湘南オンラインフレネ日誌

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11/29 12/2の図書館行復活の報/同世代比較は、やめようと母に…

2016-11-30 05:34:11 | 地震津波災害ボランティア

2016/11/29 記
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朝8時、母が私を起こしに来た。夜間傾聴を終えて就寝時刻が6時。私の関係の電話は寝るとき、モジュラージャックを抜いている。何事かと驚いていると、私の携帯。そういえば昨夜、茶の間の充電器に入れたまま、自室で眠っていた。

なんと相手は、**大学附属図書館からだった。指摘の紀要を取り寄せたというのだ。12/2は待っているという。感謝!しかし紹介状が必要なので、横須賀の++大学附属図書館の紹介状を受け取ることになった。通話を切って寝床にもどろうとしたとき、父方の叔父さんが、二日前の明け方。喀血・呼吸困難で救急入院、検査の結果、終末期の胃癌で転移があちこちにあるとのことで、意識はあるものの数週間しか持たないだろうということで、緩和治療に切り替え入院したとの話。空き病床がなくて、町田市内にある辺鄙な病院に入院。命はここ数日の話ではないが、最後の見舞いに来て欲しいとのこと。娘(従兄弟)からの連絡だった。

12/2が復活したことを母に告げると、それに怒りを隠して、性急だがこれから会いに行きたいと言い出した。橋本の授業を日送りして、母を連れて、乗り慣れた相模線に乗り込んだ。母の友人に続く不幸の連続。気分は最悪だった。その車内で横須賀の図書館から連絡が入り、それは紹介状ができたとの連絡だった。明日受け取りに行くと応答した。全く運の悪意を感じるかの出来事だった。

会ってわかったことだが、叔父はモルヒネで痛みを回避しているので、朦朧としているが意識はあり、母と私を分かったようだった。婦長の話から、ここ数日ということはなく、体力の切れ目が命の切れ目で、医師は、持って1ヶ月と言っているという。娘さんは働いており、病室は母と私だけだった。(私は)生き残ってしまったねえと、母は自嘲ぎみになり、持て余して、私は夜間傾聴時なみのフォローをするが、母には全てお見通しだった。

出歩かないで家にいてくれないかねえという母。私は余暇で社会活動をしていうわけではない。無駄に出歩かないから安心していいと言いつつ、被災地めぐりは終わったことを感じていた。

不登校・引きこもり青少年と自閉症スペクトラムの困難を抱えた青少年への教育・就労(社会参加)支援活動と、災害時要援護者支援活動では、何回も修羅場をくぐって爺ぃになった。いまさら手を引くつもりはない。ただ、悔しいが遠出だけは封印する。母の持病の件もあるが、ひとの孤独だけは特効薬がないからだ。

久々に我が家のデジタル血圧計を持ち出し、測り合った。母はやや低血圧、私は境界域のやや高め、まだお互い、生きられそうだよと笑った。ポンコツだけどねという蛇足の声は、心の声なり。

紹介状は、明日午後とりにいく。さて電話セット済み。

夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)

 

 

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