と書いたところでしまらぬ話になる。29日付小欄で栃ノ心のアナグラム(文字の入れ替え)を<ノチノシン>と間違えて書いたが、正しくは<ノチトシン>。おわびさせていただきたい。神々ではなく、読者が気づいてくださった。

 
 
 

今日の筆洗

2018年05月30日 | Weblog

 七十二歳の母親が車の運転を誤り隣の裏庭にバックで突っ込んでしまう。心配した息子は母親に運転をやめさせ、代わりに黒人の運転手を雇う。最初はその運転手を嫌っていた母親だが…。米映画の「ドライビングMISSデイジー」(一九八九年)はそんなふうに滑りだす▼ささいな事故が運転をやめさせるきっかけになったことは、おとといの神奈川県茅ケ崎市の交通事故を思えば、幸いであろう。九十歳の高齢者の運転する車が横断歩道を渡っていた歩行者らをはね、一人が亡くなった事故である▼赤信号で交差点に進入したことを認めている。亡くなった人が気の毒でならぬが、九十歳にして逮捕された加害者や、車を取り上げなかった家族の後悔を思えば、胸が痛い▼長い間の相棒だったのか。その車は三十年近く前の日産プリメーラである。しかも赤。軽や実用車でもないスポーティーなその車を見るにおそらく、自動車の運転が好きな元気な九十歳だったのではないかと想像する。それが一瞬の過ちで、加害者となる▼認知機能検査では問題はなかった。パスしたことがまだ大丈夫という過信や油断になっていたかもしれぬ▼九十歳を卒寿というのは九と十を組み合わせると、俗字の「卆」となるからで、卒業という縁起でもない意味はないが、車の運転に関してはやはり「卒」を考えるべき年齢だろう。悔やまれる。


今日の筆洗

2018年05月29日 | Weblog

 ジェームズ・ジョイスが二十世紀を代表する小説『ユリシーズ』を書き上げるまでには七年かかっている。休み休み書いたわけではない。毎日、毎日、机に向かった上での七年である▼こんな逸話がある。友人が落ち込んでいるジョイスにこう尋ねる。「きょうは何語書いたのか」。ジョイスは「七語」と答えて、こう続けたそうだ。「でも、その七語をどういう順に並べたらいいかを決めかねている」▼ゆっくりゆっくり一語ずつ、一歩ずつ。この力士も歩みは遅くとも、地道な精進を積み重ねてその花を咲かせたか。関脇栃ノ心(30)。夏場所での文句なしの成績によって事実上の大関昇進を決めた。母国ジョージアにも喜びの花が咲く▼新入幕から六十場所かかっての大関昇進は二代増位山に並ぶ歴代一位の遅さという。定年迫る会社員は出世とは縁遠き小欄を含め、わがことのようにうれしくなるだろう▼大けが、幕下転落。昇進の遅さとは実力のなさではない。長くかかった分、誰よりも苦労や困難と立ち合い、投げ飛ばしてきたということに違いない。その心強き力士のさらなる飛躍を見たい▼ジョイスの七語をどう並べるかの話から、おもしろいことを思いついた。<トチノシン>でアナグラム(文字の並べ替え)をつくれば<チトシンノ>や<ノチノシン>。「血と辛(抱)の」人が、苦労の「後の(昇)進」である。


今日の筆洗

2018年05月27日 | Weblog

 古川柳の<いらぬさし買って酒屋はしずかなり>。「さし」とは「銭さし」で穴あき銭を束ねるヒモのこと。そんなもの、誰も欲しくないだろうが、江戸時代に「臥煙(がえん)」と呼ばれる火消し人足たちが新規開店の店などを狙っては売りにやって来たそうだ▼当時の火消しだけに気性が荒い。買うのを断れば、「商売ものにケチをつけた」と店先で騒ぎだす。店の方では仕方なく、必要のない銭さしを買うしかなかったそうな。冒頭の川柳の酒屋さんもやられたのだろう▼このところ、自分の町内での売れ行きが悪いので、別の町内へ足を延ばして、売りつけようか。そんな臥煙の怪しい算段に聞こえてならぬ。何の話かといえば、銃である。トランプ米政権が銃器、弾薬の輸出手続きを簡素化する方針を発表した▼米国内での銃販売の不振を受け、海外に売り込みやすくする狙いだそうだ。対象になるのは軍事用ではない銃器というが、それでも人を傷つける危険な道具。安易な武器輸出拡大策が世界各地の内戦や紛争、事件につながらぬかを心配する。あの川柳でいえば、<いらぬ銃売って世界はしずかに>…なるはずもない▼自分のお国でさえ、厄介な存在になっている銃を商売かわいさでよそ様の国に売りつけてやろうという心根が気に入らぬ▼そういえば臥煙。素行の悪さから、やがて無頼漢をそのまま意味する言葉になった。


