東京新聞寄居専売所

読んで納得!価格で満足!
家計の負担を減らしましょう!
1ヶ月月極2950円です!
アルバイト大募集中です!

今日の筆洗

2019年12月31日 | Weblog

 「あばよ芝よ金杉よ」。劇作家の小山内薫が「今でも、この一句を口ずさむと、まだ電灯のなかった、薄暗い、寂しい、人通りの少ない、山の手の昔の夕暮が思い出される」と書いていた▼若い人は何のことだか分かるまい。かつての子どもたちのはやし言葉。遊びを終え、家路につく子ども同士の別れのあいさつというから、「カエルが鳴くからカエロ」みたいなものか▼「あばよ」の音から「芝よ」で、「金杉」は芝(東京都港区)の地名。昔も今も子どもは面白いことを考える▼その「あばよ」。同じ別れの言葉でも「さようなら」「さらば」に比べ、ぞんざいでふてくされ、すねたようなニュアンスを感じる人もいるのではないか。<笑ってあばよと気取ってみるさ>は中島みゆきさんの「あばよ」。女性の失恋を歌っているが、その「あばよ」は怒っている▼民俗学者の柳田国男によると最初は「彼は」の「アハ」だったらしい。「遠くに在るものを指す時の掛け声のやうな」ものだったが、去っていく人を見送る言葉となり、やがて相手に聞こえるよう声高に使っているうちに「アバ」に変わったという見立てである▼二〇一九年が終わる。災害や事件、政治問題。振り返れば、ふてくされたくなる出来事ばかりを思い出すのは人の常か。一九年よ。おまえもつらかったことだろうて。友と別れる気分で「あばよ」と送る。

 
 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】


今日の筆洗

2019年12月30日 | Weblog

文芸評論家のドナルド・キーンさんが「かつて私にとって、日本で正月を迎えることは少々つらい体験だった」と書いていた。なにがつらかったか。孤独である▼当時はまだ、正月をともに過ごせる人がいなかったらしい。友人はそれぞれの故郷へ帰っていく。「私には行くべきところがなかったのだ」。食事はどうしていたのだろうと心配になる▼似た経験がわが身にもある。米国に単身赴任した最初の年の感謝祭。レストランやスーパーは軒並み店を閉めてしまう。まだ友人もいない。孤独とすきっ腹を抱え、町中をうろつき、やっと一軒だけ営業していたカフェを見つけた時のうれしさ。キーンさんと語り合いたかったぐらいである▼コンビニエンスストアやスーパーなどの小売業、外食チェーンで元日を休業とする動きが広がっているそうだ▼かつての正月の三が日といえば、休業する店がほとんどだった。休みを返上するようになったのは一九九〇年代ぐらいからかと記憶するが、働き方改革や人手不足を受け、ついには見直さざるを得なくなったらしい▼独り身の中には不便を憂う方もいるかもしれぬが歓迎すべき動きなのだろう。正月返上で働いていた人が、家族とともに過ごすことができる。故郷へも顔を出しやすくなる。休業となれば町は少々寂しくなるが、懐かしい日本の正月へと戻るだけと考えることにする。


今日の筆洗

2019年12月29日 | Weblog
  <バカだな バカだな だまされちゃって 夜が冷たい 新宿の女>は藤圭子さんの「新宿の女」。<夜の新宿 裏通り 肩を寄せあう通り雨>は八代亜紀さんの「なみだ恋」▼忘年会のカラオケが抜けていないわけではないが、いずれも東京・新宿を舞台にした流行歌。歌に出てくる新宿の人々の顔はあまり幸せそうに見えない。<はぐれ者たちが生きる辛(つら)さ忘れて酒をくみかわす町>は森進一さんの「新宿・みなと町」。人生に疲れ、涙ぐんでいる▼大繁華街のきらめくネオン、にぎわい。新宿という町のまぶしさがかえってその裏側の悲しみや孤独を想像させやすいのか。その人が引き受けていたのは新宿の悲しみや苦悩の方だったのだろう。「新宿の母」と呼ばれた占い師の栗原すみ子さんが亡くなった。八十九歳▼新宿三丁目、伊勢丹の脇。一九五八(昭和三十三)年から占いを始め、相談者は五十年間で、三百万人を超えると聞く。ご自身も貧しさの中で育った。お子さんの死、離婚。人の痛み、つらさがわがことのように感じられる方だったのだろう▼人が占いを求めるのは行く末を知りたいという願いに加え、まずは誰かに自分の身の上を聞いてもらいたいという気持ちがあるのだろう▼高度成長期。大都会の真ん中で人の痛みに耳を傾けた「新宿の母」。これもまた、記憶しておきたい「戦後日本」の光景である。

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】


今日の筆洗

2019年12月28日 | Weblog

花の暦にも似て、花札は一年のそれぞれの月を、十二の花木で表している。一月の松に始まり、梅、桜と続き、最後の今月は桐(きり)である。花は五月頃で、冬には葉を落とす桐が十二月である理由は乏しい。「ピンからキリまで」のキリにしゃれたのだと、国語学者の金田一春彦さんは『ことばの歳時記』に書いている▼紋所にも似た図柄は、鳳凰(ほうおう)を伴い、派手な五色で彩られる。しゃれから生まれたにせよ、締めを飾るにふさわしい、厳かにして華やかな趣を感じなくもない▼昨日は多くの職場で今年のキリである仕事納めだった。心を軽くしつつ過ぎ行く一年を厳粛にかみしめる。そんな方もいただろう▼貿易商の家に育った作家の陳舜臣さんが桐にまつわる戦後の思い出を随筆に書いている。中国から仕入れた桐に電動ノコギリをかけると、突然歯がはじかれることがあった▼ひそんでいた銃弾のいたずらという。日本軍の弾かもしれず、輸出元に文句は出なかった。戦後の家庭に、家具になって届くことも多かった木材である。<平和な植物にも、戦争の影は覆いかぶさっていたのである>と作家は書いた▼戦争を知る人たちが今年も世を去った。桐の中から時折響いてくる硬い音のように、わが国の進む道に硬質の言葉を発してきた人、道しるべを示そうとした人は、年々少なくなる。失われるものの重みを思う年のキリである。

 
 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】