1944年2月23日,「毎日」第一面に「勝利か滅亡か 戦局は茲まで来た 竹槍では間に合わぬ」という5段見出しで,「太平洋の攻防の決戦は,日本の本土沿岸において決せられるものではなくして,数千里を隔てた基地の争奪をめぐって戦われるのである。本土沿岸に敵が侵攻して来るにおいては,最早万事休すである。…敵が飛行機で攻めてくるのに竹槍をもっては戦い得ない」というスクープが掲載された。
この記事を掲載した翌日,松村陸軍報道部長に呼び出された毎日高田編集総局長は,筆者の厳罰などの要求をきっぱりと断り,夕刊一面トップで「いまや一歩も後退許されず,即時敵前行動へ」という記事を掲載した。
これは,「メディアコントロール」(前坂俊之)に書かれているエピソードです。
結局,陸軍は,特ダネを書いた記者(極度の近視ですでに徴兵検査で兵役免除になっていた。37歳)を徴兵し丸亀連隊に入隊させた。この恣意的なただ1人の中年二等兵の入隊に抗議した海軍に対し,陸軍は,記者と同じ大正生まれの兵役免除者250人を召集して,つじつまを合わせた。
ところが,記者は,3か月後に,他の戦友と除隊になった。丸亀連隊報道部の香川進大将は 「この召集は東条大将の厳命だったんだよ。新名は絶対に還すな、重労働を課せとね。海軍や軍令部からもなんども人がきた。われわれは自分らの正しいと思う判断で君を扱った。善通寺師団司令部でも見て見ぬふりをしてくれた」と除隊の真相を説明したらしい。…この香川も凄い。
海軍は,この記者を報道班員として招集し,陸軍の再招集を防いだ。
しかし,記者がフィリピンに出発した直後、とばつちりを喰らって再召集された丸亀連隊の中年二等兵250人は硫黄島に送られ、全員玉砕してしまった。
250人の方が亡くなったのは悲惨だ。しかし,竹槍では間に合わぬと書いた記者及びそれを支えた編集責任者の勇気は,その悲惨さによって,陰るものではない。
しかし,毎日新聞は,このようなエピソードをなぜウェブサイトに掲載して誇りにしないのだろうか?
この記事を掲載した翌日,松村陸軍報道部長に呼び出された毎日高田編集総局長は,筆者の厳罰などの要求をきっぱりと断り,夕刊一面トップで「いまや一歩も後退許されず,即時敵前行動へ」という記事を掲載した。
これは,「メディアコントロール」(前坂俊之)に書かれているエピソードです。
結局,陸軍は,特ダネを書いた記者(極度の近視ですでに徴兵検査で兵役免除になっていた。37歳)を徴兵し丸亀連隊に入隊させた。この恣意的なただ1人の中年二等兵の入隊に抗議した海軍に対し,陸軍は,記者と同じ大正生まれの兵役免除者250人を召集して,つじつまを合わせた。
ところが,記者は,3か月後に,他の戦友と除隊になった。丸亀連隊報道部の香川進大将は 「この召集は東条大将の厳命だったんだよ。新名は絶対に還すな、重労働を課せとね。海軍や軍令部からもなんども人がきた。われわれは自分らの正しいと思う判断で君を扱った。善通寺師団司令部でも見て見ぬふりをしてくれた」と除隊の真相を説明したらしい。…この香川も凄い。
海軍は,この記者を報道班員として招集し,陸軍の再招集を防いだ。
しかし,記者がフィリピンに出発した直後、とばつちりを喰らって再召集された丸亀連隊の中年二等兵250人は硫黄島に送られ、全員玉砕してしまった。
250人の方が亡くなったのは悲惨だ。しかし,竹槍では間に合わぬと書いた記者及びそれを支えた編集責任者の勇気は,その悲惨さによって,陰るものではない。
しかし,毎日新聞は,このようなエピソードをなぜウェブサイトに掲載して誇りにしないのだろうか?