田中雄二の「映画の王様」

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“世界の盗塁王”福本豊

2021-03-14 07:39:27 | All About おすすめ映画

“世界の盗塁王”福本豊

 昭和22年大阪府生まれ。中堅手。左投左打。背番号40→7。通算:20年、2401試合、2543安打、208本塁打、884打点、打率291、1065盗塁

 1969年、松下電器からドラフト7位で阪急ブレーブスに入団した福本豊の代名詞は“世界の盗塁王”。入団2年目に盗塁75個で盗塁王に輝いて以降、13年連続で盗塁王を獲得しました。

 この間、72年にはシーズン106個の盗塁を成功させ、当時のモーリー・ウィルスの104盗塁を破る世界記録を樹立。83年には、ルー・ブロックが持つ通算盗塁938の世界記録を破りました。最終的に通算盗塁数は1065まで積み重なり、78パーセントの成功率を誇ります。福本は、驚くほどの駿足というわけではなかったので、投手の癖を完璧に盗むところに彼の盗塁術の真骨頂があったと言ってもいいいでしょう。

 また打撃面では、「つちのこバット」と呼ばれた重いバットを鋭く振り切るバッティングで、4度のシーズン最多安打を記録。通算115個の三塁打の日本記録保持者でもあります。

 1970年代の阪急黄金時代、1番の福本がヒットか四球で出て二盗。2番の大熊忠義がバントかエンドランを決め、クリーンアップの加藤秀司、長池徳二の犠牲フライで1点というシーンを思い出す人も多いでしょう。福本こそはチームの後輩に当たるイチローに勝るとも劣らない、日本球界屈指のリードオフマンと言っても過言ではありません。

 さらに、彼はセンターの守備も抜群でした。例えば、74年オールのスター第2戦で、阪神の田淵幸一のホームラン性の当たりを、背走して外野フェンスによじ登り、そこからジャンプして捕球するという名プレーがありました。それを見た長嶋茂雄が「人間業じゃなくて猿業」と絶賛したそうです。まさに走攻守の三拍子が揃った名選手でした。

 “世界の盗塁王”として国民栄誉賞の声も上がりましたが、「あんなもん、もらったら立ちションもできんようになる」と断ったエピソードは有名です。

 また、88年、同僚の山田久志投手の引退式で、上田利治監督が「去る山田、そして残る福本」と言うべきところを「去る山田、そして福本」と間違えてスピーチしてしまい、それを聞いた福本は「言ってしまったものは仕方がない」と現役引退を表明したといいます。

 こうした愉快な逸話から、大選手なのに関西の気のいいおっちゃんという風情を感じさせるところが福本の魅力でもあります。

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ミスターブレーブス 長池徳二

2021-03-14 00:07:54 | All About おすすめ映画

ミスターブレーブス 長池徳二

 1944年2月、徳島県生まれ。外野手。右投右打。背番号3。通算成績(実働14年):打率.285、338本塁打、969打点、1390安打。本塁打王3回、打点王3回、MVP2回

 1966年、法政大学からドラフト1位で阪急に入団した長池徳二(徳士)は、バットを大きく後ろに引き、左肩に顎を乗せる独特の構えから本塁打を量産した阪急黄金時代の4番バッター。9度のリーグ優勝と3度の日本一に貢献した彼こそは、ミスターブレーブスです。本人は、自分は典型的なプル(引っ張り)ヒッターで、青田昇コーチとダリル・スペンサーによって作られたバッターだと語っています。

 まず、1967年、27本塁打を放ちチーム初のリーグ優勝に貢献。チームがリーグ2連覇を達成した翌68年は、30本塁打。リーグ3連覇を果たした69年には、打率316、41本塁打、101打点、21盗塁で本塁打、打点の二冠王となり、シーズンMVPにも輝きました。

 71年は打率317、40本塁打、114打点という好記録を残しながら無冠に終わりましたが、阪急はリーグ優勝を果たし、長池は2度目のシーズンMVPに選ばれました。

 また、この年は、5月28日の南海ホークス戦から7月6日の西鉄ライオンズ戦まで毎試合安打を打ち続け、32試合連続安打という日本記録も樹立。79年に広島の高橋慶彦に塗り替えられましたが、今もパ・リーグ記録として残っています。また、月間15本塁打も記録するなど、固め打ちが得意でした。

 翌72年には、41本塁打で2度目の本塁打王、73年には打率313、43本塁打、109打点で再び本塁打王、打点王の二冠に輝き、74年には96打点で3度目の打点王を獲得しました。

 75年には、25本塁打を放って阪急のリーグ優勝に貢献し、日本シリーズでも4勝2引分で広島を破って6度目の日本シリーズ挑戦でようやく日本一を勝ち取りましたが、それ以降は、控えに回ることが多くなり、79年限りで現役を引退します。

 長池の最大のライバルは、東映フライヤーズの大杉勝男でした。例えば、71年には、大杉が41本塁打を放って本塁打王を獲得したのに対し、長池は40本塁打で惜しくもタイトルを逃しました。翌72年、前年の雪辱に燃える長池は、最終試合のロッテ戦で2本塁打を放って41本塁打とし、大杉を逆転して本塁打王に輝きます。このように、2人は互いに競い合い、無二の存在として認め合っていました。

 ところが大杉は75年にセ・リーグのヤクルトに移籍。長池に陰りが見え始めたのは、けがのせいもありましたが、ライバル大杉の移籍と決して無縁ではなかったでしょう。

 長池の活躍は短期間でしたが、とても密度の濃い素晴らしいものでした。なぜ彼がいまだに野球殿堂入りしていないのかが不思議でなりません。

 最後に、長池に関する蛇足を二つ紹介しましょう。

 水島新司&佐々木守の漫画『男どアホウ甲子園』では、パ・リーグを代表するバッターとして、主人公・藤村甲子園の辻斬りに遭い、近鉄バファローズの土井正博と共に、路上で三振に打ち取られる場面がありました。

 また、選手生活晩年の78年9月11日に、近鉄の鈴木啓示から放った逆転満塁ホームランのシーンが、「一発逆転」というドラマのタイトルバックに使用されました。これらは、長池が70年代前半を代表するバッターであったことの証でもあります。

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