車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

豊岡市内~あちこちウォッチ in 兵庫県豊岡市

2023年08月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

2011年の豊岡市への車中泊では、狛犬目当てのご亭主殿の希望で、多くの神社参拝をしました。まるで豊岡市にはコウノトリと神社しか無いような印象ですが、そんな事はありません(笑)。たとえば日本一の「かばんの町」として知られる豊岡市、公用車にも豊岡杞柳細工の柳カゴがラッピングされています。

兵庫県北部(但馬国)をエリアとする全但バスも、ごらんの通り😆

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12月14日は忠臣蔵のクライマックス、 四十七士が吉良邸に討ち入りした日です。実はここ豊岡は、その忠臣蔵の立役者『大石内蔵助』の妻『理玖(りく)』の生誕地なのです。

但馬国豊岡藩京極家の家老『石束毎公』の長女として誕生し、赤穂藩浅野家の筆頭家老『大石良雄』と結婚。その後の主君の刃傷、藩の取り潰し、主君の仇討、本懐・そして全員の切腹。長男の主税ちから)はまだ16歳の若さでした。理玖は残された遺児を育て上げた後、落飾し『香林院』と称し広島で没します。その彼女の遺髪塚が、豊岡市日撫(ひなど)の「正福寺」にあります。

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豊岡駅通商店街には、私の大好きな近代歴史的建築が残されています。ヨーロッパ風の建物は、1925年の北但大震災の2年後に旧豊岡町役場として、復興建築のシンボルとして建設。

その後、旧豊岡市役所本庁舎となり、2011年の新本庁舎建設に伴い、現在は「豊岡市議会議場」や「豊岡稽古堂」として使用されているそうです。

かつての銀行建築の面影を残す重厚なルネッサンス建築の建物は、旧兵庫県農工銀行豊岡支店として昭和9年(1934)に建設。「山陰合同銀行豊岡支店」を経て、2005年に豊岡市役所南庁舎別館として改造されました。

役目を終えた建物は、2014年4月に「豊岡1925」というお菓子を中心テーマとした複合施設となったそうです。

先述の建物と向かい合う位置にあり「中央街路(大開通り)の偉観」といわれた「旧豊岡郵便局」。昭和2年の建築で旧南庁舎として使われていましたが、新本庁舎竣工に伴って解体されたとか・・・利便性を考えるとやむを得ない事ですが、何とか残して欲しかったと今も思います。

これらの建物が有った大開通りの商店街、愛称は「サンストークアベニュー」と言います。疲れてふと腰を下ろしたベンチには「コウノトリ放鳥記念ベンチ」の文字。あれ・・やっぱりコウノトリに戻ってしまった😅

という事で「コウノトリ悠然と舞う豊岡市」でした。

訪問日:2011年3月30日

 

コメント (2)
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