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今日の筆洗

2018年09月30日 | Weblog

 一九七〇、八〇年代に活躍した米大リーグ抑え投手の草分け的存在である、ローリー・フィンガーズがこんなことを語っている。「救援投手にとっていやなことは失敗すれば、先発投手の勝利を台無しにしてしまうことだ」。コールマン髭(ひげ)の強気な投球が懐かしいアスレチックスの大投手もそんなことを気にしていたか▼打たれて自分に負けがつくだけならがまんできる。が、自分のせいで、がっかりする同僚がいるのは耐えがたい。自分の失敗で他人の人生を狂わせることだってあるかもしれない。救援投手はそうした強い重圧の中でマウンドに立っている。そのせいだろうか、米野球界には薬物やアルコールで不幸な末路をたどった救援投手もいる▼その過酷な役割を担いながら千試合登板を達成したのである。今シーズン限りで引退する中日ドラゴンズの岩瀬仁紀投手。大偉業である▼記録を塗り替えるのは難しいだろう。年五十試合。それを二十年間続けてやっとその数字に届く。しかも耐えがたい重圧の中でである。連投できる体力、動じぬ心。その二つが同時になければ、千試合投手は生まれぬ▼「毎日、投げるのが怖かった」。インタビューでそう語っていた。長年、恐怖を抑え込んできたのか。ファンには感謝の言葉しかないだろう▼「画竜点睛」。竜の目を最後に描き入れ、飛翔(ひしょう)させた、鉄腕の花道を拍手で送る。

1974 WS Gm1: Rollie Fingers gets win in relief


 

中日ドラゴンズ 浅尾拓也 感無量の現役最終登板!!引退表明の浅尾・岩瀬へ涙の黄金リレー 空振り三振斬りに大きな浅尾コール!! 23回戦 vs 阪神【プロ野球2018】


 

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今日の筆洗

2018年09月29日 | Weblog

 大正のころだろう。国文学者の折口信夫は山中できこりに道を聞く。返ってきた言葉に驚いた。「苗圃(びょうほ)を迂回(うかい)して行きゃ…製板(せいはん)(製板小屋)が見えるがのし」。漢字をつなぎ合わせただけの造語、漢語そのままの言葉が短い返事に詰め込まれていたからだ▼いなかの人たちまで<ぎごちない、徒(いたず)らにひねくれた音覚を持つ語を喜んで使ひます>(『新しい国語教育の方角』)。明治期に外国語が大量に翻訳された。国語になじまない言葉が増えたと、折口は嘆き、背後に世間の<造語能力>の衰えをみた。さらに南満州鉄道を満鉄とするような実体の見当がつかない略語が多いと指摘した。すべて現代に通じる苦言にも思える▼日米首脳による関税交渉でTAGなる言葉が出てきた。物品貿易協定の英字略語で、造語だろう。締結に向け交渉するという▼すでに略称だらけなのに新手登場である。背後にあるのは両国の都合か。米国との自由貿易協定(FTA)を避けたい日本は別物と主張できる。米国は、名前はどうあれ、FTAとみているらしい▼食い違った解釈が可能な便利さだが、先々まで安泰なわけではないようだ。農産品や自動車関連でいずれ米国が強硬な主張に出る恐れが残る▼英単語ならtagは荷札か。そう思えば、付け替え可能を感じる響きが、実体に合うようにもみえる。なかなかの造語力なのかもしれない。

 
 

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今日の筆洗

2018年09月28日 | Weblog

 「とても美しい」。日本語として表現上の不自然を感じる方は少ないだろう。作家円地文子は違った。<文章の中で「とても」を肯定に遣(つか)う気にはならない>(『おやじ・上田万年(かずとし)』)▼「とても」は主に「~ない」などとともに使う言葉で、肯定の用法は、円地の若いころに、はやり始めたという。父の学者上田万年は現代国語学の生みの親とされ、日本語の乱れに厳しかった。新たな使い方を嫌ったそうだ。芥川龍之介も、この用法を<新流行>と表現して、違和感をにじませている▼言葉は変わる。文化庁が例年発表する国語に関する世論調査は、それを知らされる機会だ。今週あった発表も豊富に例がある▼「なし崩し」に「げきを飛ばす」。いずれも二割ほどしか「少しずつ返していく」「考えを広く人々に知らせ同意を求める」という本来の意味を理解していなかった。小欄も多数派の一員だった。「立ち位置」なども新しい用法と意識せず使っていた▼いつかは「とても」のように完全に根付く用法なのかもしれない。数年前に調査に登場した「真逆」は今や新聞記事にも多い▼「流れにさおさす」を「傾向に逆らう」と本来の意味と逆に理解している人が多い。かつての調査結果にあった。言葉の変化の流れに安易にさおさしてはならない。言葉の世界に身を置く者としては、あらためて自らを戒める機会と思いたい。

