敏腕Pの日々のつぶやき

テアトルシアター代表。担当舞台作品について他、演劇やスポーツ等々の雑感を気の向くままに。

宮下遥

2024年05月10日 | スポーツ

《有機合成におけるパラジウム触媒

クロスカップリング》の研究成果で

根岸英一、鈴木章がノーベル化学賞の

栄誉に浴した2010年、

バレーボール全日本女子に選出された

宮下遥は、当時15歳。

この年齢での代表入りは史上四人目。

 

前年「黒鷲旗」と「プレミアリーグ」、

要は日本排球界最高峰のトーナメントと

リーグでの史上最年記録を成した

178cmの大型セッターには、

大きな大きな期待が集まった。

 

結論からいえば。

宮下の才能は、代表では

発揮されることなく終わった。

ある世代のバレーファンは

古川靖志を彷彿するのではないか。

 

川崎市立生田中学校から

藤沢商高(現:藤沢翔陵高)に進み、

春高バレーで躍動

前衛では小気味よいスパイク、

下がれば強気のトス回しで

藤商を牽引し、第9、10回大会で

史上初の連覇を達成

1982年、順天堂大学3年時に

全日本入りすると、

翌年のアジア選手権でベスト6、

セッター賞も獲得。チームは優勝。

 

低迷を始めた男子バレーの救世主

……と思われたが、当時の攻撃陣は

「天才・古川」のセットアップに

残念ながらフィットしなかった。

翌年のロス五輪は7位

 

猫田勝敏、竹下佳江らに代表される

打ちやすいトスが、

日本バレーのセッター像として

長らく続いている。

大型化も何度か試みられたが……。

 

同様に宮下は全日本で当落があり、

招集時も必ずしも主戦ではなかった。

 

 

そんな「ハルカ」も気づけば29歳。

昨今のバレーボーラーは、

他競技に倣い移籍も増えた中、

岡山シーガルズでのみプレー。

 

今季での「早すぎる引退」発表を

誰よりバレーの神様が驚いた……

のかもしれない。

 

1971年創部の東芝(横浜)の

活動停止を受け、日本バレー界初の

クラブチーム「シーガルズ」として

Vリーグ参戦。拠点を富山県黒部市に。

1999年のことだ。2001年岡山市移転。

06年から名称を「岡山シーガルズ」。

 

以来、プレミア準優勝もあれば、

チャレンジリーグ降格と、

悲喜こもごものクラブの歴史。

 

2024年5月6日。第72回黒鷲旗

全日本男女選抜バレーボール大会

女子決勝。デンソーエアリービーズを

ストレートで破り、初優勝

 

チーム初のビッグタイトルであり、

(国体5連覇などはあったが)

ワールド・グランプリ2014の銀が

最高順位だった宮下にとっても

初めての一等賞となった。

 

「上げる人の右側が強すぎて、

あれぇって」 と、初胴上げが

かなりローリングした感想とともに

「もう一生ないな、この経験。

3回上げ終わった、上げてもらった後に

感じました」と宮下は語った。

 

遥か遠くから、多くのバレーファンが

その胴上げに加わっていたことだろう。

……筆者を含めて。

 

 

冒頭、化学の一等賞から始まったのは

根岸岡山大学名誉博士との「岡山」繋がり。

 

【文中敬称略】

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