“食べ物がなかった戦時中、麦の真っ黒いご飯に赤いシソのふりかけをまぶしたおにぎりは、おなかが膨れる唯一のごちそうだった。戦争が終わってからも毎年「土用」になると、曽祖母が梅に漬けたシソをむしろの上で干してからからにし、すり鉢ですって、きめ細かなふりかけを作ってくれるのが楽しみだった。
嫁いでからはしゅうとめが同じようにふりかけを作ってくれ、私の三人の子どもたちも大好きだった。しゅうとめが八十六歳で亡くなってからは、私が引き継いで作るようになった。得意というほどの手料理がない私にとってシソのふりかけだけは、子どもたちの三家族に夏の贈り物として届けて喜んでもらっている。
今年も友人にたくさんのシソをもらい、三日がかりで天日干しをして、汗だくになってすり鉢ですった。市販のものよりもきめ細かに仕上げ、子どもたちに配った。夏の仕事が一つ終わった達成感に満たされた。”(9月7日付け中日新聞)
愛知県豊橋市の主婦・浅井さん(79)の投稿文です。ボクの母も毎年むしろの上で干してからからにし、すり鉢ですってシソふりかけを作っていた。にぎりめしにすることはなく、そのままご飯に振りかけていた。こうすればおかずなど全くなくても済む。それでも何の不満もなかった。似たような物しか知らないのだから不満の起こしようがない。卵ぶっかけご飯が大ごちそうであった。ボクの子供の頃はそんな時代だった。
母がしなくなったら、妻がするようになった。昨年、梅の木が植えてあった畑を売却した。梅の木がなくなると、シソを漬けることもなくなった。今年もシソは畑に種が落ち自然生えしていた。しかし、使われることもなく、抜かれてしまった。長い年月作っていたシソふりかけも今年から作られなくなった。今年で会社も辞めた。一区切りつく年となったと思っていたが、こんなところにも区切りがつくとは思いもかけないことであった。
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