今日の筆洗

2018年05月26日 | Weblog

 二次大戦開戦の前年、英国はほんの数日だけ、歓喜に包まれている。ミュンヘン会談でナチス・ドイツと協定を結ぶことに成功したという知らせがロンドンに届いたときのことだ▼<平和の意志が決定的に勝利を収めたように思われた><誰もがよろこんでいっしょに笑い…自分自身が翼の生えたようになっているのを感じた>。ユダヤ人作家のツバイクは、つづった▼人々は、<息をとめて>チェンバレン首相とヒトラーらの交渉を見守り、そして歓喜したという。しかし戦争回避への望みはすぐにヒトラーに壊される。祖国オーストリアに戻ることもかなわなくなったツバイクは<希望の大きな光は消えた>と嘆く。会談は英国の宥和(ゆうわ)政策の失敗として、語り継がれることになり、首脳会談への期待がいかにもろいかも後世に残った▼中止になった米朝首脳会談である。息をとめて話し合いの行方を見守るはずだった。北朝鮮の非核化が本当に実現するのではないかという希望の光もあっただろう。しかし、残念ながら期待は遠のいた▼そもそも非核化の考えにずれがあったという。使えば地獄を招き、捨てれば無力になる。持っているのが一番強い。それが北朝鮮のような国にとっての核兵器だ▼北朝鮮は会談を望んでいるという。だが核兵器を完全に手放す意志がないのなら、平和への希望は再びつかの間で終わるだろう。

ミュンヘン会談/ミュンヘン協定

1938年9月、ドイツのズデーテン併合問題で英仏独伊四国首脳が会談。イギリスの宥和政策によってドイツの要求を容認した。

 ミュンヘン(ミュンヒェン)は南ドイツ・バイエルン州の中心都市。1938年9月、ズデーテン問題の解決のために開かれた国際会議がミュンヘン会議で、イギリス(ネヴィル=チェンバレン)・フランス(ダラディエ)・ドイツ(ヒトラー)・イタリア(ムッソリーニ)の4国代表が集まった。当事者のチェコスロヴァキアの代表は召集されなかった。会議はイギリス首相ネヴィル=チェンバレンの対独宥和政策によって枠が作られ、ヒトラー=ドイツの要求通り、ズデーテン併合を認めた。フランス外相ダラディエもそれに追随した。

ミュンヘン協定の受け取り方

 ミュンヘン協定では、チェコスロバキアの周辺地域がドイツに譲渡されただけでなく、今後重要なすべての外政的行動の際、ドイツは、イギリスと話し合って取り決めるとの内容があった。イギリスの立場からすれば、この点が最も重要な成果だった。ヒトラーにとっては、これこそが敗北と感じた点だった。彼は、東方での自由の手を欲した。ヒトラーがミュンヘンを自分の敗北、イギリスの勝利と感じていたので、それに対する復讐として、1939年3月、イギリスを無視し、予告なしにチェコスロバキア本体を軍事占領したのである。
 チェンバレンのイギリス政府は驚愕したが、宥和政策を変えることはしなかった。しかし宥和政策の方法を変化させた。これまでの約束と譲歩でおびき寄せるやりかたではなく、威嚇を用いることにした。それがポーランドに対するイギリスの保証だった。<ハフナー/山田義顕訳『ドイツ帝国の興亡 ビスマルクからヒトラーへ』1989 平凡社刊 p.267>
 → 第二次世界大戦

 

 
 

今日の筆洗

2018年05月25日 | Weblog

 鬼になった女が、伊勢からやって来た。鎌倉時代末期に、そんなうわさ話で京の町が大騒動になったと『徒然草』に記されている▼およそ二十日間にわたって人々は<鬼見にとて出(い)でまどふ>という興奮状態だった。上流階級も下層の人も、この話題で持ちきりで、鬼が出たという話が流れると、道も通れないほどの混雑になって、ひどいけんかも起きたと吉田兼好は、つづっている▼<一条室町に鬼あり><昨日は西園寺に参りたり>などもっともらしい具体的な情報が飛び交ったとも記されていて興味深い▼偽の情報が真実を装って一気に広がる。今の世ならフェイクニュースか。人々の好奇心や願望、不安などを栄養源にして世の中に浸透する。人々が簡単に<出でまどふ>のは今も昔も変わらない▼違うのは、影響の大きさがけたはずれになったことだ。ロシアが偽情報で米大統領選に介入した疑惑をはじめ、一国の政治に関わるようになった。特に、公用語である英語の世界で深刻だ。欧州に法律による規制の動きもあるが、国境を簡単に越える偽情報を封じるのは難しい。人の性(さが)は簡単に変わらないことが、問題と思ったほうがいいだろう▼うわさが収まった京では、あれは、流行病の前兆だったと言う人も現れたとある。だまされたと分かっても、流言になお意味を探す。悲しい心の一面があることも心得ておきたい。


