ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

こんな女がいた!本荘幽蘭

2018-02-17 10:13:26 | 本と雑誌

 昭和戦前期の女性を調べている。一つの狙いは悪女、もう一つは女性記者。菜の花座7月公演の台本書きの資料としてね。書きたい出来事は決まっていて、それをどう肉付けするかのところで、様々、探し回っているんだが、そろそろ1か月近くなる。評論やエッセー書くわけじゃないから、物語が興味深く転がって行かにゃならだろ。そのためにゃ、やっぱり人物なんだよな。

 明治から大正にかけての草分け女性記者については、『女のくせに』著:江刺昭子って力作に出会えて、当時の新聞社の様子も含め大いに参考になった。澤地久恵の『昭和史のおんな』も、犯罪や事件に巻き込まれた女たちを、どこまでも丁寧に寄り添って書いていて、腹の底にズンとくる出来栄え、圧倒的だ。出来事は、その中の一つに狙いを定めている。

 でも、女性記者と事件の当事者あるいは関係者だけの登場では、あまりに固いし、暗くなりそうな予感しきり。もっと思ってもみない視点から突き刺さってくるキャラクターが欲しいのだ。できれば笑いも巻き起こせるような突拍子もない女性が欲しい。そんな女いるか?あの時代に。

 いたんだよ!なんと。自称本邦最初の女性記者、本荘幽蘭!自称自称、あくまでね、なんせ、自己顕示欲の塊のような女性だから。まず、結婚歴19回!って事実を知ってもらえば、こりゃどえらい人生だ!って直観してもらえる。半ば強引に関係を持たされたこともあれば、気に入った男は誘惑も、時には、今問題の枕営業的なこともしてたらしい。それも、まるで悪びれる風なくだ。それどころか、吉原の有名遊郭・角海老楼に単身出向いて娼妓に雇うよう交渉して断られてもいる。断られた理由は、いかにもインテリぽくて、当時盛んだった廃娼運動(悪所から抜け出す女たちを支援。公娼制度の廃止も強力に主張した。)のオルグと疑われたってことらしい。怒涛の男性遍歴だが、彼女としては、肉体と精神は別物、常に、精神の高潔さは保っていたとの認識だ。

 明治女学校に通った経験からキリスト教にも心惹かれ、一時は救世軍、(軍隊組織を敷いて熱心な街頭普及活動を展開したキリスト教1派、廃娼運動にも力を注いだ。)でも活動したが、物足りず、神道の会派に心を寄せ、大本教の出口王仁三郎とも会っている。一時は日蘭尼と名乗って剃髪していたこともある。

 職業の転戦も矢継ぎ早で突拍子もない。女性記者として3つの新聞社で記事を書き、女優として舞台に上がる傍ら、茶店などの経営にも手を染め、活動写真の弁士も勤めれば、見習い看護師も経験、ホテルの創業や女子精神病者の支援施設にも力を注いだり、果ては、講談師となって、全国津々浦々から満州まで公演して回った。

 ふうぅ、なんて凄い女がいたもんだ!跳んでる女、大正・昭和前期版、いや、今時の女性でも、ここまで思い切って跳ね続けてるのはいないだろう。それが、今よりはるかに女叩きが激しかった頃に出現したんだ。世の中の常識、社会のモラルを楽々と超越して、思うがままに生きた人生、驚くと同時に嬉しくなってしまう。

 ぜひぜひ、舞台に上がってもらいたいと願っている、あっ、もちろん、当人じゃなくそんな役として、んだが、残念なことに、満州事変勃発後は、日本全体を覆っていく撃ちてし止まんの風潮にはまり込んで行ったみたいなんだ。せっかく、ここまで世の人たちの価値観にノーを言い続けたたのに、結局、そこに引きずり込まれちまったか!それほど、あの戦時体制翼賛の動きは、人々の心の奥底までがしっと掴んでいたってことだ。

 と、なると、本荘幽蘭として登場いただくとこはできない。彼女下敷きにして、別人格を仕立てるしかないかぁ、うーん、残念だなぁ!ということで、資料漁りはさらに続く。

 

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