2017/05/21 記
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明日、平塚で「発達障がいの講演会」がある。NHKも「発達障がい」特集が流された。そんなこともあって、今、鉄ちゃんの担当になった%%君と、つい長電話となった。中邑賢龍さんたちの「異才発掘プロジェクト」とは違うけれど、鉄ちゃんのように、小さいときは「○○博士」、大人になっては「オタク」と呼ばれる方の担当が多いことや、その半分ほどの数で、書字・読字・計算障がいの方が私と出会って行ったと%%君に話した。二次障がいがあるのがあたりまえで、特に不登校・引きこもりの子から、癖の強い子といわれる子が送られてきた。あまりADHDのタイプの子は少なく、それは出会う年齢層が高めだからではないかと思っている。身の処しかたをそれなりに掴んで、目立たせなくしているのだと思う。
ところがこういう発達障がいの周辺の子たちと、いわゆる自閉症の子たちの社会の受け皿が違っていることで、互いの経験が同質のものがありながら、語り合えない溝を感じてきた。%%君には、何の話かわからないようだったが、私は災害時要援護者支援の活動から、精神や身体・知的の障がいの会の方を結びつける立場にたって、困難の質の違いと同時に、政治的思惑の壁を越える活動提案をすることになって、災害という命の危機対策への共同という活動にてこ入れするにあたって、この差異が高層ビル間の綱渡りのように、拡張して見えてくることに、落ちてもわたれても、他者には何の意味も無いことと、活動の有限さの逆照射を飲み込んでいた。
変な話だが、事が輻輳してくるが、ひとは仮説の中に生きており、一度歯車がずれるとかみあわなくなる。こんなことがあった。父の生前、父との出先の格闘介護のあと、急ぎバス停に向かった。近所のビジネス英語講師の**さんとそこで出会ったのだが、挨拶をしているうちに、私の上着に、父の便がついていることに気がついた。会釈して、バスが来たにも関わらず、急ぎ着替えるために家に戻った。ところがそれ以降、この方は心証を害し、私を避けるようになってしまった。まさか便がついていたともいえず、いまだにぎぐしゃぐしている。
こういうコミュニケーションの隙間はあちこちにあいている。コミュニケーションの障がいをいうとき、場面とその文脈を捨象して評価すると判断を誤ることがある。私と出会う方の困難はそうした事情と複雑にからみあっている。こういう機微の部分が、気になっていたのだ。障害のカテゴリーをあてはめて診断という荒っぽさは、心の障がいの場合、彼の履歴あら診断されるべきで、とても気になっている。
%%君は、心配性だという。それも正しい。しかし、その溝をみるがゆえに、越えていく青臭さを私は捨てない。
%%君、禅問答お付き合い、ご苦労様。
夜間傾聴:%%君
ひとり
(校正1回目済み)