今日の筆洗

2018年05月24日 | Weblog

 どうしてもなくしたものが見つからない。こういう場合のおまじないに<清水の音羽の滝は尽くるとも失(う)せたるものの出ぬはずはなし>というのがある。若い方にはなじみはないか。これを三べん唱えると、あら不思議、こんなところに…というわけである▼「聖アントニオ、聖アントニオ」。欧米などでは、カトリックの聖人アントニオに失せ物発見を祈るのだという。恋愛、縁結びの聖人と聞いた覚えがあるが、失せ物や探し物の聖人でもあったか。なんでも、この聖人、大切にしていた本を何者かに盗まれたが、祈りによって無事戻った、という言い伝えがあるらしい▼<清水の…><聖アントニオ>の国民の祈りが通じたか。森友学園に国有地を破格の安値で売却した問題に絡んで、財務省が森友学園側との交渉記録を提出した。野党の求めにも廃棄した、残っていないと、さんざん説明してきた文書も含まれている。で、結局は見つかった▼廃棄したという国会答弁とのつじつま合わせで、廃棄を指示していたとは、情けなさで震えてくる▼「残っていない」ではなく、政権にあだとなる不都合な記録を役所が隠し、国民をだましていたことに他ならぬ。この一件だけで政権が吹っ飛んでも不思議ではない▼さて政権は「清水の…」「聖アントニオ」と三べん唱えるか。見つかるまい。国民の信用という名の、その失せ物は。


今日の筆洗

2018年05月23日 | Weblog

 斬られ役、殺され役から俳優としての地位を築いた川谷拓三さんに女優の梶芽衣子さんが、こんな質問をしたそうだ。「生まれ変わっても俳優をやりますか」▼答えがふるっている。生まれ変わったときは「それはもう監督でんがな。それで深作を役者で使う」。深作とはもちろん「仁義なき戦い」などの深作欣二監督。川谷さんは深作さんお気に入りの俳優だったが、撮影では相当にしごかれたようで、お返しに役者として使いたいと▼半ば冗談であり、自分を厳しく育ててくれた深作さんへの愛情も感じられる言葉だが、この監督・コーチと選手の関係はどうだっただろうか。日大アメリカンフットボール部の悪質な反則行為。危険なタックルをした日大選手の昨日の記者会見からは監督・コーチがその選手に反則プレーをするように仕向けた過程が浮かんでくる▼「(相手を)つぶすんなら試合に出してやる」「できませんでしたではすまないぞ」「(相手が)けがをする方が得」▼コーチの言葉にさむけがする。スポーツや大学とはあまりにかけ離れた冷酷な言葉。それは親分の指示で悪事をいとわぬ「鉄砲玉」の役で川谷さんが昔よく出演していた、やくざ映画の言葉であろう▼せめてもの救いはこの選手が反省し、事実関係を話す気になったことか。だが、生まれ変わったとしても、その大学のアメフット選手を選ぶまい。


今日の筆洗

2018年05月21日 | Weblog
映画「赤ひげ」の中に杉村春子さん演じる女主人がおかみさん連中から大根で頭をぽかぽか殴られるという場面がある。撮影は難航した。相手は大女優。殴る方はどうしても遠慮する。満足できない黒沢明監督は何度も撮り直したそうだから、最終的に杉村さんはどれほど殴られたことか▼別の映画の話である。お金を払うから子どもを譲ってくれないかという横柄な男を、父親が腹を立て、殴るという場面。父親役の俳優はどうも強く殴れない▼黒沢監督なら怒るだろうが、その監督はその様子を見て、この父親はいくら腹が立っても殴れない人間なのだと感じ、自分の脚本よりリアルでおもしろいとそのままにしたそうだ▼映画は、「そして父になる」。監督は是枝裕和さん。カンヌ国際映画祭で是枝監督の「万引き家族」が最高賞「パルムドール」を受賞した▼殴るシーンの違いは同じ受賞者の黒沢監督と比べ、どちらがという話ではない。それが是枝さんの方法論である。先入観にとらわれず、人間を知りたいという柔軟な目。それがリアルで味わい深い作品につながっているのだろう▼心弱く、行い悪い人物を決して断罪や非難で描かないのも、先入観を疑う手法と関係があるのかもしれない。「薄汚れた世界がふと美しく見える瞬間を描きたい」。人の弱さ。それさえ是枝監督には美しく見える。世界がその目を評価した。