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今日の筆洗

2016年03月31日 | Weblog

 われわれは、機械やモノに対し、人間と同じような心を持っている存在として感情移入してしまうことがある▼その電車の運行がこの日で最後となれば、電車に向かって、「お疲れさま」とか「ありがとう」などと声を掛けていらっしゃる方がいるが、あれも分からないでもない▼身近な話でいえば、新車を購入し、それまで乗っていた車と別れるときには、その古い車が実にいとおしく、別れが悲しいということもあるだろう。仕組みは分からぬが、あらゆるものに魂を感じる日本人の独特なアニミズムと関係があるのか▼「ひとみさん」の声がうまく聞こえない。ひどいけがを負っているようでもある。つい、こんな書き方をしてしまうのもそのせいか。二月に打ち上げられた、エックス線天文衛星「ひとみ」に深刻なトラブルが起きているようだ▼何かに衝突したのか、本体が破損し、五つの物体に分かれている。クルクル回転しているという報告もある。電波も正常に受信できていない。地球を遠く離れた、宇宙空間をたったひとりで傷つき、さまよい続ける悲しき機械はかすかに助けてと、電波の「声」を出している▼苦しい状況にある機械に対し、人はとりわけ、その「心」や「痛み」を感じる。たぶん「ひとみ」に人生という平たんではない道を歩く自分自身を見ている。あきらめてはいけない、ひとみさん。そう願う。

X線天文衛星「ひとみ」(ASTRO-H)とは

熱い宇宙の中を観る 新世代のX線天文衛星

宇宙は冷たく静穏に見えますが、X線を用いると、爆発・衝突・突発現象など、激動に満ちた熱い姿が見えてきます。こうしたX線での宇宙観測を飛躍的に進めるべく、日本がNASAや世界各国の協力をえて開発した新世代のX線天文衛星が「ひとみ」です。
そこに搭載される最先端の装置「X線マイクロカロリメータ」は、宇宙からのX線を世界最高の分光性能で観測します。
また同時に搭載される3種類の検出器は、軟X線から軟ガンマ線までの広い波長帯域で、高感度を実現します。
「ひとみ」はこれらの新機能を駆使し、暗黒エネルギーや暗黒物質(ダークマター)の支配のもとで「見える物質」が宇宙最大の天体である銀河団を作ってきた過程や、多数の銀河の中心に君臨する巨大ブラックホールの生い立ちに切り込み、また中性子性やブラックホールにおける極限状態での物理法則を探ります。



迷子探し

2016年03月30日 | Weblog

一石橋迷子しらせ石標

都有形文化財(歴史資料) 1942年9月30日指定
写真

一石橋迷子しらせ石標

 江戸時代の日本橋~一石橋界隈は盛り場で、迷子や尋ね人が多かったようです。当時迷子は町内が責任をもつことになっており、安政4 年(1857)近隣の町名主等が世話人となり、一石橋に迷子探しの告知石碑が建立されました。

 正面に「満(ま)よひ子の志(し)るべ」、左側に「たづぬる方」、右側に「志(し)らす類(る)方」と刻まれています。両側の上部に方形の窪みがあり、左側の窪くぼみに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼り、心当たりがある人はその旨を書いて右側の窪くぼみに貼りました。いわば江戸庶民の告知板でした。湯島天神(現存) や浅草寺(復元)、両国橋等、往来の多い場所に同様のものがありました。

 一石橋の北に金座支配・後藤庄三郎、南に呉服町頭取・後藤縫殿助の屋敷があり、後藤(五斗)を二つ足して一石橋の名が付いたといわれています。


今日の筆洗

2016年03月30日 | Weblog

 <およそこの世に寂しいものはしょぼしょぼ雨に 寒念仏 迷子の迷子の三太郎>。<迷子の迷子の三太郎>とはその昔、いなくなってしまった子を捜すときの掛け声のようなものか▼いなくなった子が誰であれ「三太郎やあい」である。歌舞伎「白浪五人男」や落語「おせつ徳三郎」の場面にもあるが、その呼び声が聞こえてくれば、<寂しいものは>どころではなく、親の痛みが伝わってもくる▼二年前に行方不明になった当時、中学一年生だった女子生徒が保護された事件である。男に連れ去られ、監禁されていたところを自力で脱出した▼少女は駅前などで情報を求めるご両親の姿をネットで見ていたそうだ。自分を捜してくれる「三太郎やあい」の必死の声を耳にしながらも脱出できないくやしい状況。その年には苦しい日々だっただろう▼「三太郎」の名はおっとりした子の総称らしいが、この子はしっかりしていたのだろう。生徒手帳を男に奪われぬよう隠し持ち続けていたと聞く。手帳は拘束下にあろうとも「自分は自分」であることを思い出させ、いつか必ず帰る、帰れると言い聞かせる「お守り」にもなっただろう▼誘拐の「拐(かどわ)かす」の語源は「門」「分かつ」とは俗説だろうか。自分の家の門から引きはがされた少女が再び、わが家の門の前に帰ってこられた。<およそこの世にありがたきものは>である。