2012/09/05 記
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市高齢福祉介護課に行き、父の介護度認定更新の手続きを取る。帰りに市民自治推進課・防災対策課・保健福祉課・秘書広報課に「防災2提案」の追加資料を配布。防災対策課では、「災害初期誘導員制度」の地ならしに、本当は鵜住居小の自主判断・率先避難の実例を紹介するシンポに、教員や子どもを呼びたいねと語りつつ、NHKが番組を流してしまったから、学校現場は講演依頼に守りの体制に入ってしまったと愚痴ってきた。誰がやってもいいから、何だっていいから、率先避難のシンポやるべきと言ってきた、鵜住居小の企画選択は一般向けかなとも思いつつ。
私の提案が、市内の災害ボランティア・市議たちの沈黙が続くなら、いつも隗より勝手に始めよしかない。面白いと思ったら自分らでやればいいのに、政治屋は馬鹿だなと思う。釜石の方は年内にできればいいかと思っている。それより東北の被災者との間の橋をかけることが優先。家計の破綻や、医療・介護の社会的孤立にこれから数年、孤立死も始まる。手を絶対に離さない活動を地域に生み出していくこと、これが優先。
県立鶴嶺高校のボランティア塾が、11/27から11/13に変更に。鶴嶺高校の有志が南三陸に行き、現地の高校生と交流してきた。その関係の企画が出るだろう。私のは岩手・気仙地方(陸前高田・大船渡・住田町)の活動。だからボランティア塾では切り口を変えて話し合う。平日なので夜に大人向けの会を持ち、昼間、高校生につきあうという形で、講師依頼できないかなと思ったり、宿泊費までとても出せないから、被災地からは招待は無理かと、せちがらいことを思ったり。
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大船渡の「さいとう製菓」からCMチラシが送られてきた。被災直後,工場の惨状を齊藤俊明社長が記録した。当時被災地の内側から齊藤氏が撮った画像を以前買ったので、その住所にチラシを送ってきたのだ。「さいとう製菓」は「かもめの玉子」で有名。震災前から茅ヶ崎ラスカなどでも販売していた。
チラシをみているうちに、「被災地商品を買って復興に役立てよう」という活動の虚妄の香りが漂ってきた。「さいとう製菓」の悪口を言っているのではなく、地元産業の商品を買っても、年金生活者は潤わないように、その利益が従業員や地元復興資金につながっていくのだろうかと思う。サンマやワカメは買っても、経営の大きい「かもめの玉子」は買いたくないなあと思うのだ。
被災地にトヨタの車の工場があったら、トヨタの車を買いますかといえば、違和感は通じるだろうか。まあトヨタは製造部門だけだが。路上生活者支援のポルト湘南の**さんが、災害ボラを私がやっていると言ったときの憤慨したような表情が忘れられない。路上生活者は日々命の際にある。災害ボラの元気付け活動など付き合いきれないという顔だった。でも**さん、災害は家族を奪い、生活を破壊する。その方に寄り添うことが、軽いだろうか。
その「寄り添う」ことを篤志家の活動にしておいていいのだろうか。プライバシーを理由に、手を離していいのだろうか。ひとが自分なりに関われる、膨らみを持った活動を描く時期なのだと思うのだ。ケアを中心に据えて、交流の形を生み出していく企画力・構想力が問われている。公的な顔の付き合いから私的な顔を出来る付き合いへと、節度をもって立ち入ろう。そうしなければ、窮地にある方とはつながれない。
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ヒントを提供してくれる資料をもとめて、探索を続けている。講演会資料などをみていて、限界を感じる。生活支援期(慢性期)の支援という現在的課題の事例や提案がなんとも少ないのだ。
被災体験を語り、逃げ遅れの轍を踏まないようにしましょうねという語り、「ちょっと待て、被災は過去のことなの」といいたくなるような、話ばかりなのだ。復興話も、「がれきを取り去ったら元の町を復元する」という話か、「この際だから儲かる産業構造を入れ込みましょう」という便乗論ばかりなのだ。被災という経験から、これからのことを見通していくことが出来ていない。
どうしたものかなあと思いつつ、今回当たった書籍を紹介しておく。
●「復興は現場から動き出す」
夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親)
中学生君(仮名・今回でバトンタッチ)