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今日の筆洗

2018年09月27日 | Weblog

 新潮社の斎藤十一はその発想力で天才と呼ばれ、こわもてで畏怖された伝説的な編集者だ。名だたる作家を育て週刊新潮や芸術新潮などの雑誌をつくり時代を築いた。俗物を名乗り「人殺しのツラが見たくないのか」「人生はカネと女と事件」「売れる雑誌より買わせる雑誌をつくれ」といった言葉を残している▼一方でクラシック音楽や絵画を愛し、教養を重んじた人だったそうだ。<いくら金になるからって下等な事はやってくれるなよ>と部下を戒めている(『編集者 斎藤十一』)▼その戒めに逆らって、道を踏み外してしまったのではないか。斎藤が心血を注いだ月刊誌、新潮45の休刊が、決まった。性的少数者への偏見に批判が集まった寄稿を最新号であらためて擁護する特集を組んだ。「常軌を逸した偏見と認識不足」があったと認めての休刊だ▼性的少数者を犯罪者である痴漢と並べて語った寄稿は主張への驚きと掲載した見識への疑いを催させる▼発行部数が、落ちているのだという。炎上商法は否定する半面、部数の低迷に直面し、「試行錯誤の過程において編集上の無理」が、生じたのだと社は発表している▼魅力的な連載などを擁した一大雑誌だ。貧するあまり、大切なものが失われてしまったか。「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事」という創業者の決意も名編集者の精神もみえなくなってしまった。

 
 

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今日の筆洗

2018年09月26日 | Weblog

 力士の取組が長引いた場合、相撲をいったん止める、「水入り」のタイミングは行司にとってなかなか難しいそうで、ただ長引いたからという理由で判断するものではない。三十六代の木村庄之助さんが書いている▼相撲には流れがあって、膠着(こうちゃく)状態が続いていても、力士としては次の攻めに向けて、ひそかに呼吸を計っている場合もある。力士の動き、審判からの指示の両方を見ながら裁かなければならない。これが難しい▼難しいかもしれないが、ここはいったん行司待ったの水入りとし、もう一度、話し合ってはもらえないものか。少なからぬファンはそう思っているだろう。元横綱の貴乃花親方が日本相撲協会に突然、引退届を提出し、会見で表明した▼元横綱日馬富士の貴ノ岩に対する傷害事件をめぐる協会と貴乃花親方の深刻な意見対立が原因と聞く。親方の一方的な言い分だけに軍配を上げるわけにはいかぬが、協会側が傷害事件の告発状を事実無根と認めるよう迫り、認めなければ、「廃業」とは穏やかではない▼そもそも、この取組、桟敷で見ていてもさっぱり理解ができぬ。ただ、角界を長く支えた貴乃花が去るというだけでは客席は納得できないだろう▼弟子のためとはいえ親方の判断も唐突に映る。二〇〇一年五月場所千秋楽の対武蔵丸戦を思った人もいるだろう。それは本当に痛みに耐えた末の結論なのか。

 
 

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今日の筆洗

2018年09月25日 | Weblog

 作家、演出家の久世光彦(くぜてるひこ)さんが「町の音」というエッセーの中で好きな町の音を一つだけあげろと言われたら「私は躊躇(ちゅうちょ)なく、この音と答える」と書いている。「夕食の支度をする音」だそうだ▼水を使う音、茶碗(ちゃわん)の触れ合う音。鍋の蓋(ふた)をとり落とす音。「この歳になっても、秋、金木犀(きんもくせい)の向こうに、湯気に煙った窓があり、そこで夕食の支度をしている音が聞こえると、ふと涙ぐんでしまう」▼よく分かるという人もいるだろう。夕食の支度をする音の中に久世さんが聞いたのは、幼き日、たとえば、秋の夕暮れ時、家の中で耳にしたかつての家族の声や息づかいなのかもしれない▼「金木犀の向こうに」とある。「プルースト効果」も涙の原因か。人が香りによって遠い日の出来事をまざまざと思い出す現象をそう呼ぶそうだ。プルーストの『失われた時を求めて』の中にある、紅茶に浸したマドレーヌを口にしたとたん、遠い昔のことを思い出すという場面からきているらしい▼彼岸の中日も過ぎ、金木犀の甘い匂いが濃くなってきた。われわれにはやはり、マドレーヌよりその小さな花の甘い匂いの方が「失われた時」への入り口になりやすいか。秋の懐かしい匂いをしばし楽しむ▼東京の阿佐谷。久世さんの生家があったあたりを歩いてみる。金木犀の匂いはちょっとだけした。夕食の支度をする音の方は聞こえなかった。

 
 

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今日の筆洗

2018年09月24日 | Weblog

 推理作家、松本清張さんの短編小説『礼遇の資格』(一九七二年)には少々変なものが凶器として使われる。フランスパンである▼「フランスパンが脳天を一撃しただけでアメリカ青年は眼(め)をまわし、つづく二撃、三撃によって床に伸びた」。パンは古く、犯人は剣道二段という設定。清張さんのこと、丹念に調べた上でのことだろうが、パンで人を気絶させるのはなかなか難しい気もする▼ひょっとして清張さんは当時、その人のパンを食べていなかったかもしれぬ。その人とは先日七十六歳で亡くなった「パンの神様」、フィリップ・ビゴさんである▼初来日は六五年。東京国際見本市でフランスパンを焼く実演を見せるためだった。日本人に「お米をやめてもらう」意気込みだったが、最初は敬遠された。勧めても「いらない」。口を切るほど硬いパンという日本人のフランスパンへの思い込みが邪魔をした▼その壁を味で破ってみせた。皮はパリッと香ばしく中身は柔らかいビゴさんのパンはやがて評判となっていく。本物のフランスパンを日本に広めた恩人である▼「パンは手のかかる子どもだ」と語っていた。イースト菌の増量や高温で発酵を急げば、大きく膨らみはするが、風味に乏しくなる。「ちゃんと時間をかけてゆっくり育てる」。おかげで日本のフランスパンのレベルは世界一といわれるほどまでに育った。

 

フランスパンの神様 フィリップ・ビゴさん死去76歳

 

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