(校正3回目済み)
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市高齢福祉介護課に行き、父の介護度認定更新の手続きを取る。帰りに市民自治推進課・防災対策課・保健福祉課・秘書広報課に「防災2提案」の追加資料を配布。防災対策課では、「災害初期誘導員制度」の地ならしに、本当は鵜住居小の自主判断・率先避難の実例を紹介するシンポに、教員や子どもを呼びたいねと語りつつ、NHKが番組を流してしまったから、学校現場は講演依頼に守りの体制に入ってしまったと愚痴ってきた。誰がやってもいいから、何だっていいから、率先避難のシンポやるべきと言ってきた、鵜住居小の企画選択は一般向けかなとも思いつつ。
私の提案が、市内の災害ボランティア・市議たちの沈黙が続くなら、いつも隗より勝手に始めよしかない。面白いと思ったら自分らでやればいいのに、政治屋は馬鹿だなと思う。釜石の方は年内にできればいいかと思っている。それより東北の被災者との間の橋をかけることが優先。家計の破綻や、医療・介護の社会的孤立にこれから数年、孤立死も始まる。手を絶対に離さない活動を地域に生み出していくこと、これが優先。
県立鶴嶺高校のボランティア塾が、11/27から11/13に変更に。鶴嶺高校の有志が南三陸に行き、現地の高校生と交流してきた。その関係の企画が出るだろう。私のは岩手・気仙地方(陸前高田・大船渡・住田町)の活動。だからボランティア塾では切り口を変えて話し合う。平日なので夜に大人向けの会を持ち、昼間、高校生につきあうという形で、講師依頼できないかなと思ったり、宿泊費までとても出せないから、被災地からは招待は無理かと、せちがらいことを思ったり。
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大船渡の「さいとう製菓」からCMチラシが送られてきた。被災直後,工場の惨状を齊藤俊明社長が記録した。当時被災地の内側から齊藤氏が撮った画像を以前買ったので、その住所にチラシを送ってきたのだ。「さいとう製菓」は「かもめの玉子」で有名。震災前から茅ヶ崎ラスカなどでも販売していた。
チラシをみているうちに、「被災地商品を買って復興に役立てよう」という活動の虚妄の香りが漂ってきた。「さいとう製菓」の悪口を言っているのではなく、地元産業の商品を買っても、年金生活者は潤わないように、その利益が従業員や地元復興資金につながっていくのだろうかと思う。サンマやワカメは買っても、経営の大きい「かもめの玉子」は買いたくないなあと思うのだ。
被災地にトヨタの車の工場があったら、トヨタの車を買いますかといえば、違和感は通じるだろうか。まあトヨタは製造部門だけだが。路上生活者支援のポルト湘南の**さんが、災害ボラを私がやっていると言ったときの憤慨したような表情が忘れられない。路上生活者は日々命の際にある。災害ボラの元気付け活動など付き合いきれないという顔だった。でも**さん、災害は家族を奪い、生活を破壊する。その方に寄り添うことが、軽いだろうか。
その「寄り添う」ことを篤志家の活動にしておいていいのだろうか。プライバシーを理由に、手を離していいのだろうか。ひとが自分なりに関われる、膨らみを持った活動を描く時期なのだと思うのだ。ケアを中心に据えて、交流の形を生み出していく企画力・構想力が問われている。公的な顔の付き合いから私的な顔を出来る付き合いへと、節度をもって立ち入ろう。そうしなければ、窮地にある方とはつながれない。
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ヒントを提供してくれる資料をもとめて、探索を続けている。講演会資料などをみていて、限界を感じる。生活支援期(慢性期)の支援という現在的課題の事例や提案がなんとも少ないのだ。
被災体験を語り、逃げ遅れの轍を踏まないようにしましょうねという語り、「ちょっと待て、被災は過去のことなの」といいたくなるような、話ばかりなのだ。復興話も、「がれきを取り去ったら元の町を復元する」という話か、「この際だから儲かる産業構造を入れ込みましょう」という便乗論ばかりなのだ。被災という経験から、これからのことを見通していくことが出来ていない。
どうしたものかなあと思いつつ、今回当たった書籍を紹介しておく。
●「復興は現場から動き出す」
夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親)
中学生君(仮名・今回でバトンタッチ)
(校正3回目済み)